元祖・更科で蕎麦屋酒 ~ 『総本家更科堀井 本店』

2013/01/24


新年、仕事はじめの日。
年末に出しきれなかった請求書を作って、大手広告会社D社へ。
ついでにいろんな部署をまわって、新年のごあいさつをば。
3M社の「ポストイット手帳小物」が “御年賀” だぜ。

ひと通り巡って、腹が減ったなあ、と思ったらもう午後2時じゃん。
なんか食って今日は早く家に帰ろう、と思ったらひらめいた。
これは、都内名店昼下がりの蕎麦屋酒をやるチャンスだと。
早い時間に直帰できる、仕事始めか仕事収めでもなけりゃ、
昼間っから蕎麦屋に酒を飲みに行くなんてできないよなあ。
しかも名店って、土日や休日はめっちゃ混んでるから、
平日・午後2時のいまこそ、こりゃめったにないチャンスだぜ。

・・・というわけで、「開店から閉店まで、午後休みなし=通しでやってること」、
「新橋から比較的近いとこ」というコンセプトで店を検討したら・・・

①「能登治」

②「総本家更科堀井」

・・・って感じだわなあ。
鴨ダネで有名な「能登治」は、新橋のSL広場からすぐのとこだし、
更科のルーツ、麻布十番の「総本家更科堀井」は、
現在地から都営大江戸線で12~13分だからねー。

ニユー新橋ビルの横の道をまっすぐ歩いて行けば、
老舗名店のひとつ「虎の門 大坂屋 砂場」にもすぐ行けるけど、
前にHくんと行ったし、後でまたしっかり取材に行こうと思うので
今回はちょっと横に置いといて。

能登治のあったかい鴨南蛮も魅力だけど、新橋はしょっちゅう来るから、
ここはひとつ、こんな時でもなけりゃめったに行かない麻布十番へ、
というわけで「総本家更科堀井」へ行ってみた。

ついこのあいだまで、僕は“永坂更科”といえば「麻布永坂 更科本店」のことだと思ってた。
「麻布永坂」という言葉をデパート内の支店や通販商品などで目にしていたから、
当然 “本店” のつく店のことだと思い込んでいたんだ。

ところがどっこい、麻布永坂のあたりには3つも“永坂更科”があったのだ!

『麻布永坂 更科本店』『永坂更科 布屋太兵衛』『総本家更科堀井』の3つ。

それを知ったのは、わりと近年。とほほ
しかし、どれがホントの元祖なのか、けっこうややこしい経緯があるんだよ。


麻布永坂町にできた更科の蕎麦屋のホントのホントの元祖は、
「信州更科蕎麦処 布屋太兵衛」という名前だったそうだ。
創業は1789年(寛政元年)というから、バリバリの江戸時代。

お、だったら、『永坂更科 布屋太兵衛』がその承継店だろ、
という感じがするけど、それは○正解ではなくて△ってとこかな。
まあ、ややこしいストーリーがあるんだよ。

信州の織物の行商人で、清右衛門という人がいて、江戸にちょくちょく来ていたんだけど、
麻布の保科という武家が逗留先だった。
当時は、行商人が物を売るために突然江戸にやってきてもバンバン売れるわけもなく、
口利きというか紹介人というか、そういうネゴが必要だったんだろうね。
保科家は、信州の保科村出身というから、
信州から来ている清右衛門と何らかの関係があったのかもしれない。

清右衛門さん、なんかのきっかけでその保科さんに実家で作って食べてる蕎麦を
打ってもてなしたことがあったんだろうね。
清右衛門さんは信州人の中でも相当蕎麦打ちがうまかったらしく、
保科さんはいたく気に入り、蕎麦屋の開店をすすめたそうだ。
そもそも保科さん自身が、すごく蕎麦が好きだったということもあるらしいけど。

その時に、清右衛門さんは「太兵衛」と名前を変えて
当時の平民は苗字がないし、布売りだから「布屋」で、
くっつけて「布屋太兵衛」という名前になった。
で、店名は「信州更科蕎麦処 布屋太兵衛」となったわけ。

「さらしな」とは、信州の蕎麦の名産地「更級」のことだけど、
“級”を恩のある保科家の“科”の字に差し替えて、「更科」としたわけだ。

当時、“さらしな”を冠した蕎麦屋は「布屋太兵衛」が最初というわけではなくて、
いまの馬喰町や浅草並木町に「さらしな」や「更級」があったと記録があるから、
先行のそれらと区別するためにも“科”の字を使ったのかもしれないな。

「さらしな」や「更級」の看板や子孫は、どこへ行ったんだろう?
ひょっとすると、布屋太兵衛より古いさらしな蕎麦のルーツがあるかもしれないのに。

1800年代半ばには、逆に布屋太兵衛の「更科」をパクッて使った蕎麦屋が
何軒も出現するようになっていたらしい。

「信州更科蕎麦処 布屋太兵衛」は、保科家とのつながりから、
将軍家や大名屋敷、大寺院などにも出入りしていたと言われていて、
創業当初から御前蕎麦を名目とした高級店として超有名だったそうだ。

明治8年に、日本人全員が名字をつけることになった時、堀井とつけることにして
“布屋”は「堀井家」となった。
麻布に大名がいなくなっても高級化は進み、
蕎麦だけでなく器や調度品、店内の造作などでも群を抜いて、
敷地の面積も拡大し、宮内庁や華族なども御用達だったと言われている。
この頃が、元祖「信州更科蕎麦処 布屋太兵衛」の最盛期だったのかもしれない。

隆盛を極めた永坂更科の布屋は、1941年(昭和16年)に廃業
昭和恐慌による資金繰りの困難化や食糧統制、
そして、七代目松之助の放蕩などが原因だったという。

ところが、戦後で混乱する昭和23年頃に、突然「永坂更科本店」という蕎麦屋が出現!
堀井家とは全然関係のない、元料理屋をやっていた馬場繁太郎という人物が起業したのだ。
七代目松之助が、この人物に店名まで売ってしまったらしい。
これが、いまの『麻布永坂 更科本店』
支店が全国にあるし、けっこう人気だよね。
僕はついこの前まで、これが江戸時代からある永坂更科の本家本元だと思っていたからねー。

ハナシがややこしいのは、この次。
まったく堀井一門と関係ない人に、店の名前を持ってかれたせいで、
本物を復活させないか、という気運がモリモリ。
麻布十番商店街の小林勇という人が旗を振って、堀井家の保氏とその妻きん、
布屋時代の職人などを呼び寄せて
会社として、昭和24年にスピード再開したのだった。
実質的に、伝統のノウハウも味も復活したんだろうね、きっと。
これが、いまの『永坂更科 布屋太兵衛』

でも、この店は、うまいこと小林さんを代表とした会社組織の下に配されて、
堀井一族を役員に迎えたりしていたけど、あくまで小林さんの商才で成り立つ会社だし、
他人がどんどん儲けておもしろくないし、ということで、昭和59年、
八代目の堀井良造氏は独立して直系の店を作る
ことを決意。
これが、いまの『総本家更科堀井』ってわけ。

先にできた2店が主な名称を商標登録してしまっているので、商標権争いに勝てなくて、
この店は、布屋太兵衛直系の店だというのに、“麻布”も“永坂”も“布屋”も“太兵衛”も
店名に使えない、なんてことになっちゃった。
それで、「総本家」なんて嘘くさい冠と、本家本元の全然知られていない名字「堀井」を
くっつけるという、いちばん本物っぽくない店名になっちゃったというわけ。
でも、この『総本家更科堀井』こそが、ホントの“麻布永坂の更科”なのだ。

でも、2番目の『永坂更科 布屋太兵衛』は、
戦後すぐに始めたし、開店当初は本物の布屋の人間と職人を擁してできた店なので、
いまは堀井家の血は流れていなくても、元祖・布屋の蕎麦屋としての体液は流れているかも。
つまり、味やサービスはより元祖に近いのかも、ということ。
まあ、伝統をきちんと守っていたら、のハナシだけど。

・・・というわけで、
まず最初は元祖直系の『総本家更科堀井』に行かなくちゃ、
と決めてみたのだ。

入口は想像と違って、モダンな感じだったねぇ。
「神田まつや」や「虎の門 大坂屋 砂場」のような古風というか伝統的というか、
そういうのを勝手に想像していたっけ。

総本家更科堀井入口

入口にメニュー商品のショウケースがあるのが印象的だね。
名代とか名店と呼ばれる店では、なかなか見ることができないよね。
観光客や蕎麦好きや近所の人なんかが来ると思うけど、
誰が来てもどんなものをいくらで食べられるのかが、
びくびくしながら入る前にわかって、親切な感じがするなー。

店内も、こあがりの部分は純和風な感じだけど、
全体的には“和モダン”という趣き。
さらには、メニューの写真やパンフレットのデザインクォリティの高さなんかを見るに、
これは明らかに腕利きのプロデューサーというかディレクターというかが、
しっかりイメージ戦略を立てて仕事をしているのが伺えるな。

メニューも、やはりそんなに気軽な値段ではないねぇ。
一品料理の「板わさ」や「玉子焼き」、基本の「もり」、「さらしな」、「太打ち」、
「かわりそば」あたりはわりと標準的な値段だけど、
天ぷらの付くものや各種種ものとなると突然1500円越えとなるねー。

そうそう、昼酒を飲るために来たんだっけ、というわけで、
純米吟醸の「名倉山」一合680円の燗「玉子焼き」680円を注文。

普通なら僕は、どんなとこで呑んでも吟醸酒はたのまないんだけど、
残念ながらココには定番も季節のおすすめも吟醸酒しかないので、
しかたなく大吟醸だけは避けて純米吟醸にしたのだ。
個人的には、吟醸酒は香りが華やか過ぎて、
食中酒には向かないもんと心に決めているのだ。
ま、人それぞれだけどね。

総本家更科堀井_玉子焼き

玉子焼き!!
うわーっ、これはうまいなあ。
いままで食べた玉子焼きや出し巻玉子のどれにも似ていない。
まろやかな煮返しと出っ張り過ぎない出汁を入れて弱火で熱を通して、
しっとり湿ったクレープをきれいに巻いた、という感じ。
蕎麦汁のきいた出し巻玉子はあまたあると思うけど、
このしっとり感と絶妙な味は、いまんとこオンリーワンだな、僕の中では。

総本家更科堀井_玉子焼きアップ

もちろん、燗酒に合わないはずがないやね。
出汁と返しの発酵旨味と、酒の発酵旨味は友達だからね。

半分くらい呑んだあたりで、蕎麦を注文。
かき揚げともり、とか、さらしなや変わり蕎麦をたのむのがフツーだろうけど、
挽きぐるみの「太打ちそば」というのがあって、
へぇー、更科蕎麦屋にもこんなのがあるんだ、と思わずそれにしてしまった。

総本家更科堀井_太打ちそば
「太打ちそば」870円

総本家更科堀井_太打ちそばアップ

おーっ、太てーっ。
こりゃ、思ったより太い。
そして、長い。
これは、うどんだ。
いや、 “太いうどん” だあ。

食べていくうちに、せいろに盛られた蕎麦全体が、
たった数本の麺で構成されていることに気がついた。
こんなに太い麺を、どうやってつないで、どうやってたたんで、
どうやって切っているのか想像もつかない。
もちろん、コシがビンビンで、味も濃厚、うまいに決まってる。
ズッズッとすするのも平気で、シコシコ噛んで味わうのも好きな向きには絶好の蕎麦だなあ。
僕的には“更科”のイメージと真逆。
これ以上太くて味の濃い蕎麦があるなら、教えてほしいくらいだ。
しかし、これはもはや蕎麦じゃない、“太いうどん”だあ。

でもね、ココに来てはっきり気づいたことがひとつ、
そこいらの蕎麦屋とは、明らかに蕎麦汁の味が違うね。
要は、出汁の濃さ。
本枯節の厚削りをじっくり煮て出しを取りきる、
とはこういうことなのか、って感じ。
強烈な出しのパンチがきいている。
でも、魚臭いということはないのがミソなんだなあ。
この辺が、老舗と若い店の明確な違いかもしれないな。

あー、やっぱり更科なんだから、
“さらしな” か “かわりそば”にすればよかったかなー、
なんて思いながらミニパンフレットを覗くと、あら、楽しい!
今度は、“もり”と“季節の変わりそば”にしよっと。


【季節の変わりそば】(真白な更科そばに旬の物を練り込んだ変わりそば。)

1月4日~8日    /   桜海老切
1月9日~31日    /   柚子切
2月1日~28日    /   春菊切
3月1日~3日    /   三色そば
3月4日~15日    /   ふきのとう切
3月16日~4月10日 /   桜切
4月11日~30日   /   木の芽切
5月1日~10日    /   茶そば
5月11日~23日   /   よもぎ切
5月24日~6月5日  /   紅花切
6月6日~20日    /   蓼切
6月21日~30日   /   トマトつなぎ
7月1日~7日    /   笹切
7月8日~31日    /   青海苔切
8月1日~31日    /   しそ切
9月1日~21日    /   青柚子切
9月22日~10月9日  /   菊切
10月10日~31日   /   くこ切
11月1日~21日   /   くちなし切
11月22日~30日   /   柿の葉切
12月1日~30日   /   柚子切

※12月21日・22日のみ、かぼちゃ切


ちなみに、本家本元の「信州更科蕎麦処 布屋太兵衛」は、
いくつかの支店を残しているんだよ(いまでもやってるとこ)。

●明治20年に血縁分店第1号として生まれた、「布屋丈太郎」→ 現『神田錦町更科』
●明治32年に初の支店として生まれた、「麻布永坂更科支店布屋善次郎」→ 現『さらしなの里』(築地)
●昭和38年に有楽町更科から分れた、「布屋恒次郎」→ 現『布恒更科』(南大井、築地支店もあり)

・・・の3つ。
そのうち、ぜひ行ってみたいとこ。

しっかし、平成6年に閉店してしまったけど、『有楽町更科』に行ってみたかったなあ。
昭和初期に隆盛を極めてた店で、昭和3年に初めて旅客機が東京-大坂間に就航した際に、
一番機に蕎麦を200人前載せて大阪の祝賀会場まで出前した、というエピソードが残っているほどの店だし、
四代目の藤村和夫氏は、漫画「そばもん」の監修者だしね。
(藤村和夫氏は、2011年1月24日に逝去された)


●『総本家更科堀井 本店』
東京都港区元麻布3-11-4
03-3403-3401
11:30~20:30(L.O)
ランチ営業、日曜営業
年中無休(年末年始・夏季休暇を除く)


comment (0) @ 蕎麦>東京都港区
大人が遊ぶ “砂場” もあるんだよ | “藪” で嗜む東京の正月、いいなあ

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