葬り去られた名作 ~ 『伽倻子のために』



2014年4月25日に、韓国を訪問中のオバマ大統領が、従軍慰安婦問題について
「極めて下劣で、恐るべき人権侵害の行為」であると言っちゃったことで、
ますます日韓の摩擦が強くなりそうな気配だよなー。

僕はそれ系の報道に触れる度に、
「それよりもっと根本的な問題が残ってる」と感じるんだよ。
決して、従軍慰安婦問題がちっちゃいことだというわけではなくて。

それは、あまりにもヤバくて、みんな口を閉ざしてしまうか、
自分勝手な偏った意見ばかりを発する「在日コリアン問題」だよ。

この問題が問題なのは、もう、いかんともし難い状態になってしまっていることだと思う。

一般的な在日コリアンの人たちは・・・
●日本に住んでいながら、韓国か北朝鮮国籍
●日本人になりたい、と思っても、参政権や社会保障に制限があって、100%なりきれない。
つまり、どこかの国の国民としてのアイデンティティがない = 日本人でもなくコリアンでもないのだ。

そして、“いかんともし難い状態” とは・・・
●在日特権や社会保障の整備が進む中、日本で標準的な生活が送れていたり、
 事業成功者となっていたりで、もう祖国に帰りたくない人たちがいる
●祖国に帰りたい人たちもいるけど、いま祖国の社会に溶け込めるか不安。
 しかも、祖国の家族や親戚や企業には、負担になる人たちに帰ってきてほしくない
 と思っている人たちもいる

・・・ということで、解決への意思がフラフラしているということ。

もっと問題なのは、日本政府も韓国政府も(北朝鮮政府も)、その “宙ぶらりん” 状態を、
いまは積極的に解消しようとしているように見えない
、ということだな。
それをほったらかしといて、従軍医慰安婦問題はじめ、新たなことを問題化するから、
僕は、「それって、賠償金稼ぎや選挙のためにやってるんだろ」と感じてしまうのだ。



この映画を観たのは、1984年だったっけ?
親友のHに誘われて、初めて岩波ホールへ行ったんだっけ。
2回、行ったっけ?

劇場公開は、たしか、東京の岩波ホールと大阪の三越劇場の2カ所だけ。
しかも、短期で打ち切り
爆弾さわぎなど、各方面からプレッシャーがかかったんだよ。

その後のビデオソフトの発売もなし。
(近年、「小栗康平作品集 DVD-BOX」というのが発売されているけど、高過ぎ!)
テレビ放映もなし。
(たぶん、1~2回はオンエアあり)
さらに、いまでは誰も口にしないので、勇気をもって書いてみることにしたのだ。



001伽耶子のために_解説.jpg

↑封切り当時のチラシから、↓文章を書き出してみたよ。

***************************************************

◎ごあいさつ◎
 本年二月、発足十周年を迎えましたエキプ・ド・シネマは、
その最後の記念作品として小栗康平監督の「伽倻子のために」
を上映することにいたしました。
「泥の河」でデビューした小栗監督は、在日朝鮮・韓国人を
主人公とする、日本人にとっては極めて困難な素材に取り組み、
三年の歳月をかけて見事な作品に完成させました。
「伽倻子のために」はどうしても手作りの上映で、という監督
と製作者からのたっての要望を受けて、エキプはこの問題作を
お引き受けした次第でございます。
 十一月からの東京・岩波ホール。十二月からの大阪・三越劇場
での上映が成功し、全国各地に公開が広がっていきますよう、
みなさまの暖いご声援を心よりお願い申し上げます。
エキプ・ド・シネマ
川喜多かしこ
高野悦子

002伽耶子のために_リヤカー.jpg

◎解説◎
 わが国にとって、朝鮮問題が持つ重要性は日増しに大きくな
っている。だが現在七〇万人といわれる在日朝鮮・韓国人を
正面からみつめ、“政治” や “犯罪” でもなく、日本にいて、日本で
生活する人間そのものを捉えようとした日本映画は皆無であった。
 映画「伽耶子のために」は、李恢成が一九七〇年に発表した
同名小説の映画化である。
 第一作「泥の河」で内外の映画賞を独占し、驚異的なデビューを
果たした小栗康平監督が、三年ぶりに世に問う注目の第二作である。
「泥の河」で戦後世代の少年期を描いた小栗監督は、前作に続く
一九五七・八年を背景に、在日朝鮮人二世と日本人少女の出会いと
別離をとおして、更に一歩、戦争と日本人に踏み込んだ。
 小栗監督の十年来の念願であったこの作品は、シナリオ完成に
二年の歳月をかけ、八三年十一月クランク・イン以来、秋、冬、春の
三次の北海道ロケを含めて半年間の撮影の後、八四年七月に完成した。
 監督の小栗康平は一九四五年、群馬県前橋市生れ。早稲田大学第二
文学部演劇専修卒後、フリー助監督として浦山桐郎監督らについた。
 原作者の李恢成は、一九三五年、樺太(サハリン)生れの在日
朝鮮人作家。早稲田大学文学部卒。小栗康平と共同脚本の太田省吾
は、劇団転形劇場を主宰し、国際的に活躍する劇作家・演出家。
 メイン・スタッフは、照明ら佐藤幸次郎が加わった他は、すべて
「泥の河」と同じ、息のあった人々が顔をそろえている。
 主役の二人は共に一般公募によって決められた。主人公・林相俊
(イム・サンジュン)を演じるのは呉昇一(オ・スンイル)。在日
朝鮮人二世で新制作会友の彫刻家。主役を在日二世・三世の朝鮮・
韓国人に限定したオーディションも初めてであった。ヒロインの
伽倻子役は、南果歩(みなみ・かほ)。桐朋学園短大演劇科在学中。
二千二百人の中から選ばれて、大役を果たした。
 その他浜村純、園佳也子、加藤武、川谷拓三、左時枝らベテラン
が脇を固め、多くの在日朝鮮・韓国人一世・二世め三世が撮影に
協力、参加している。なお、この作品は劇団ひまわりの初の自主
製作による。

003伽耶子のために_抱擁.jpg

◎物語◎
 一九五八年(昭和三十三年)の夏の終わり、大学生だった林相俊
(イム・サンジュン)は、北海道の森駅に降りた。父の親友、ジョン・
スンチョン(通名 松本秋男)を訪ねるためである。樺太(サハリン)
から引き揚げて十年ぶりの再開であった。
 松本は、トシという日本人を妻にしていた。そこに伽倻子(カヤコ)
という高校生の少女がいた。相俊は樺太での記憶をたどるが、その
少女を知らなかった。
 伽倻子は本名を美和子といい、敗戦の混乱時に捨てられた少女だった。
日本人が捨て、朝鮮人が拾った少女は、いま、伽耶琴(カヤグム)
という朝鮮の琴の名をとって、伽倻子と名づけられていたのである。
 相俊は解放(日本の敗戦)後、アボジ(父親)たちと日本に留まった
が、渡日した一世世代と違い、自分が朝鮮人であることを自負する
ためには、さまざまな屈折を重ねなければならなかった。貧しい東京
の下宿生活の中で相俊は、在日朝鮮人二世の存在矛盾と格闘しながら、
伽倻子を思い出していた。
 翌年、早春の北海道で、二人はたがいの心を通わせた。その秋、突然
伽倻子は家を出た。トシは貧困を抜けられぬまま、朝鮮人と一緒に
なったことを悔いていた。
 義父、義母のの人工的な家庭の中で、伽倻子の混乱は深まる一方で
あった。ようやく探しあてた道東の小さな町で、相俊は伽倻子にいった。
「戦争があちこち引きずりまわしてくれたおかけで、ぼくたちは出会えた」。
 東京での二人の夢のような生活が始まった ー 。


***************************************************



この映画の時代背景は、1957~58年頃となっているから、
いまより民間的にも社会制度的にも差別がひどかった在日コリアン二世の時代なんだけど、
本編では具体的な差別シーンは一切出て来ないんだな。
緊張感が漂うカットは全然ないと言い切れる。
どうして、当時これが騒ぎになって、なかば上映打ちきりみたいになったのかわからないほど
穏やかな “恋愛映画” なんだよ。
北朝鮮の「帰国事業」を描いた、『かぞくのくに』の方がよっぽどあぶない感じだと思う。

日本人でもなくコリアンでもない相俊と、
樺太生まれで日本本土人でもなくコリアンに育てられたとはいえコリアンでもない伽倻子は、
愛し合うことでお互いのアイデンティティを共有したんだろうね。
お互いに貧しい生活を送りながらも、
にじみ出たものをつかむようにして得た恋がみずみずしく描かれている。



<ネタバレストーリー>

004伽耶子のために_ボート.jpg

かけおちして・・・東京での夢のような生活も束の間、
二人は伽倻子の両親に仲を引き裂かれてしまう。
主人公の相俊が大学を卒業したら結婚を認める、
ということで伽倻子は連れ戻されてしまうのだ。

相俊は10年後、北海道の伽倻子に会いに行く。
すぐにでも会いたいはずなのに、この10年が何を意味するかわかるよね。
でも、伽倻子の両親は、「伽倻子は結婚してよその土地へ行った」という。

打ちひしがれて帰ろうとする相俊は偶然、伽倻子の実家の近くで遊ぶ「伽耶子」という名前の子供に出会う。
この映画はそこで終わるんだけど、すべてのメッセージがそのシーンに集約されていると思う。

その女の子は、きっと伽倻子の娘なのだろう。
伽倻子はよその土地へ行ったのじゃなくて、両親の家にいるのだろう。
日本人として生まれて捨てられて、育ての父が在日コリアンで、育ての母が日本人の家庭では、
若い日本人の伽倻子が「美和子」として稼ぐしかないんだろう。
在日コリアンの伽倻子の父は、娘を在日コリアンと結婚させたくなかったのだろう。
それほど当時の日本は、在日コリアンの生活は大変だったのだ。
子供はいるけど、連れ合いはいるのだろうか。

在日コリアンへの差別や、差別のせいで強いられる極貧生活に対する大きな叫びが
このたった1つのシーンから聞こえてくる。

差別にさらされるのに、なぜ子供に「伽倻子」という名前をつけたんだろう?
それは、相俊をいまでも愛しているということなんだろうか。
結局、在日コリアンの男性との結婚を余儀なくされたということなんだろうか。




『泥の河』に勝るとも劣らぬ、小栗康平の隠れた名作だべ!

そこで僕は文字を大にして言いたい・・・
関係者のみなさん、DVDを再版してくれー!!



005伽耶子のために_ポスター.jpg

●『伽倻子のために』(For Kayako)
1984年 日本
上映時間: 117分
監督:小栗康平
原作:李恢成
脚本:太田省吾 、 小栗康平
企画:砂岡藤三郎
製作:砂岡不二夫
プロデューサー:藤倉博
助監督:佐々木伯
製作会社:劇団ひまわり
撮影:安藤庄平
美術:内藤昭
音楽:毛利蔵人
録音:西崎英雄
音効:本間明
照明:佐藤幸次郎
編集:小川信夫
スチル:ペ・ソ
配給:劇団ひまわり
出演:呉昇一、南果歩、浜村純、園佳也子、加藤武、川谷拓三、左時枝 ほか
受賞:フランス・ジョルジュ・サドゥール賞受賞
   ベルリン映画祭・国際アートシアター連盟賞受賞
   ロカルノ映画祭・国際映画批評家受賞
   '84年キネマ旬報ベストテン第8位
   '85年大阪朝日新聞日本映画ベスト10・第1位


コメント

同感です

伽耶子のために…
すみません、ワタシは、見ていません…
と言うか、見えていません。
そうですよね、TVでも放送されてないし、
その他のメディアでも見かけません。
是非とも、BSプレミアム等での放送を希望します!!

2014/04/27 (Sun) 06:52 | 映画カッパ #- | URL | 編集
No title

こんにちは
この映画知りませんでした。と言ってもしっるている人の方が少ないんですよね。
実は嫁。日本の在日朝鮮人の方の事を良く知りません。
韓国の事ですら2000年以降シドニーに増えてきた韓国人のワーキングホリデーメーカーの人たちから聞いた位ですから…それまで韓国なんて全然知りませんでした。でもキムチは知ってましたよ。
日本も色々大変だな~と、今のアメリカと一緒で力があった時は誰も何も言いませんが、弱くなって来れば叩かれるということでしょうか?

政府におんぶにだっこの国民もいけませんよね。と、今日本に住んでいないのでコメントはこのくらいにしておいた方が良いのかも…

2014/04/27 (Sun) 11:37 | サンデーランチ #- | URL | 編集
No title

原作は学生時代に読みました。
正直、あまりにも時間が経っているので内容を思い出せませんでしたが
つかりこさんの記事中の「伽耶子という名前の子どもに会う」というところ読んで
ぱぁ~~っと記憶がよみがえりました!
そうそう、そこ、とても切ない気持ちになったんだったわ。
小栗康平で映画化されているのを知っていたのに観に行かなかったのは
上映館が少なかったからなのかしら~。記憶が・・・。
私も観てみたいです。
DVD再版を求めて署名活動でもしますかね?(笑)

2014/04/27 (Sun) 12:46 | さとちん #WOq6nlhY | URL | 編集
こんにちは

この映画、お話はほんとに素敵なラブストーリーですね。
在日韓国・朝鮮人の方に限らず、両親が国際結婚の子供なども、
物心つくころ、自分のアイデンティティーについて悩むこともあると思います。
それにしても、南果歩さん可愛いですね〜!

2014/04/27 (Sun) 20:29 | 里花 #- | URL | 編集
Re: 同感です

師匠、コメントありがとうございます。

この映画は、70~80年代のATGを代表とする日本映画の中でも
きわめてあの当時の日本映画らしいトーンの映画ですよ。
小栗康平らしい暗い映画ですが、それゆえに主人公の恋愛の
みずみずしさが浮き彫りにされています。

極めて観るのが困難なものを紹介してもしょうがないかもしれませんが、
自分の備忘録的な意味と、そう、ホントに再販してほしいので、
書いてみました。すみません。

BSなどでやっていたら、ぜひご覧ください。
「泥の河」系のカテゴリーでは、まちがいなく傑作のひとつだと思います。

2014/04/28 (Mon) 00:50 | つかりこ #- | URL | 編集
Re: サンデーさん、コメントありがとうございます!

個人的には、韓国や中国と日本が仲良くないというのは残念でなりません。
せっかくの近隣なんだし、いまやアジアを代表する国々なのに
協調してアメリカやユーロと対抗できるような経済圏を築けるのにと思います。

日本は、経済力も産業力も人間力も、まだまだ世界的にハイレベルだと思います。
新興国からの突き上げにさらされるのは、先進国の宿命ですので、
早くこの状況を抜け出すビジネルモデルを生み出す必要がありますねー。

2014/04/28 (Mon) 00:52 | つかりこ #- | URL | 編集
Re: さとちんさん、いらっしゃいませー。

あ、原作、読まれたんですね。
さすがです。
僕も80年代に読みましたよ。
そうそう、原作にかなり忠実な映画作品ですので、
本を思い出していただければわかると思います。

ただ、原作とは一か所だけ違うところがあります。
映画では、物語の後半で、東京の普通の町の住宅街で
夜、蟹江敬三さんが水道局らしき人のいでたちで、
地面に耳をつけて水道管の音を聞いているシーンがあります。
(音を聞いて破損等がないか検査している)
かけおちして東京の下宿で暮らしている二人も
それを真似して地面に寝そべって水の音を聞きます。
シュールなカットですが、ふたりが “希望が動き出している音”
とでもいうものを耳にして幸せを確かめ合うシーンで、
原作にはない映画ならではの名シーンです。
BSなどのオンエアやDVDの発売があったら、ぜひぜひどうぞ。

2014/04/28 (Mon) 00:54 | つかりこ #- | URL | 編集
Re: こんにちは

里花さん、コメントありがとうございます!

そうそう、実はこの映画が南果歩さんのデビュー作なんですよ。
僕が掲出した写真だけではわかりずらいものがありますが、
劇中の19歳の南果歩さんは、ホントめちゃくちゃかわいいです。
当時、一発でファンになってしまいました。
ここだけのハナシですが、ヌードにもなります。
20代だった僕は、おもいきりやられてしまいました(笑)。

2014/04/28 (Mon) 00:57 | つかりこ #- | URL | 編集
つかりこさん、こんにちは!

韓国や中国と上手く協調していくのが理想ですよね。
互いを攻撃し合うような言葉は聞きたくありません。

だけどもし、自分の子供が在日の方と結婚したいと言ったら・・・
もろ手を挙げて賛成できない自分がいます。
認めたくないけど、根っこに差別があるのかなぁ・・・
ああヤダヤダ、反省。

2014/04/28 (Mon) 16:52 | YAN #9L.cY0cg | URL | 編集
No title

在日朝鮮人の問題は難しすぎて、コメントがしずらいですね。
ただ、あまりにも反日的な発言が続くと、日本人として気持ちが良くないですし、
嫌いな人にまで無理をして好かれたくない感情と同じで、好意的な目で見れませんね。

この映画は、穏やかな “恋愛映画” ということで、小栗康平の隠れた名作ということで、
見てみたい気もしますので、再販されれば良いと思います。

2014/04/28 (Mon) 19:31 | takaki11 #- | URL | 編集
Re: つかりこさん、こんにちは!

YANさん、コメントありがとうございます。

> だけどもし、自分の子供が在日の方と結婚したいと言ったら・・・
↑自分自身に差別する気持ちはなくても、
 もし差別などで子供がつらい思いをすると思うとね。
 「差別を容認してる」と言われたらそうかもしれないけど、
 でも、わが子のこととなると、万が一にもと考えてしまいますね。
 ま、最後は本人の意思次第だとは思いますが。
 そういう気持ちがなくなる国になってほしいと思います。

2014/04/29 (Tue) 11:52 | つかりこ #- | URL | 編集
Re: takaki11さん、コメントありがとうございます。

そうですよね、こういう問題はコメントが難しいですよね。
良く言っても、悪く言っても、「盗人猛々しい」ということになりそうです。

僕は、韓国がどんなに反日キャペーンをやっても、
在日コリアンの知人を恨むことはありませんし、
逆に在日コリアンの知人に日本のことを悪く言われる筋合もないと思っています。

在日コリアンの人たちは、韓国に国籍がありますが、
生まれてずっと日本にすんでいる人たちは、もう日本人ではないでしょうか?
なのに国民としての権利が制限されていたり、
母国に帰る、という選択肢が薄れているのが問題だと思うんです。

「うるさい、お前ら日本人のせいでこうなったんだろ」と言われると
“盗人猛々しい” ということになりますが、ホントにそうでしょうか?
僕は韓国や北朝鮮の人を強制連行した覚えはないし、
在日コリアンの知人たちと他の日本人の知人たちと同じように、
一緒に仕事をしたり遊んだりしているからです。

コメントありがとうございました。

2014/04/29 (Tue) 12:13 | つかりこ #- | URL | 編集
『伽耶子のために』

平和な日本。過酷な人生も、普通にある。これは日本に限ったことではないですね。小栗康平作品、最高な珈琲(スタバ・クラス笑)を飲みながらら、いつか贅沢(あまりある時間)に観たいですね。『小栗康平』知りませんでした。

2014/04/29 (Tue) 15:15 | JOHNNY #- | URL | 編集
Re: 『伽耶子のために』

JOHNNYさん、コメントありがとうございます。

小栗康平は、社会派映画の日本代表みたいな監督です。
現象面だけでいうと、これ以上ないというくらい「暗い」です(笑)。
1960~70年代に、日本の映画は、社会派か人間心理を追究した
文芸作品的な映画が一部で流行していて、
概して静かで暗いものが多かったのですが、
小栗作品はその中でも特別に、気持ちがいいくらい暗いです。

きっと、「こんな映画もあるんだ」と衝撃が走ると思います。
ぜひお試しください。(笑)

2014/04/29 (Tue) 21:27 | つかりこ #- | URL | 編集
今や伝説の映画ですね。

 私は「本場」の大阪に住んでいますし、一時期ハッキョ(朝鮮学校)を支援する運動に関わった事がありましたので、若干は状況を知っています。

 現在、以前に比べては日本籍に変えるコリアンが増えつつありますが、以前として朝鮮籍に留まる人が多いですね。海外旅行などを楽しみたい人がやむを得ず韓国籍に変える人はいても、日本籍にはなりたくないという方が多い。

 この作品が公開された当時の社会情勢のまま現在に至っていたら、たぶんDVD化されていたでしょうし、街のレンタル屋にも置かれる名作に加えられていたでしょう。なんといっても南果歩氏の初々しい姿を記録した作品なんですから。

 今はあの時以上に難しい時代です。
 中国も韓国も北朝鮮も悪い意味で変わりました。この変化が、護憲派の主張から説得力を削ぐ効果を生み、逆に排他的保守派の言い分に説得力を与える効果を生んでいます。中国も韓国も経済発展されたことは良き事なのですが、貧富の差が広がり社会不安をきたした結果、誤ったナショナリズムが流行っています。経済の発展で自国への過度の自信と、社会不安のために体制権力が日本への悪意を煽っています。
 知人の中には、コリアン差別反対の主張だったのに海外に留学して戻ってきたら180度変わった者が少なからずいます。当たり前の話ですが、日本国内ではコリアンは少数者であり日本人は圧倒的多数派ですが、海外では対等な力関係です。特に留学場所が中国や韓国だと逆転するので、相手は日本人への敵意を隠さず、日本人が狼藉を受ける。この場合、韓国や中国に憧憬を抱いていく日本人が多いので、幻滅を絶望を感じて宗旨を変えてしまう悪循環です。

 90年代までは、少なくとも中国は上手くやっていました。「日本人民と我々中国人民はともに軍国主義の被害者です」、私も含め多くの日本人がこの主張に感銘を受けたものです。
 ここにきてできなくなっている。

2014/05/04 (Sun) 23:19 | 晴雨堂ミカエル #- | URL | 編集
Re: 今や伝説の映画ですね。

晴雨堂ミカエルさん、コメントありがとうございます!
貴重なお話を賜わり、ありがとうございました!

おっしゃる通りですね。
現在は、中国や韓国の経済力や政治力が高まり(本来良いことですが)、
さらにややこしいことになっているんでしょうね。

韓国に長期赴任していた知人やアメリカに住んでいる知人には、
ずっと日本に住んでいる私などよりはるかに韓国や中国を憎んでいる人もいます。
彼らが在日コリアンの人たちに憎しみを持つとしたらお門違いですが、
それでも以前とは色眼鏡のかかりかたが異なってきているんでしょうね。

在日コリアンの人にも、「あの時、祖国に帰るべきだった」とか
「日本籍にすべきではなかった」と後悔し、日本への憎しみをぶり返させている
人もいるのかもしれませんね。
僕の知人のひとりには、元中国籍の現日本人がいて、発展著しい日本にあこがれて
日本人になったものの、現状に鑑み「中国に帰ろうかな」と思うこともある、
という人もいるくらいですから。

2014/05/05 (Mon) 15:05 | つかりこ #- | URL | 編集
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2014/09/08 (Mon) 00:16 | # | | 編集
人生を大きく変えた映画 伽倻子のために

1984年晩秋、神保町のエキプドシネマで3回観ました。当時地方から上京したての大学1年で、南果歩の儚げな可愛らしさに、完全に魂を持って行かれてしまいました。後年、TVで見かける南果歩に、あの当時の面影を捜しても別人にしか見えなかったので、こうして当時の写真をアップして頂けると、とってもありがたいです。私は、この映画を契機に、原作( 文庫版 )を手に入れ、更に李恢成氏(原作者)始めいわゆる「在日文学」と言われる作品群を読んで、よくわからなかったこの映画の時代背景を自分なりに理解して行ったのを覚えています。
当時の印象では、オープニングの音楽、夜の白樺林を歩く伽倻子、ハルモニの身世打令、森町の伽倻子の実家から海を見下ろす坂道、などが強烈に印象に残っています。樺太での原景やオホーツクの厳冬を在日コリアンのおかれた状況に重ねた「起」、夏の森町での伽倻子との邂逅が「承」、東京での二人だけの生活が、いともたやすく崩壊する「転」では在日コリアンにとって長い夜だけが延々と続く暗示、最後10年後、冬に鈍色の森町を再訪して言葉を交わしたクナボジの「ウリはお前が誰だか知らないんだ。」と突き放され、外で見かけた少女の名前を知ることで二度突き放されるくだりは、もはや「結」ではなくて再び「起」ではないかとさえ思います。当時の在日コリアンの状況を、どこまで行っても堂々巡りの閉塞感として表現しているのかなあと感じました。あれから30年、今観るとどう感じるのか、そのためには、やはり再版して欲しいものです。

あと、最後の少女の名前、確か原作では「美和子」だったかと思います。自分の娘につけた名前が「伽倻子」か「美和子」か、メッセージが全然変わってきますよね。

2014/12/28 (Sun) 06:52 | 再版切望 #cBcn7mn2 | URL | 編集
Re: 人生を大きく変えた映画 伽倻子のために

再版切望さん、コメントありがとうございます!

> 1984年晩秋、神保町のエキプドシネマで3回観ました。

↑岩波ホールじゃなかったですか?
僕も2回観たので、すれ違っていたかもしれませんね。
そして、年齢もおなじくらいですねー。

> 当時の印象では、オープニングの音楽、夜の白樺林を歩く伽倻子、ハルモニの身世打令、
> 森町の伽倻子の実家から海を見下ろす坂道、などが強烈に印象に残っています。

↑僕は映画的な表現の部分で、二人が東京の住宅街で、地面に耳をつけて
水の音を聞くシーンがとても印象深く記憶に残っています。

> 外で見かけた少女の名前を知ることで二度突き放されるくだりは、
> もはや「結」ではなくて再び「起」ではないかとさえ思います。

↑おっしゃる通りだと思います。
少なくとも、在日三世はまたおなじようなつらいめに合うことを暗示していますよね。
堂々巡りに愕然とするシーンだと思います。

> あと、最後の少女の名前、確か原作では「美和子」だったかと思います。
> 自分の娘につけた名前が「伽倻子」か「美和子」か、メッセージが全然変わってきますよね。

↑そうですよね!
「美和子」のほうが “つらさ” が強調されると思います。
「伽倻子」だと、“強さ” とか “決意” みたいなものを感じでしまいます。
意味が異なりますよね。

映画ではわかりやすくしようと、「伽倻子」にしたんでしょうけど・・・。

この作品をここまでいろいろ考えてらっしゃる方に合ったのは、2人目です!
よくぞ!と驚いています。
ぜひとも、再版してほしいですよねー、ぜひ!

すばらしいコメントをありがとうございました。

2014/12/29 (Mon) 02:20 | つかりこ #- | URL | 編集
遠い記憶を手繰り寄せて

私が見たのは、そう、岩波ホールで、何故だか「エキプ・ド・シネマ(専属配給会社)」名の方が印象に残りました。84年11末に観て、スクリーンの伽倻子に一目惚れしてしまい、その後、12月中旬、2月初旬と2回会いに行きました。(笑)
私が見たのは、そう、岩波ホールで、何故だか「エキプ・ド・シネマ(専属配給会社)」名の方が印象に残りました。84年11末に観て、スクリーンの伽倻子に一目惚れしてしまい、その後、12月中旬、2月初旬と2回会いに行きました(笑) 。私の記憶では短期打ち切りのイメージではなく3ヶ月くらいのロングランだったように思います。本当にこの映画の南果歩は、儚げで愁いのある涼しい眼と女性らしいぽっちゃり感があって、主人公のイメージとも相まって、一種の偶像の様でした。在日コリアンという背景も、当時は閉ざされた、秘められた物語を垣間見るといった感じで、ゾクゾクしたのを思い出します。ブログ主様は、真夜中の水道管漏水調査の場面が "希望が動き出している音を耳にして幸せを確かめあう シーンとして一番印象に残った"とありますが、私はちょっと別の感じ方をしていました。この映画の隠された主題に「完全なる家族を求めて得られない不完全な側の絶望」みたいなものがあるような気がしていて、例えばそれが ①円満を演じれば演じるほど綻んでいく伽倻子の人工家庭 ②同様に相俊の家も皆がバラバラ。③金魚は仲良くキスしているみたいに見えるが、実は互いに牽制しあっている、という相俊と友人(古尾谷雅人)の会話 ④東京のレストランで伽倻子が言った、「お金で何でも買える。だけど全部は買えない … 」。伽倻子が地面を通して聴いてしまったのは、今度こそ完全な幸せを手に入れるはずだったのに、またしても綻んでゆく水漏れの音。頬を伝う涙はそれゆえの涙だったのではないかと思っています。その意味では、あまりに切なすぎる場面だったと思います。

ところでこの映画が上映当時、外部の圧力がかかっていたというのは知りませんでした。でも、今思い出すと、やばい表現がありました。済州島虐殺事件を踊りのお姉さんに語らせていましたね。当時の韓国政府がひた隠ししていたタブーをあからさまに告発しているとなっては、商業上映館では難しかったのかも…。

2015/01/12 (Mon) 10:39 | 再版切望 #- | URL | 編集
Re: 遠い記憶を手繰り寄せて

再版切望さん、ご再訪ありがとうございます。

> 私が見たのは、そう、岩波ホールで、何故だか「エキプ・ド・シネマ(専属配給会社)」名の方が印象に残りました。84年11末に観て、スクリーンの伽倻子に一目惚れしてしまい、その後、12月中旬、2月初旬と2回会いに行きました(笑) 。私の記憶では短期打ち切りのイメージではなく3ヶ月くらいのロングランだったように思います。

↑ロングランでしたっけ?
私は始まってすぐとその1週間くらい後の2回行ったのですが、
2回目は、もうじき終わってしまうので、とあわてて行った記憶がありまして、
そのせいで、早く打ち切られた記憶になっていました。

>伽倻子が地面を通して聴いてしまったのは、今度こそ完全な幸せを手に入れるはずだったのに、またしても綻んでゆく水漏れの音。頬を伝う涙はそれゆえの涙だったのではないかと思っています。その意味では、あまりに切なすぎる場面だったと思います。

↑僕はたしか、蟹江敬三は水漏れ検査をしてはいましたが、二人が聞いたのは「水もれ」ではなく、
「水の流れる音」と記憶していました。
また、伽倻子が親に連れ戻されるのはこのシーンの後のことで、二人の幸せの絶頂のタイミングだったと思い、
ポジティブに捉えました。
ひとたび本土を捨てて出て行った樺太引き揚げ者の生活は、親兄弟もいず、親戚からも疎まれ、
職にも就きにくく、大変なものがありました。
この映画は、在日コリアンはそれよりも過酷な在日コリアンのあり方を描こうとしたのだと思いますが、
その最も幸せから遠い二人が、地上で幸せな家庭が存在する街の地下に、誰にも知られず隠れるように
流れる水の音に自分たちの生を感じたのだと思いました。
地下であり、地上に出ることもないないであろうことに、悲しみも同時に感じたのかもしれません。

> ところでこの映画が上映当時、外部の圧力がかかっていたというのは知りませんでした。でも、今思い出すと、やばい表現がありました。済州島虐殺事件を踊りのお姉さんに語らせていましたね。当時の韓国政府がひた隠ししていたタブーをあからさまに告発しているとなっては、商業上映館では難しかったのかも…。

↑チュマチョゴリの女性たちが踊りながら泣き叫ぶシーンははっきりと覚えていますが、
済州島四・三事件のことに触れていましたたっけ?
そうなら、いよいよ各方面からのプレッシャーが合ったのかもかもしれませんね。

とにかく、あまりに昔のことなので、あやふやな記憶を頼りにするのをやめるためにも
ぜひ再版してほしいものですよね。
もちろん、おっしゃる通りものすごく初々しくてかわいらしい19歳の南果歩にもう一度会うためにも。

さらにいろいろ教えてくださり、ありがとうございます!

2015/01/13 (Tue) 18:23 | つかりこ #- | URL | 編集
会って来ました、懐かしい伽倻ちゃんに。

会って来ました、あの頃の伽倻ちゃんに。
もちろん映画の中でですが。
You Tubeで「伽倻子のために」といれて検索するとSHOCHIKUのオンデマンドで視聴できます。
コンビニでgoogle playのプリペイドカードを事前購入しておく必要があります。
DVDばかりに意識がいっていましたがオンデマンドは盲点でした。そろそろ古い人間の部類に入ってきたようです…

2015/03/28 (Sat) 10:58 | 再販切望 #QnigMt4Q | URL | 編集
Re: 会って来ました、懐かしい伽倻ちゃんに。

再販切望さん、コメントありんがとうございます。

> 会って来ました、あの頃の伽倻ちゃんに。
> もちろん映画の中でですが。
> You Tubeで「伽倻子のために」といれて検索するとSHOCHIKUのオンデマンドで視聴できます。
> コンビニでgoogle playのプリペイドカードを事前購入しておく必要があります。
> DVDばかりに意識がいっていましたがオンデマンドは盲点でした。そろそろ古い人間の部類に入ってきたようです…

↑おー、観られますかあ。
僕もそのテでやってみたいと思います。
情報、ありがとうございました!

2015/03/28 (Sat) 13:02 | つかりこ #- | URL | 編集
とても懐かしいです。

ブログを拝見させていただいて本当に懐かしく感じています。
すべてのシーンが抒情的に流れていく様が印象強く脳裏に流れていきます。
皆さんのコメントにあった蟹江敬三さんの扮する水道局員(?)のシーンは私も本当に強く心に残っています。
たしか義父(浜村淳)に「10年間娘を返してくれ」と言われた後のシーンだったと記憶しています。
それ故に『10年後は無い。もうこれで会えないんだ・・』と覚悟をした伽耶子の涙なんだな・・と想像していました。

小栗監督の映画は泥の河をはじめ全て見ましたが、なかでもこの伽倻子のためには一番印象に残っています。
新作もこちら金沢では12月に上映されるようですので、とても楽しみです。

2015/12/15 (Tue) 10:46 | くすくす #- | URL | 編集
Re: とても懐かしいです。

くすくすさん、コメントありがとうございます。

> ブログを拝見させていただいて本当に懐かしく感じています。
> すべてのシーンが抒情的に流れていく様が印象強く脳裏に流れていきます。

↑そうですねー。
『泥の河』はモノクロ写真のような淡々としたドラマという感じですが、
『伽耶子のために』のほうは少しふぁーとしたタッチですよね。
とくに、蟹江敬三さんが出てくるシーンは、あの作品の中でも最も
シュールというか非現実感の漂ったシーンだと思います。

> 皆さんのコメントにあった蟹江敬三さんの扮する水道局員(?)のシーンは私も本当に強く心に残っています。
> たしか義父(浜村淳)に「10年間娘を返してくれ」と言われた後のシーンだったと記憶しています。
> それ故に『10年後は無い。もうこれで会えないんだ・・』と覚悟をした伽耶子の涙なんだな・・と想像していました。

↑あれ?そうでしたっけ?
僕は東京に訪ねてきたお父さんに「娘を返してくれ」と言われる前のハナシだと思っていました。
別れることになる寂しさではなく、一緒に暮らせてる束の間の幸せを感じているシーンだと。
んー、肝心なシーンだというのに、すっかり記憶があいまいです。
これは、そのうちに見直してみないとだめですね。
ご指摘、ありがとうございました。

> 小栗監督の映画は泥の河をはじめ全て見ましたが、なかでもこの伽倻子のためには一番印象に残っています。
> 新作もこちら金沢では12月に上映されるようですので、とても楽しみです。

↑藤田嗣治を描く 映画『FOUJITA』ですよね。
藤田嗣治のハナシはけっこう有名で、配役も人気どころなので、
やはり反戦を訴えそうな社会派ではありますが、
小栗監督にしては珍しく商業的にも成功しそうな作品だと思っています。
楽しみですよね。

2015/12/15 (Tue) 15:42 | つかりこ #- | URL | 編集
コメント有難うございます。

つかりこさん、ご返答ありがとうございます。
先日、昔のビデオを整理していましたらありました。
『伽耶子のために』
さっそく押し入れにしまってあったデッキを引っ張り出してみました。
とても懐かしくて、本当に胸が詰まりました。

伽耶子が相俊とともに東京に行ってからしばらくして、相俊が大事にしていた古書を2人の生活のために売るというシーンがありました。
その後、2人で食事に出かけたときに、「高い物を食べよう」という相俊に「おなかがいっぱいなんだから・・」とこたえる伽耶子。
見ようによっては『幸せで胸がいっぱい』と言う風に受け取れるのですが、私は『自分が来たせいで相俊に無理をさせている。自分はここにいて良いのだろうか。』と言う風にとらえました。
夕方に二人が部屋で寝ていて「相俊、もう起きようよ・・」と言う伽耶子に何も言わず目も向けない相俊。
このシーンが最後の別れ、蟹江敬三さんのシーンに繋がるのだな・・と感じました。 両親が迎えに来た事が理由ではなく、伽耶子は相俊の元を去る決心をしていたのではないかな・・と。
伽耶子との生活が楽しすぎていつしか大学に行かなくなった、しかしそれをいいことだと思ってはいない相俊。
いつしか伽耶子との生活に甘んじすぎて怠惰になっている自分をも相俊は感じていたのではないかなと思います。
クナボジに「大学はどうするんだ。」と聞かれ何も言えなかったのは、いけないことだと自分でもわかっている彼の心の表れなのかなと思いました。だからこそ『10年の別れ』を承諾するしかなかったのではないかと・・。
まだまだ見るたびに考えてしまう所があります。
それだけにこの物語の主題が深いのだろうな・・と思うのです。

稚拙な文章にて失礼いたしました。

2016/02/18 (Thu) 20:11 | くすくす #- | URL | 編集
管理人のみ閲覧できます

このコメントは管理人のみ閲覧できます

2016/03/20 (Sun) 12:35 | # | | 編集
Re: コメント有難うございます。

くすくすさん、コメントありがとうございます。

> つかりこさん、ご返答ありがとうございます。
> 先日、昔のビデオを整理していましたらありました。
> 『伽耶子のために』
> さっそく押し入れにしまってあったデッキを引っ張り出してみました。
> とても懐かしくて、本当に胸が詰まりました。
>
> 伽耶子が相俊とともに東京に行ってからしばらくして、相俊が大事にしていた古書を2人の生活のために売るというシーンがありました。
> その後、2人で食事に出かけたときに、「高い物を食べよう」という相俊に「おなかがいっぱいなんだから・・」とこたえる伽耶子。
> 見ようによっては『幸せで胸がいっぱい』と言う風に受け取れるのですが、私は『自分が来たせいで相俊に無理をさせている。自分はここにいて良いのだろうか。』と言う風にとらえました。
> 夕方に二人が部屋で寝ていて「相俊、もう起きようよ・・」と言う伽耶子に何も言わず目も向けない相俊。
> このシーンが最後の別れ、蟹江敬三さんのシーンに繋がるのだな・・と感じました。 両親が迎えに来た事が理由ではなく、伽耶子は相俊の元を去る決心をしていたのではないかな・・と。
> 伽耶子との生活が楽しすぎていつしか大学に行かなくなった、しかしそれをいいことだと思ってはいない相俊。
> いつしか伽耶子との生活に甘んじすぎて怠惰になっている自分をも相俊は感じていたのではないかなと思います。
> クナボジに「大学はどうするんだ。」と聞かれ何も言えなかったのは、いけないことだと自分でもわかっている彼の心の表れなのかなと思いました。だからこそ『10年の別れ』を承諾するしかなかったのではないかと・・。

↑んー、なるほどですねー。
僕もこの映画を2度観て、これまでも感じていた疑問は、
「親が迎えに来たからといって、なんですんなり伽倻子は帰ってしまったのだろう?」
ということでした。
愛し合っているのなら、無視してでも一緒に暮らせばいいのに、ということです。

でも、おっしゃるご指摘を読んで目からウロコが落ちたような気がします。
伽倻子は、両親の生活苦を助けることを選んで帰ったのだと思います。
確かに、二人の幸せな生活と裏腹に、相俊が怠惰になっていくことを
気に病んではいたのだとは思いますが、それが別れる原因になるほどの
ことではないような気がします。
一緒に改善すればいいことですからね。

そうこうしているうちに、両親がやってきて働き手のいなくなった窮状を訴えたわけ(はず)です。
たぶん、在日コリアン二世の父と日本人ではあるけれど置いてしまった母は、
差別などで暮らしていけなくなっていたのでしょう。
映画では何も語られていないですが、伽倻子はそっちを助けることを泣く泣く選んだんだと思います。
そうすれば、相俊は大学を出れば生活していけないこともないでしょう。

この物語のミソは、日本人妻をめとっていて、貧しい生活を覚悟していてさえも、
娘の若さを使って代わりに稼がせなくてはならないくらい、
在日コリアン二世の暮らしは辛いものであったことを訴えることだと思うんですよ。
伽倻子と相俊は、貧しく、なおかつ、今後差別されて苦しい生活を強いられることを
覚悟してまで一緒になろうとしても、そんな慎ましい希望さえも許されないほど
在日コリアン二世は社会的に辛い生活を送っていたということです。

伽倻子は、東京に出てきた時から、自分がいないと故郷の両親の生活がすぐに破たんして、
いつか帰らなくてはならなくなることをわかっていたに違いありません。
してみれば、水道の音を聞くシーンでは、「まわりの普通の家庭の人には聞こえない地下という闇の中に
自分たちの現在や未来を重ねながらも」、「確かに流れる水の音に二人の幸せの存在を聞き」、
「いつ壊れて漏水してしまう(帰らなくてはならなくなる)かもしれない状況におびえる」
といった表現をしたのではないかと腑に落ちた気がします。

そう捉えれば、ラストシーンの意味も深くわかる気がします。
伽倻子が自分の娘に「美保子」というような名前をつけずに
「伽倻子」という名前をつけた理由。
それは、いつか迎えに来たとしても会わせてもらえるはずもない相俊に、
「自分がいまでもここで暮らしていること」や「自分がかつて伽倻子であって相俊と幸せな
時間を過ごした思い出を忘れていないこと」、「在日コリアンと引揚者の両親を支える
暮らしから抜け出せないこと」を伝えたかったのではないかとということです。

> まだまだ見るたびに考えてしまう所があります。
> それだけにこの物語の主題が深いのだろうな・・と思うのです。

↑そうですね。
この後にコメントしてくれた方の情報では、
単刊で『伽倻子のために』のDVDが発売されたようです。
ちょっと手に入れて、再度観てみようかなと思っています。
まだまだ、いろいろなことを発見して悩まされそうで、楽しみです。(笑)

> 稚拙な文章にて失礼いたしました。

↑いやいやとんでもないです。
こちらこそ、長く、いい加減な文章で申し訳ありません。
ご教示を賜ったおかげさまで、スコーンとモヤモヤが払拭されました。
ありがとうございました!
今後ともどうぞよろしくお願いいたします。

2016/03/22 (Tue) 02:16 | つかりこ #- | URL | 編集
Re: 鍵コメさん、コメントありがとうございます。

ええっ?!オーディション!!ものすごいハナシですねー!!
なんてすごいご縁なんでしょう!!!
むむむー、よかったら何かの方法で、その辺のお話をもっとうかがいたいところです。
へー、すごいですー。

はい、DVDは単刊で出たら買おうとうん十年も前から願っていたので、
ありがたく情報を賜ります。
観たら、改めて感想をアップしたいと思います。

お知らせありがとうございました。
また、遊びに来てくださいねー。

2016/03/22 (Tue) 02:25 | つかりこ #- | URL | 編集
はじめまして

「伽倻子のために」懐かしいなぁとこのページにたどり着きました。
学生のころに札幌の小さな映画館で2度ほど観ました。
すぐに森町へロケ地探しに行きましたが、あの白樺林は見つけられませんでした。

2016/06/24 (Fri) 10:28 | nico #- | URL | 編集
Re: はじめまして

nicoさん、はじめまして!
ご訪問、ありがとうございます。

> 「伽倻子のために」懐かしいなぁとこのページにたどり着きました。
> 学生のころに札幌の小さな映画館で2度ほど観ました。
> すぐに森町へロケ地探しに行きましたが、あの白樺林は見つけられませんでした。

↑おおー、札幌でも放映されたんですね!
それは知らなかったです。
てっきり、東京と大阪だけだと思っていました。

それとおもしろいのは、この映画って、2度も3度も観る人が多いみたいですね。
繰り返し観るように作られているような映画ではないはずですがねぇ。

お、あの白樺の道は函館の森町だったんですか?
美しく代表的なシーンですが、どこで撮ったという情報がないと
北海道にはあの手の並木道は山ほどあるので、
ちょっと見ただけではわからないですよねぇ。

そういえば、ロケ地めぐりという発想が湧かなかったです。
ボートに乗ったあの池(湖?)はどこなんでしょうか?
新発売のDVDでも観てみましょうかね。

コメントありがとうございました!

2016/06/26 (Sun) 10:40 | つかりこ #- | URL | 編集
最近見ました!

最近飯田橋ギンレイでこの映画を見ました。見た後ネット検索をしていてブログを拝見させていただき、とても参考になりました。
また二、三気が付いた点がありました。

1、水道の漏水検査のシーンは伽倻子の両親が来た後でした。
  父親が、サンジュニが大学を卒業するまで伽倻子を預からせてくれと頼んだ後のシーンだったので、私は伽倻子は北海道には帰らなかったのだと思ってしまいました。、そして、東京に残ったのになぜ泣くのだろうと思いました。伽倻子は東京に残ったものの、その生活をいつまでも続けるわけにはいかないことが自分でもよくわかっていて涙を流したのでしょうか。つまり、伽倻子は両親が帰った後しばらくたってから、自分の意思で北海道に戻ったということなのでしょうか。

2、父親は伽倻子が日々の生きがいだから返してくれと言っていました。決して伽倻子を働かせるかせるためではないと思います。両親の生活は貧しくても、伽倻子には精一杯のことをしていたようです。伽倻子はいつも大事にされ身ぎれいにしていたし。

3、子どもの名前は、「みわこ」でした。これはどういう意味なのか。日本人としての自分の人生を取り戻したいのでしょうか。


やはり一度見ただけで映画を理解するのは無理ですね。私にとっては、とても美しい映像ながらかなり疑問点の残る映画でした。



2016/10/29 (Sat) 05:05 | ふみふみ #- | URL | 編集
Re: 最近見ました!

ふみふみさん、コメントありがとうございます。

> 最近飯田橋ギンレイでこの映画を見ました。見た後ネット検索をしていてブログを拝見させていただき、とても参考になりました。
> また二、三気が付いた点がありました。


↑あ、ホントだ!
ギンレイホールでちょっと前にやっていたんですねー。
んー、気づいていたら観に行ったのですが・・・。

> 1、水道の漏水検査のシーンは伽倻子の両親が来た後でした。
>   父親が、サンジュニが大学を卒業するまで伽倻子を預からせてくれと頼んだ後のシーンだったので、私は伽倻子は北海道には帰らなかったのだと思ってしまいました。、そして、東京に残ったのになぜ泣くのだろうと思いました。伽倻子は東京に残ったものの、その生活をいつまでも続けるわけにはいかないことが自分でもよくわかっていて涙を流したのでしょうか。つまり、伽倻子は両親が帰った後しばらくたってから、自分の意思で北海道に戻ったということなのでしょうか。

↑みなさんとコメのやりとりしているうちに、少しずつ思い出してきました。
水道の漏水検査のシーンは伽倻子の両親が来た後だったんですね。
で、劇中では明かされていませんが、両親が帰った後でもなぜだか二人はまだ東京にいて、
水道の漏水検査のシーンになるわけです。
その時の伽倻子は、ふみふみさんのおっしゃる通りだと思います。
まずは、「倖せそうな街の家々とは異なり、地下とはいえしっかりと流れる水のように、
ささやかな倖せを確かめた喜び」を感じ、そして、「その生活をいつまでも続けるわけには
いかないことがわかっている」悲しさの2つの感情を表現したシーンなのだと思います。
僕は、伽倻子は東京に出てきた最初から長くは続けられないかもしれないと
感じていたのではないかと勘ぐっています。
そして、そう、伽倻子は両親が帰った後しばらく経ってから、
自分の意思で北海道に戻ったんでしょう。

> 2、父親は伽倻子が日々の生きがいだから返してくれと言っていました。決して伽倻子を働かせるかせるためではないと思います。両親の生活は貧しくても、伽倻子には精一杯のことをしていたようです。伽倻子はいつも大事にされ身ぎれいにしていたし。

↑僕はそのくだりの意味は、二人の仲がうまくいかなくなったからとか、
伽倻子が相俊の学業のことを思って伽倻子が戻ったのではなく、
やはり両親の暮らしのことを慮ってだと解釈したいと思っています。
それほど、在日コリアンと樺太引揚者の暮らしは過酷だった、と言わないと
この映画の主題がピンぼけしてしまうからです。

または、在日コリアンと樺太引揚者の両親は、自分たちの暮らしで差別的にも経済的にも
どれほどつらいことかを知っているがゆえに、伽倻子が在日コリアンと一緒になることを
やめさせたかったということかもしれません。
いずれにしても、この映画の主題を最も強く語るくだりだと思います。

> 3、子どもの名前は、「みわこ」でした。これはどういう意味なのか。日本人としての自分の人生を取り戻したいのでしょうか。

↑あ、そうですか?
おー、それは「伽倻子」だった場合と意味が異なりますよね。
相俊にしてみれば、きつーいパンチを食らったような気持ちだったかもしれませんね。
だって、両親も伽倻子の連れ合いも、伽倻子さえも、自分たちの子孫には
在日コリアンとのつながりを断ち切って生きていかせようとしていることがわかるからです。
在日コリアン三世の相俊にしてみれば、絶縁状を突きつけられたような気持ちだったに違いありません。

そうかあ、映画では「みわこ」だったんですねー。
記憶にまったく自信がなくなりましたが、本と映画では最後の子供の名前が
異なっていたように思っていました。
んー、これは、本も映画もしっかり見直さないといけなくなりましたー。

> やはり一度見ただけで映画を理解するのは無理ですね。私にとっては、とても美しい映像ながらかなり疑問点の残る映画でした。

↑ご教示ありがとうございました!
まだ、DVDを手に入れていませんが、必ず確かめ直そうと思っております。
あ、本との違いも確かめなくっちゃですよね。

2016/11/10 (Thu) 19:00 | つかりこ #- | URL | 編集

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