ゆらゆら草

もう少し感受性を働かせれば、毎日がスペシャルになる。そう自分に言い聞かせて、いろいろ感じたことを書きとめてみよっと。

シベリア発見。  


地元の個人経営パン屋さんへ出陣。
以前は、昼ごはんに外食していたことが多かったんだけど、
コロナ禍のせいで、イートインを避けてお持ち帰りがほとんどに。
自然と、パン屋さんの調理パンを買うこともふえていたんだな。

僕の場合、菓子パンはほとんど買わない。
食事用の甘くない系の食パンやバゲット、ロールパンみたいなやつか、
お昼などに早く手軽に食事を済ませる用に、
おかずとパンがセットになっている調理パンかサンドイッチだなー。
お菓子はお菓子で食べたいから。


000シベリアかご.jpg

店内陳列をふと見ると、シベリアが。
僕は、この風体のパンが「シベリア」と呼ばれるもんだと
知ったのは最近のことなんですわ。

ジブリアニメの『風立ちぬ』で出てきて、
なんかそこそこブームになったよね。
それまで、全然知らなかった。
※ちなみに、『風立ちぬ』のシベリアは、
東京の西武柳沢駅に近くにあった、「ぽんぽこ」でもおなじみの
「サン・ローザ」というお店のやつだったんだそうだ。

だって、高校まで住んでた実家の(北海道)のほうでは見たことがなかったんだよ。
(僕が知らなかっただけ?)
ちょいと調べると、明治後期か大正初期にはすでにあったみたい。
ほんで、その昔は関東近圏が本拠地で、
いまでも高知と中部地方以外ではあまり知られていないとのこと。
だから、北海道でも昔から出回っていなかったんじゃないかな。
(知らんけど・大阪弁風イントネーションで)


001シベリア全景.jpg

菓子パンだけど、とにかく、食ってみよう!
実は、食べるのも初めてなのだっ。

こんなもん、カステラに漉しあんをサンドしたもんだろ、
なんて思っていたら、それは違ったー。
これは、羊羹だあー!

002シベリア切り口.jpg

あんパンのカステラ版になったような味と舌触りを
想像してたんだけど・・・
うぬぬぬー、なんというか、“カステラと羊羹” だなあ。
あんこがゼラチンかなんかで固められている分、
カステラ生地とのマッチングが悪くて、
やはり・・・“カステラと羊羹” なのだー。

うーむ、洋菓子のカステラも、和菓子の羊羹も大人気だった時代に、
「両方とも一度に食えたら、幸せ × 幸せ だべー」っと
誰かが考えたんだろうだけど、そりゃ、ミック・ジャガーと美空ひばりが
一緒に歌ったからって、すばらしい歌になるとは限らない
のと同じだわな。(聞いたことないけど)

とにかく、甘い!
聞けば、日本の喫茶店の原型である大正時代の「ミルクホール」で
ミルクやミルクコーヒーと一緒に食べるのが流行った
とのことなので、
なるほど、牛乳系には合いそう。
うむ、これは菓子パンではない、そうよ、パンじゃない、
お菓子だ、お茶菓子なんだなー。
・・・って、個人的にはそう思うわ。


・・・で、なんで「シベリア」よ?ってハナシだけど、
よくわかってないみたい。

でも、気になるよね。
だって、日本や東アジアのあんこと、
元々はポルトガルのカステラの、ド三角サンドだよ。
なんで、ロシアのシベリアよ?ってハナシ。
まったく想像がつかないよねぇ。

命名にはいくつか説があるようだけど、
僕は、「シベリアのツンドラ地層」というのが最もらしいかなと。
黒い羊羹部分が「凍土」で、ふんわりカステラが「雪」。
そう言われてみれば、この素っ頓狂な組み合わせと形状にも
納得いくような気がするわさ。

大正時代のシベリア出兵の時に、極寒の空の下
ツンドラ地層を見た人が付けたのかもしれないし、
ひょっとすると、その頃はまだ「羊羹カステラ」とかって名前で、
第二次大戦後に、シベリアで地面に深い穴を掘らされていた人が、
引き揚げてきて付けたのかもしれないね。

さすれば、この食い物は、「敗戦の悔しさ」とか「平和への祈り」
なんてことが込められているようで、
なかなか秀逸なネーミングをしたもんだなー、
って思わされる今日この頃ですわー。


C国が「台湾は絶対に統一する」と明言したいま、
何十年後かに、日本やアメリカで「台北パン」とか「ウイグルパン」
なんてのができていないことを心から願っておりますわー。
※台湾カステラは、もうあるけど。うまいよ

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004かぼちゃパン.jpg
かぼちゃパンも売ってたよ。
ハロウィンの季節だもんね。
見た目、メロンパンの色違いって感じだけど、
クリームがかぼちゃのカスタードって感じで、おいしかったです。



■『トレビ』新所沢店(パン、サンドイッチ、ケーキ、カフェあり)
埼玉県所沢市松葉町11-13
●TEL.(04)2992-0051
●営業時間 7:00~21:30






♪ さらばシベリア鉄道 / 大滝詠一





♪ ポーリュシカ・ポーレ / 仲 雅美



なつかしの小倉散歩  


7月のアタマに、ヤボ用があって、北九州へ行って来たよー。

その帰りに、小倉の街をブラブラ。

実は、その昔の3月から11月までの8カ月、
小倉の街なかに住んでいたことがある
んだよ。
と言っても、ホテル住まいだけどね。
某百貨店の新店オープンの宣伝・PRの仕事を承って、
その営業企画部に出向していたんだよ。
まだ、独身だったな。

百貨店の新店オープンに関わる宣伝・PRといえば、
そりゃもう、やることがたくさんあってね・・・

地方テレビ局のPR番組の放送台本書きから、
地域のお祭り協賛ツールの制作、
内覧会用の冊子の制作、フロアガイドの制作、
店内装飾、各種店内表示、売場POP、店外装飾、
オープニング式典のシナリオ、テレビCF、ラジオCM、
新聞広告、雑誌広告、新聞折り込みチラシなどなどを
オープン前の約半年ほどで納品しなきゃなんないから
とんでもなく忙しくてね。

朝8時半に出勤して、夜中の2時くらいまで仕事漬け。
仕事が終わってからも、企画部や宣伝部の課長なんかと
毎日呑みに行くからねー、ゆっくりどっかに遊びに行ける
休みの日なんか1日もなかったなー。

だから、小倉の街がなつかしいと言ったって、
ホテルから店舗までの道のりと店内、それといくつかの
飲み屋くらいしか知らないんだけどね。



八幡の目的地から小倉駅までの帰り道、
バスを途中で降りて街をブラブラ散歩してみたよ。


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松本清張が生まれたのは、1909年。
広島で生まれたらしいんだけど、
出生届が出されたのはいまの小倉北区なので、
多数の関連書物を集めた記念館があるのだ。
1953年に『或る「小倉日記」伝』で芥川賞受賞。


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小倉城にある宮本武蔵と佐々木小次郎の像。
二刀流の宮本武蔵とつばめ返しの佐々木小次郎が決闘した「巌流島」
といえば、いまの下関と門司のスキマにある船島のことだけど、
当時は小倉藩の領地で、小次郎は小倉藩剣術師範
武蔵も生涯で最も長く過ごしたのが小倉だった、
ということで建てられた銅像。


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小倉城でーす。
勝山城、勝野城、指月城、湧金城、鯉ノ城などの別名あり。
1569年(永禄12年)、中国地方の毛利氏が城を築いたのが最初。
1602年から約7年かけて、細川忠興が唐造の天守閣を築城。
細川氏が熊本へ封転してから、1632年に小笠原忠真が入城。
以後幕末まで、小笠原氏が居城。
1837年に火事で天守閣が焼失。
1866年、第二次長州征討中に、小倉藩が自ら残る城郭を焼却。
明治時代から第二次世界大戦中は、
歩兵第12旅団や第12師団の司令部が城内に置かれた。
1959年に天守閣再建。


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文学館。(汗)


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北九州市役所
近年、ココの職員を主人公にしたドラマがあったっけなー。


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市役所近くに立ってた看板。


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そういえば、小倉駅の海側にサッカースタジアムが
できたんだっけなー。


008世界体操看板.jpg

もうすぐ「世界体操」が行なわれるんだね。
体操ニッポンがまた活躍するかな。
来年は、福岡で「世界水泳」も行なわれる。


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小倉城のある勝山公園と繁華街を結ぶ「中の橋」
流れる川は「紫川」


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中の橋は、別名「太陽の橋」なのだ。


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紫川の支流・神嶽(かんたけ)川を渡る旦過橋の向こうには、
スーパー「マルワ(現ゆめマート)」が見える。


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旦過橋からは、「旦過(たんが)市場」の裏側が。
大正時代、神嶽川は水運路として使われていて、
紫川との交点となるこの地が鮮魚などの荷揚げ場として
栄えたのが始まりみたい。
いまだに建物の建設が河川法で認められていないんだけど、
川沿いによくできる戦後のヤミ市的な需要が繁栄をもたらして、
こんにちまで続いてきたという次第らしいね。
裏側の風景が、それを物語っているよね。


013魚町銀天街入口.jpg

旦過市場の入口に面した道(秋月街道)をはさんだ真向いは、
「魚町銀天街」の入口。
その昔は、市場を延長して街が形成されていたと
想像されるよね。


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旦過市場の中へ侵入!
150~200mくらいの薄暗いアーケード街だよ。


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トタンの看板がボロボロの肉屋も。
西日本ではやはり、鶏肉は「かしわ」なんだね。


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中ほどまで行くと、川と反対方向へ向かう横丁もあり。
ほとんどシャッターが閉まっているのが悲しい。


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小倉といえば、「いわしのぬか炊き」
僕は、北海道でも東京でも見たことがなくて、
小倉へ出向するまで食べたことがなかったんだけど、
これはウマイ!!


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いちばん奥まで行くと、「天神島橋」というのが。


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右手を望むと、やはり旦過市場の裏側と旦過橋が。


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旦過市場のアーケード街を入口まで戻って、
秋月街道を右折すると、有名な「丸和前ラーメン」

あれ?なんか雰囲気が変わってる!
昔は、入口にちゃんと扉があって昭和食堂みたいな
たたずまいだったのに、オープンエアな造りに。


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おでんなんかを炊いているねー。
いつからおでん居酒屋になったのよ?
うまそーだけど。


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もちろん、旦過名物・丸和前ラーメンを注文。
当然、とんこつラーメン。

あれれ、これまたずいぶん変わっちまった!
これは、フツーのとんこつラーメンだなー。

ここんちのラーメンは、“ 九州一濃厚(たぶん)”
なことで有名だったのに。
その27年前に食べた時僕は、「こんなにドロドロで、
こんなに臭いとんこつラーメンは食ったことがないっ」

「食った後ずっと、口が臭い」って、思ったほどだったのに。
あの衝撃は、どこへ?

まあ、しょうがないかあ。
あれから、バブルは崩壊したし、リーマンショックもあったし、
コロナも真っ最中だしな。
生き残っているだけでも奇跡だよねー。
今度来た時は、おでんで一杯といこうかね。


腹ごしらえをしたら、魚町銀天街の中へ。

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「ぶつだん 野上」は、地元の老舗。
午後6時を過ぎていたから、しまってら。
なんせ、小倉の駅前には、でっかい寺と墓場があったんだからね。
隣に、昔はなかった「KALDI」ができてた。


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ココは、焼うどん発祥の店「だるま堂」のあった
(いまもあるけど、経営母体が変わった)細い横丁通りの入口。
なんだかキレイになっちまった。
鰻、洋食、とんこつラーメン・・・、
妙にうまい中華料理屋の「耕治」へも行ったなあ。


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魚町銀天街を小倉駅の近くまで北上すると、
駅のやや左のエリアに到達。
このあたりは、その昔から「あっちへは、行かないほうがいいぞ」
って言われていたところ。

はい、「小倉名画座」はエロ映画専門劇場。
1・2となっているけど、僕が出向していた(エロ映画館に
出向していたわけではない)頃は、たしかどちらかは、
「薔薇族専門」って看板が掛かっていた記憶が。

八幡の製鉄所や筑豊の炭鉱で働く筋肉ムキムキの男たちには、
薔薇族もけっこういたのかなあ、なんて、
当時は恐ろしい想像をしたもんだ。
※ちなみに僕は、薔薇族ではない。
※薔薇族、の意味を知りたい方はご自身でググッてください。(汗)


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元 某百貨店で、その後も百貨店になって、
さらにその後も地場の百貨店に入れ替わって、
さらにその後は雑居型のショッピングセンターになった
駅前のピンクな大型店舗(コレット小倉)

駅からペデストリアンデッキで直行できて、
バスターミナルとモノレール駅とも直結する
便利な施設なのに、あんまり繁栄しないねぇ。

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毎年、7月はじめから行なわれる「小倉祇園太鼓」は、
福岡県指定有形民俗文化財。
今年は、やはりコロナで中止だったよ。


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圓鍔勝三(えんつば かつぞう)作「花の女神」
「おお、神よ。午後8時を過ぎたら、
飲み屋がみんな閉まってるー」ってポーズ。


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小倉にいた時に、よく行った蕎麦屋。
蕎麦のつゆは、関東とは異なるだしのきいた薄甘口。
かつ丼は、東京みたいに衣がレロレロしてなくて
サクサクしたまま載っかってたなあ。


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小倉の飲み屋街、鍛治町あたり。
鍛治町、境町、紺屋町あたりといえば、
あの死刑判決の出たトップが仕切る、反社会勢力某K会の
みかじめ料集金エリアの一つだね。

だが、ここにはあの「田舎庵」があるのだ。
昭和元年創業。
高すぎるので、一度しか行ったことがないんだけど、
腹開き、独特の串打ちで、事前に蒸さずに
じっくりと焼くのが特徴で、
関東のかば焼きとは明らかに違う食感と味だったなあ。

いわゆるかば焼き、とはちょっとイメージが違う。
蒸してないし、ゆっくり焼くもんだから、
やはりレロレロしてないのだ。
サクサクとふわふわの絶妙なバランス!
あんな鰻は、いまんとこココでしか味わったことないわ。


はいはい、翌日の朝でーす。


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行っちゃいけないあたりに再度出没。
行っちゃだめと言われるとどうしても行きたくなる、とか
やっぱりエロが好き、というわけではなく、ただ駅の近くだから。
朝のストリップ小屋の外の寂寥感が好き、というわけでもない。


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037駅ホームから.jpg

朝の小倉駅のホームから。
小倉の明太子といえば、「かば田」あたりなのだけど・・・。




小倉の某百貨店に8カ月出向してて、
春から夏へ変わって、秋へとなってしまったある日、
「応援で来てた人のお別れ会」というのを開いてくれた。
僕みたいな外注先の者や、系列他店からオープニングの
手伝いに来てた方への感謝・慰労会というわけ。

店長や店次長、各階の部・課長も勢ぞろいして、
バンケットルームを使ってのディナー会だな。

8カ月間、毎日顔を突き合わせて
営業企画や宣伝企画を寝ないで練って来た仲だから
知らない人なんていなくて、気の置けない同志の集まり。
僕も、みんなも、パーフェクトに近い仕事をし終えて、
満足感に満ちた会食会だったなあ。

デパ地下の課長たちとふざけあっているところへ
店次長がやってきた

店次長は、当時僕より15歳くらい年上だったけど、
毎日、販売計画と宣伝計画を打ち合わせて、
昼飯に一緒に蕎麦をすすられてもらった仲なので、
「これでもう、お別れか」と思うと目頭が熱くなった。
僕が提案したクリスマス企画の書類を指差して、
「これや、これでいこう!」と言ってくれたことは
一生忘れないだろう。

店次長、ビール会話の輪に加わってきて言うには、
「キミにはよくやってもらった。
そうだ、5階の紳士服売場から好きな物をもって帰りな
とのこと!

僕のアタマには一瞬、ヴェルサーチの50万のスーツが浮かんだけど、
そんなもの似合わないし、紳士服売場の課長の仏頂面が脳裏に浮かんで、
「そりゃ、ムリだ」とあきらめたんだった。

東京に帰るまでの数日、何をもらって行こうか悩んでいたと思う。
でも次第に、服なんていらねぇや、という気分になって
(紳士服売場の課長の仏頂面が脳裏に浮かんだし)、
そのままこちらに帰ってきてしまった。

その後、僕は遠距離恋愛をしたんだった。
一緒に仕事をしながら仲良くなった
その百貨店の宣伝部のコピーライターの女子とさ。
小倉と東京の中間の京都でデートしたりしてね。
そして一年半後、僕らは結婚したんだよ。

そう、僕は、ヴェルサーチの代わりに
カミさんをもらって帰ってきた
のだ。

だはは


038駅ホーム.jpg

さらばじゃ、小倉よ。
また会う日まで。





♪ 海辺の避暑地に / Atsuko





♪ 浅い夢 / 来生たかお





♪ All Down the Line / Charlie Watts




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