ゆらゆら草
もう少し感受性を働かせれば、毎日がスペシャルになる。そう自分に言い聞かせて、 いろいろ感じたことを書きとめてみよっと。
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北海道のハロウィーン


ハロウィーンと聞くと、必ず思い出すことがあるんだよ。
それは、「ろうそく出ーせー」だよ。

僕の田舎では、8月7日の七夕に行われていた。
その日の夕方に、近所の空き地なんかに子供たちが集合する。
女の子は、浴衣姿が多いかな。
男の子は自分で作ったカンテラ、女の子は市販の提灯を持ってくる。
ろうそくを灯すのだ。

カンテラを器用に作る、学級長のヒロオ、
いつもお母さんに叱られてばかりのカズエちゃん、
お嬢様なので、普段なら夜に出かけるなんてあり得ないマスミちゃん、
大きな天体望遠鏡を持ってるスギさん、
幼稚園の頃からずっと洟たれ小僧のカンジ、
本州から転校してきたばかりで初参加のナリタくん・・・・
みんなが、いつもの家庭の時間から、今日は抜け出してくる。

中学生になったら、あんまり参加しなくなるかなあ。
小学校の高学年の子が班長みたいになって、6~7人のグループを作る。
年長の子が、みんなのろうそくに火を灯すんだよ。
準備ができたら、さあ、出発!
ぼんやり灯った明かりが、蛍のように町のあちらこちらを漂い出す。

知ってる家も、知らない家もおかまいなし、
無作為に訪問して、お菓子やお駄賃をねだるんだよ。
町内の家々は、みーんな子供たちの餌食だ。
その時に、玄関先で歌う唄がこれ。


♪ろーそく出ーせー出ーせーよ 出ーさーないとー かっちゃくぞー
 おーまーけーにー喰いつくぞー 喰いついたら放さんぞー



この唄を聞いたら、だいたいはおばさんが出てきて、
子供たちにキャンディやチョコやお駄賃をくれるというしくみだ。
もちろん、小さなろうそくをくれるウチもたくさんある。
でも、ろうそくだけだとあまりうれしくない。

一度、お寺に行ったら、どでかいろうそくを一人一人にくれたことがあったなー。
それがあってから、お寺に行くのはやめたけど。

時々、引っ越してきたばかりで、この風習を知らないみたいで、
「おまえたち、この夜中に何やってんだ!!」って怒鳴るおっさんもいる。
そういうケースにも僕らは慣れているので、
「あー、知らね~のかよ、しょうがねーな、来年はちゃんと覚えとけよなあ」と心でつぶやいて、
(こっちのほうが大人だぜ)といった顔をしてさらっと退散する。

手作りカンテラと提灯に火を灯して夜に繰り出す、年に一度の冒険の日。
何時までとも決まっているわけではなくて、
一人抜け、二人抜けして「ろうそく出ーせー」の灯は消えていく。
「また、来年なー」。



001カンテラ


・・・ね、似てるでしょ?ハロウィーンに。
「ろうそく出ーせー」は、真夏だけどね。
いまでもやってるのかなあ?

日本には昔から、お盆に子供が「灯篭流し」や「提灯かざり」なんかをする習わしがあるそうだ。
それで、それらに使うろうそくを子供たちが自分で寄付を願って回った、というのが
この「ろうそく出ーせー」の起源らしいね。

僕が子供だった頃は、ただ楽しかっただけだけど、
いまは大昔の北海道の暮らしを想像せずにいられないんだ。
明治の開拓開始以後、寒くて、貧しい生活を強いられた人たちの、
「せめて、つらい開拓の先陣を切ってきた先祖をまつるお盆だけでも、肩を寄せ合って収めたい」
という気持ちがそこにあるような気がして、哀愁を感じてしまうのだ。

「ろうそく出ーせー」は、それゆえに北海道に根付いてやまなかったのだと思う。




♪ 時 代  作詞・作曲:中島みゆき


今はこんなに悲しくて
涙もかれ果てて
もう二度と笑顔には
なれそうもないけど


そんな時代もあったねと
いつか話せる日がくるわ
あんな時代もあったねと
きっと笑って話せるわ
だから今日は
くよくよしないで
今日の風に吹かれましょう

まわるまわるよ
時代はまわる
喜び悲しみくり返し
今日は別れた恋人たちも
生まれ変わって
めぐりあうよ


旅を続ける人々は
いつか故郷に出会う日を
たとえ今夜は倒れても
きっと信じてドアを出る
たとえ今日は
果てしもなく
冷たい雨が降っていても

めぐるめぐるよ
時代はめぐる
別れと出会いをくり返し
今日は倒れた旅人たちも
生まれ変わって
歩き出すよ


まわるまわるよ
時代はまわる
別れと出会いをくり返し
今日は倒れた旅人たちも
生まれ変わって
歩き出すよ


今日は倒れた旅人たちも
生まれ変わって
歩き出すよ



風はどう吹いたのか [宮崎アニメコンセプト論] ~ 『風立ちぬ』


すみません!
ネタバレ、バレバレなので、これから映画を観ようと思っている方は
読まないほうがいいかもしれません。



001風立ちぬ_メイン

封切りからずいぶん経ってしまったけど、
ちょっとしたきっかけで『風立ちぬ』ってどんな作品だったんだろう、
ひいては、宮崎アニメってどんな作風だったんだろう、
って考える機会があったので、書き残しておこうと思いました。



最近の宮崎アニメは、なぜすっきりしないんだろう?

「よかった!」、「感動して泣いた」という感想のほかに、
「感動できない」、「すっきりしない」という意見も多くないですかね?
僕は、そういう感想はかなり正しいと踏んでるんだよね。
だってさ、宮崎さんったら、わざとすっきりしないように作っているんだからさ。

宮崎監督は『崖の上のポニョ』発表の後に、
「僕はもう既成の起承転結のよくできたストーリーの映画なんか作りたくない」、
「自分の作品の大衆性が低くなっている」

って言ったことがあるんだよ。
それは、“ポニョ” を観ればわかること。
“エコロジー” など、コンセプトははっきりしているけど、
よくあるストーリー展開や説明的な表現、お約束の落ちのあるエンディングなど、
亜流はもうやらない
と言う意味なんだな。

“ポニョ” の時に初めてそういう発言をされたけど、
僕は、『もののけ姫』あたりからそういうフシがあると感じていたんだよ。
そういう風に作ってきたから、だんだんとすっきりしなくなったに違いないと思ってる。
それは、『もののけ姫』あたりから、“カンヌ” や “ヴェネチア” や “ハリウッド” を意識して、
“和” をテーマにしたり、お決まりの感動的なエンデングじゃなくなったり、
亜流を避けているのが窺える
からだなー。
その後の『ハウルの動く城』では、さらに “すっきりしない度” が増しているように見えるよね?

002風立ちぬ_ポニョ

『風立ちぬ』では、いよいよすっきりしなくなってない?
この物語のストーリーは・・・
●堀越二郎は純粋に飛行機が好きで、クライアントの要求に一所懸命応えて、
 すばらしい性能の飛行機を作ることに成功した。
●それが兵器として使われて悲惨な光景を生み出した。
●その間、飛行機づくりや戦争とは関係なく、結核に侵された女性とピュアな恋をする。
・・・ということだよね。

明らかに、
「高性能な飛行機を開発することは善だけど、戦争は悪だ」、
「もうすぐ死ぬことがわかっている病気に侵されていたって、戦争で死ぬよりはずっとまし、
短くたって生きていれば素敵な恋だってできるんだ」というメッセージを送っている
と思う。

でも、映画を観てもすっきりわかりずらいし、ドーンと感動的なエンドがくるわけでもないよね。
説明的なストーリーや表現がかなりそぎ落とされているから、そうなっちゃっているんだなー。

たとえば・・・
●ゼロ戦を苦心して開発するシーンをもっとふやす
●開発に成功してみんなで悦ぶシーンをもっと長く強調する
●悲惨な戦争のシーンをもっと長く強調する
●ヒロインが空襲で死ぬ
・・・って感じに作り変えたとしたらどうだろう?
一所懸命作った飛行機が、兵器として使われて悲惨な結果を招くギャップが強調されるよね?
それでなくても短い命なのに、空襲で死んでしまうヒロインを見て、戦争に対する憎しみが増すよね?
それによって、この映画の意味や感動がわかりやすく、強いものになるでしょ?

でもね、宮崎監督は、
「僕はもう既成の起承転結のよくできたストーリーの映画なんか作りたくない」、
「自分の作品の大衆性が低くなっている」と言った通り、
僕が書いたような説明的なものにしてまでわかりやすく、感動的なものにするつもりはなかったんだな。
(天才のやることだからねー)

・・・だから、すっきりしないんだと思う、『風立ちぬ』も最近の作品も。



もうひとつのすっきりしない理由

僕は、宮崎さんは自分の作るアニメのストーリーやメッセージに、
あまり興味がないんじゃないか、と踏んでいるんだ。
ちょっと乱暴な言い方になっちゃったけど、
ストーリーやメッセージが第一義ではないのだ、という意味。

宮崎監督は過去に、「アニメは子供が観るものとして作られねばならない」
と言ったことがあるんだよ。
これは、子供向けの人物やキャラクターを登場させたりして、
子供に夢を与えたり、子供たちの精神を正しく導くようなものにしなければならない
と肝に銘じている、ということだと思う。

「自分のやりたいように作ればいいんだ。でも、お金を払って観てくれるんだからなあ」
とも言ったことがある。
これは、自己満足に終わってはいけない、ちゃんと観客が感動や納得を得られるように
作らなきゃだめだ、という意味だよね。
それは、ストーリーやエンディングなどのおもしろさはもちろん、
できるだけ多くの観客が感動、納得できる、パブリック性に根ざしたメッセージ、
たとえばエコロジーや反戦など訴えたりしなきゃだめだぞ、ということ。
でも、ストーリーやエンディングなどのおもしろさ、については、もうそうは作らないと言っているので、
少なくとも、できるだけ多くの観客が感動、納得できる、パブリック性に根ざしたメッセージを
発信しようということになる。

上の2つの “しなければならない” というのはポリシーでありミッションなのだ。
それは、何としてでもやらなきゃならない、とってつけてでもやらなきゃならない、
ということにはならないかな。

たとえば、“千と千尋” でいえば、“エコロジー” や “モンスターキッズ” について
教訓めいたことが描かれているよね。
あれは、“子供向け“ や “鑑賞者に感動や納得を提供するため” に
”とってつけたもの“ じゃないのか。

僕は、“千と千尋” のホントのコンセプトは、「日本の八百万(やおよろず)の神をアニメする」
ということであって、「八百万の神で何をメッセージするか」ということではなかったのだ
、と思ってる。
でなきゃ、もっと “エコロジー” のことなんかを、子供にもわかりやすく、心を打つように作るよね。
でなきゃ、後の “ハウル” はもっとわかりやすい作品になったよね、きっと。

003風立ちぬ_千と千尋

子供向けの絵本をいろいろ見るとわかるけど、必ずしも教訓的なメッセージじゃない。
美感教育ってテもあるわけで、子供の興味や楽しさのためだけに表現されたものもあるよね。

それから、「純粋芸術」と言う言葉がある。
これは、意味のある表題もメッセージもメタファーもない、表現のための表現だけの芸術。
たとえば、ヴェートーベンの交響曲第5番という曲は、もともとは交響曲第5番という曲名であって、
「運命」というコンセプトで作られたものでない、リスナーが後からつけた名前。

つまり、宮崎さんは、“子供向け” や “パブリックな教訓めいたメッセージ” は
しなければならないからやっている “とってつけ” なのであって、
一番大切なことだとは思っていない
ということなのだ。
ホントにやりたいことは、別にあっても全然不思議じゃない。

それより、「最終戦争後の地球ってこんな風になっているんじゃないか?」とか、
「日本の田舎には、子供たちを元気にする愉快な妖精がいるんだよ」とか、
「八百万の神様って、こんなんなんだよ」とか、あくまで想像の世界でしかなかったものを
目にすることのできる “動く絵“ にすることが第一義だったんじゃないか
、ということだ。
「八百万の神に、エコロジーを語らせたかった」んじゃなくってさ。

宮崎アニメは・・・
①「今回は八百万の神でいこうとか、天空の国でいこうとか、
つねに新しい素材を見つけてアニメ化すること」を第一義として、
②「子供向けであること=登場人物やキャラクターなど」と
③「鑑賞者に、お金を払うに値するパブリック性に富んだ感動や納得を提供すること=エコや反戦など」を
“とってつけ” たスタイルで作られている
んだと思う。

でもね、それは宮崎アニメの②や③がいい加減だ、という意味じゃないよ。
その “とってつけ” がすばらしいかどうかが天才と凡才の分かれ目でしょう?
宮崎さんの作品がどっちの手によるものかは明白だよね。
よくみれば、その他の作品もすべてそういう図式で作られているように思うな。



『風立ちぬ』では、何を言いたかったのだろう?

繰り返すけど、大雑把に言うと・・・
美しい飛行機を作りたい、性能のいい飛行機を作りたいと願う青年が、それを成し遂げる。
でも、それは兵器であって、戦争という悲惨な光景を生み出した。
それと並行して、儚い恋を経験して、命の大切さを知る。
・・・というストーリーだよね。

で、メツセージは・・・
●飛行機が好きで、一所懸命打ち込んだ結果、
 たくさんの人の命を奪う兵器づくりに加担することになってしまった。。
 でも、自分は美しく高性能な飛行機を作りたかったのであって、
 人殺しの性能に優れた兵器を作りたかったんじゃないんだ。
●戦争は、決してやってはいけないことだ。
 不治の病でもうすぐ死ぬ人だって、戦争で死ぬよりましだ。
 短くたって生きていれば、素敵な恋だってできるのだ。

・・・ということを言いたかったんだろうね。

“生きねば。” というキャッチフレーズに、キチッと符号するでしょ?

004風立ちぬ_飛行機

005風立ちぬ_ヒロイン



『風立ちぬ』には、涙が出るほどの想いが込められている

じゃ、なんでそういうことを言いたかったんだろう?
僕は、宮崎さんが「兵器マニア」、「戦争好き」などと言われ続けてきたことと関係があると思うんだ。
宮崎さんはこの作品で・・・
「僕は、飛行機や戦車そのものが好きなだけで、 兵器マニアではない、戦争なんか大嫌いなんだ」
と言いたかった
んだろうなー。

これまでさんざん「兵器マニア」とか、「戦争好き」とか、「子供に観せられない」
とか言われてきて、さぞかし悔しかっただろうと思う。
稼業が兵器づくりに加担したことや、自分が兵器系の雑誌に出稿していたこと
それによって、一部の人たちからは “ナウシカ” にまでさかのぼって “危険物扱い” されてきた。
しかも、“ナウシカ” にあっては、「オウムのテロを増長させた」とまで非難されたよね。
それは、親や親戚、自分の家族、ジブリの仲間たち、そして自分自身のことを思えば、
とてつもなくつらいことだったに違いないと思う。

006風立ちぬ_ナウシカ_オウム

特に、“生きるために” 兵器づくりに加担しなければならなかった親や親戚への想いは、
“生きねば。” というキャッチフレーズにも反映されているほど
だと思う。
宮崎さんが、「いつか、みんなの仇をとってやる」と思い続けてきたとしても、
何の不思議もないんじゃないかな。

だから、『風立ちぬ』が封切られてすぐに、「やっぱり兵器マニアだった」とか
「反戦主義の顔をした、戦争好きの国粋主義者」などと、映画のメッセージとは逆の言われ方をした時、
終戦記念日に向けて機関誌ではっきりと、自分が反戦論者であることを語って、
あわててはっきりと否定しにかかった
のもうなずけるし、
宮崎さんが、試写後に「自分の作品を観て、初めて泣いた」のも納得できる。
みんなに「みんな、つらい思いをさせた、悪かった、なんとか仕返ししてみた」という想い
こみあげて泣いたんだろうなあ。
制作者は、「自分の考えたストーリー」や「作品の出来栄えの良し悪し」で泣いたりしないよなあ。

そう、堀越二郎とは、親や親戚、自分の家族、ジブリの仲間たち、そして宮崎さん自身なのだ

引退記者会見で、宮崎監督は「ナウシカの続きはアニメにしない」と公言したよね?
あの場面は、泣けた!
冗談じゃない、なんのために『風立ちぬ』を作ったと思ってんだ、
『風立ちぬ』でこれ以上風評をもらうことには終止符を打ったんだ、
僕がアニメづくりでやりたいことは、最後にこれをやらせてもらっておしまい

ということだと思う。
ホントは “ナウシカ” を続けたかっただろうに、とおもんぱかると、涙が落ちそうになった。



宮崎アニメに、私的な作品は何本ある?

前述したけど、僕は、宮崎アニメは・・・
●今回は八百万の神でいこうとか、天空の城でいこうとか、つねに新しい素材を見つけること
●子供向けであること=登場人物やキャラクターなど
●鑑賞者に、お金を払うに値するパブリック性に富んだ感動や納得を提供すること=エコや反戦など
・・・というスタイルで作られていると思う。
それがポリシーなのだ。

でも、たった2つそのポリシーに反した作品があるよね。
『紅の豚』とこの『風立ちぬ』。
『紅の豚』は、豚をキャラクターにしたりして、子供向けのフリをしてるけど、
その実はヨーロッパのラブロマンスみたいな大人のストーリーだよね。
で、メッセージは「僕は飛行機が大好き」じゃないかな。

007風立ちぬ_紅の豚

「僕は兵器が好きなんじゃない」とは言ってないけど、
そう、宮崎さんは『風立ちぬ』よりだいぶん前に、
「僕は飛行機が好きなだけなんだ」というメッセージの “仕返し映画” を作っていたんだなー。
でも、宮崎バッシング論者にはあまり伝わらなくて、
そのままになっていたのを今回の『風立ちぬ』でケリをつけようとしたんだろうね。
これは、本人も言っているけど、明らかにポリシーから逸脱した私的作品だね。

そして、『風立ちぬ』。
これも、新しい素材に違いないけど、子供向けでもないし、
反戦という意味ではパブリック性に富んだ納得を促しているけど、
個人的な “仕返し” がコンセプトと思われるし、それが前面に出ているから、
きわめて私的な作品だと言えるだろうね。



宮崎さんは、最後にいわゆる宮崎アニメらしくない作品で、
長編作家としてのキャリアをしめくくった。
「ごめんね、トトロやナウシカはもうここにはいないんだよ」と言わんばかりに。

あーあ、宮崎駿という名の “風雲” は、消えてしまったんだね。
始めから、これでやめ、と決めていたんだろうね。

だって、『風は吹き去った』ってタイトルなんだから。



008風立ちぬ_去った



009風立ちぬ_ポスター

●『風立ちぬ』(The Wind Rises)
2013年 日本
上映時間:126分
配給:東宝
製作担当:奥田誠治、福山亮一、藤巻直哉
製作会社:スタジオジブリ
監督:宮崎駿
原作:宮崎駿
脚本:宮崎駿
撮影監督:奥井敦
編集:瀬山武司
音楽:久石譲
主題歌:荒井由実『ひこうき雲』
声の出演:庵野秀明、瀧本美織、西島秀俊、西村雅彦、スティーブン・アルパート、風間杜夫、
     竹下景子、志田未来、國村隼、大竹しのぶ、野村萬斎 ほか
受賞:???????????

許す! ~ 『許されざる者』

9月13日に封切られた次の日、14日(土)に観に行ったよ。

001日本ポスター

なんたって、大好きな『フラガール(2006)』の監督の最新作だし、
故郷の北海道開拓時代のハナシだし、
クリント・イーストウッドのアカデミー賞受賞作の “時代劇リメイク版” だからね。
おーっ、『七人の侍』みたいなすげー映画かもしんない!って想像するわけだ。

前日にネットで、午前中の回に座席指定を入れて、絶好の位置を確保。
ちょっとの曇りもない気持ちで、ポップコーンもコーラも買わないで
鑑賞に臨んだんだけど・・・

あれっ?なんだろなあ、あんましおもしろくねーなー。
時代劇なんだから、どっかで、主人公が敵をバッタバッタ切り倒すんじゃないのかい?

西部劇って、建物の陰に隠れながらバンバン撃ち合ったり、
息詰まる緊張感のなか、一対一で決斗するとか、
たった一人で一瞬にして何十人も撃ち殺すとか、
“ガン・ファイト” のクライマックスシーンがあるから、
「おもしれー!」とか「スカッとしたぜー!」ってなるもんだよな?

『許されざる者』の日本版は、その西部劇のリメイクなんだから、
座頭市みたいに、一人で大人数をズバズバ切りまくるとか、
巌流島の決斗みたいな腕にモノを言わせるような、
手に汗握る “殺陣” が展開されるんだと思ってた。
ラストのほうで、一対複数のファイトがあるんだけど、
なんだかスカッとしなかったんだよ。

それから、この作品は、明治維新後の開拓時代の北海道のハナシなので、
幕府軍側の残党や、アイヌや、入植者や、開拓使などが、
何か社会派的なテーマで物語を展開するんじゃないか、
という期待もあったんだけど、
それも “何かを訴える” というほどのことでもなかった。

なんだなんだ?
これは、おもしろくねーな。
娯楽的な要素はなんにもナシ!
社会派問題提起もナシ!

ついこの前に、タランティーノ監督の『ジャンゴ 繋がれざる者』を
観たばっかりだったせいもあると思うけど、物足りない、のひとことだ。

その特徴は・・・・
① 誰が善で、誰が悪なのかはっきりわかんない
② 戦いシーンが少ない
③ 敵をズタズタにして、やっつけてやった的なカタルシスが弱い
④ 明治維新や北海道開拓、アイヌ差別問題など社会派的な色合いも薄い
★しかし、映像の美しさやセット、衣装、演技などは、ピカいちだぞ!!


なんかおかしいぞ、李相日監督ともあろうものが、こんなはずないだろ。
どういうことだ?

・・・・というわけで、翻作元のクリント・イーストウッドのほうの
『許されざる者』(Unforgiven)を観てみることにしてみた。
もともとは、どうなってんだ?
アカデミー賞を4部門もとった作品がおもしろくないわけがないよなー、
という気持ちで。
そう、恥ずかしながら、ストーリーやその評判というものは知っていたものの
中身を観たことがなかったんだよ。



[あらすじ]

1881年のアメリカのロッキー山脈付近の町でのハナシ。

かつて列車強盗や保安官殺しで有名だったマニーは、
改心して、田舎町で2人の子供と農家をして暮らしていた(奥さんはすでに他界)。

そこへ、マニーがもと殺し屋だったことをどこかで知ったキッドという若者がやってきて、
賞金首の2人のカウボーイを狩りに行こうと持ちかける。
自分は真人間になったんだ、とマニーは断るけど、現状、あまりにも極貧であり、
子供たちのためにその賞金稼ぎの話に乗ることにする。
昔の悪党仲間のローガンも誘い込み、途中でキッドと合流して、その街へと向かう。

2人のカウボーイに賞金をかけたのは、その町の売春宿に働く女たちだ。
カウボーイの一人が、お付きの売春婦ともめてナイフで女の顔を切り刻む。
怒った女たちは、みんなでお金を出しあってそのカウボーイ2人に賞金をかけたわけだ。

そうして賞金稼ぎの3人は、町へやってくる・・・。
あとは、内緒。



ストーリーは申し分ないんだけど、
うーん、僕の知っている西部劇とは、ずいぶん感じが違うなあ。
やっぱり善悪がはっきりしないし、ガン・ファイトも爽快じゃない。
なんとなくカッコ悪いんだ。

でも、これはおもしろい!
なるほどー、『許されざる者』(Unforgiven)は、フツーの西部劇じゃないんだなー。
そもそも原作がフツーじゃないんだ。

ガンマンも年を食えば弱っちくなるし、
拳銃なんてホントは撃ちまくるわけでもないし、
そうそう簡単に的に当たるわけでもない。
ガンマンの過去の武勇伝なんて、たいがいホラばなし、
まともなやつなら、そんなに簡単にポンポン人を殺せるわけがない。
世の中、どっちが正しくてどっちが悪いなんていつもはっきりしてるわけではないし、
必ずしも正義が勝つわけでもない。
勝ったからといってスカッとするわけでもない。


・・・そんな文脈で描かれているんだなー。
過去の作品みたいな勧善懲悪のファンタジーじゃなくて、
言ってみれば “リアルな西部劇”
なのだ。
そのカッコ良すぎない、徹底したリアリティが、
ずっしり手ごたえのある “新しい、最後の西部劇” を生み出したんだなー。
だから、西部劇の名作となったんだ、と解釈させてもらったよ。



じゃ、日本の『許されざる者』は、なんでスキッとしないんだろう?
見事にオリジナル版をリメイクしているのに。
それは、日本版『許されざる者』は西部劇ではないし、
チャンバラ時代劇でもないからだと思う。

アメリカ版『許されざる者』(Unforgiven)は、“いつもの西部劇” を想像して観る人を
巧妙に裏切って新しい西部劇へと連れて行く
しかけになっているのに対し、
日本版には、“いつもの○○○” がないから、どこへも連れて行かれないんじゃないかな?

“いつもの北海道開拓時代の無法者が賞金稼ぎをするハナシ” なんて聞いたことないし、
おまけに、フツーじゃない西部劇をなぞっているもんだから、
フツーじゃない “北海道開拓時代の無法者が賞金稼ぎをするハナシ” になっちゃっているんだな。
現に李監督は、「今の日本で時代劇を撮るなら、簡単には割り切れない善と悪をテーマにしたい」
と語っているんだよ。
つまり、ダブルパンチでわかりずらくなっているんじゃないかな?



でも、僕はこの日本版の『許されざる者』も好きだ。
郷里の風景を切り取った映像がものすごく美しいし、
ボロい家屋のセットの巧妙さや衣装のリアリティには驚かされるし、
なによりも、俳優さんたちの演技がピカいちで、
ワールドクラスのクォリティの高い映像を見せてくれるからだ。

それから、少なくとも、開拓時代の北海道にはこんな村があって、
こんな開拓使や、アイヌや、娼婦や、幕府軍側の落人や、官軍側の元武士や、
冬の寒さに耐えられそうもない家屋や、手つかずの風景など、
頭の中のぼんやりとした想像でしかなかったものを可視化してくれているからだ。

でも、物語のテーマはバツグンなんだよ。

子供への愛情や友への友情・・・主人公が果たそうとする正義と、
保安官が振りかざす正義が対峙する。
自分をまっとうにしてくれた奥さんへの深い愛が葛藤を生む。

そして、主人公はどうするのか、奥さんは、主人公を “許す” のだろうか。
その後、自分や子供はどう生きるのか・・・。


僕が言いたいのは、元作とそっくりじゃなくなってもいいから、
そのテーマがもっとガツーンとくるように作ってほしかったということ。



002_3人馬_日
003_3人馬_米
日本版では、賞金稼ぎの言いだしっぺは、キッドじゃなくておっさんのほうだ

004主役_日
005主役_米
同じエンジ色の服だねー

006女将と娼婦_日
007女将と娼婦_米
小池栄子は、やっぱりすごかった

008相棒_日
009相棒_米
いままでで一番すごい柄本明を観た

010キッド_日
011キッド_米
これが、柳楽優弥だったとは!

012作家_日
013作家_米
半沢直樹の同期の裏切り者、踊る大捜査線の王(ワン)さんだよね

014保安官_日
015保安官_米
佐藤浩市は、ジーン・ハックマンとはだいぶん違うよね

016風邪リンチ_日
017風邪リンチ_米
風邪を引いて弱っているのに、保安官にいたぶられるシーン

018主役と娼婦_日
019主役と娼婦_米
このシーンのダイアログはジーンとくるなあ 顔に傷があってもかわいいものはかわいい



020ポスター日米比較

●『許されざる者』(Unforgiven)
1992年 アメリカ
上映時間:131分
配給:ワーナー・ブラザーズ
製作:クリント・イーストウッド
製作総指揮:デヴィッド・ヴァルデス
監督:クリント・イーストウッド
脚本:デイヴィッド・ウェッブ・ピープルズ
撮影:ジャック・N・グリーン
編集:ジョエル・コックス
美術:エイドリアン・ゴートン、リック・ロバーツ
プロダクション・デザイン:ヘンリー・バムステッド
音楽:レニー・ニーハウス
出演:クリント・イーストウッド、ジーン・ハックマン、モーガン・フリーマン、リチャード・ハリス、
   ジェームズ・ウールヴェット、ソウル・ルビネック、フランシス・フィッシャー、
   アンナ・トムソン、アンソニー・ジェームズ ほか
受賞:第65回アカデミー賞
   [受賞]・作品賞・監督賞・助演男優賞・編集賞
   [ノミネート]・脚本賞・主演男優賞・撮影賞・美術賞・音楽賞
   第50回ゴールデングローブ賞
   [受賞]・監督賞・助演男優賞
   [ノミネート]・ドラマ部門作品賞・脚本賞
   第46回 英国アカデミー賞
   [受賞]・助演男優賞
   [ノミネート]・作品賞・監督賞・脚本賞・撮影賞・音楽賞
   第27回 全米映画批評家協会賞
   ・作品賞・監督賞・助演男優賞・脚本賞
   第57回 ニューヨーク映画批評家協会賞
   ・助演男優賞
   第27回 カンザスシティ映画批評家協会賞
   ・作品賞・監督賞・助演男優賞
   第13回 ロンドン映画批評家協会賞
   ・作品賞
   第18回 ロサンゼルス映画批評家協会賞
   ・作品賞・監督賞・脚本賞・主演男優賞・助演男優賞
   第37回 サン・ジョルディ賞
   ・外国作品賞

●『許されざる者』
2013年 日本
上映時間:135分
配給:ワーナー・ブラザース映画
製作:久松猛朗
製作総指揮:ウィリアム・アイアトン
製作会社:ワーナー・ブラザース映画、日活、オフィス・シロウズ
監督:李相日
原作:デイヴィッド・ピープルズ著 ワーナー・ブラザーズ製作 映画「許されざる者」
脚本:李相日
撮影:笠松則通
編集:今井剛
照明:渡邊孝一
録音:白取貢
美術:原田満生、杉本亮
装飾:渡辺大智
衣装デザイン:小川久美子
ヘアメイク:橋本申二
音楽:岩代太郎
出演:渡辺謙、柄本明、柳楽優弥、忽那汐里、小池栄子、近藤芳正、國村隼、滝藤賢一、
   小澤征悦、三浦貴大、佐藤浩市 ほか
受賞:???????????


新宿で、夏の疲れをスッキリ消そう ~ 『渡邊』


新宿のこと

“新宿” って言うと、何を思い出す?

「歌舞伎町」?
・・・っていうと、世界最大級の歓楽街だよね。
立ち食い蕎麦屋から居酒屋、各国レストラン、クラブ、フーゾクまで、なんでもあり。
だから、人の種類も一般の人からヤーさん、おかまちゃん、出稼ぎアセアン、
アジア系マフィア、南米売春グループ、中東詐欺組織なんかがバッコバッコ跋扈してる。
「こわい、危ない街。でも、行ってみてーっ」って感じかな。
でもね、連中も商売でやってるから、①ポン引きのハナシに乗らない ②喧嘩をしない
の2つを守れば危険なことはほとんどないな。

戦後、闇市と売春がはびこって、なんとかせなあかん、ということで
都だか国だかが、闇市をどかして「歌舞伎座」を建てようとした時についた町名なんだよな。
結局、「歌舞伎座」は建てられなくて、町名だけが残ったんだそうだ。

「伊勢丹、三越」?
そうそう、これは重要。
上で書いた新宿のイメージを、一所懸命変えてきたのが百貨店なんだね。
新宿のファッションブランドと名店フードブランドの
最先端を引っ張ってきたのがデパートなんだなー。
これがなかったら、新宿はいまだに “あぶない呑み屋街” なんだろうと思う。

「アルタ」?
言わずと知れた、フジテレビ系の「笑っていいとも」の生放送スタジオ。
東口のすぐ前でわかりやすいから、待ち合わせ場所として有名だよね。
ここは、実は伊勢丹の持ち物なんだよ。
伊勢丹のビルテナント事業の一部なのさ。
元々は、自社デパートのチラシの撮影に使っていたのかもしれないね。

近年、ドラスティックに発展したのが、「南口」。
ちょっと昔は代々木から続く住宅街とJR東日本の社用地があった、
夜になると真っ暗になるエリアだったんだよ。
いまは、高島屋とサザンテラスのクリスマスイルミネーションで明るくてきれい!
「ルミネ the よしもと」があるのもこの南口側。



じゃ、“新宿西口” って言うと、何かなあ?

「西口広場フォークゲリラ」?
そういうあなたは、たぶん60歳を越えていますね?
'70年安保の1年前に起こったベトナム反戦&反体制運動だから、
僕はオンタイムでは全然知らないコト。
昔のヤングは、こういう大義名分のもとエネルギーを発散させていたんだなー。
ちょっと、楽しそう。

いやいや、そうじゃなくってぇ・・・

昔のハナシばかりで恐縮なんだけど、
僕が上京したばかりの頃、西口と言えば “高層ビル” だった。
その頃はまだ、「京王プラザホテル」のほか、「新宿住友ビル」、
「安田火災海上本社ビル(現 損保ジャパン)」、「新宿三井ビル」、
「新宿野村ビル」くらいしか建っていなくて、
そのエリアはスポポーンとめっちゃ目だっていたんだよ。

001新宿_渡辺

高さでいえば、霞が関ビルの時代が終わり、西新宿の時代が始まっていたんだな。
それまで、12階建ての建物しか見たことがなかった僕は、
空を見上げてきょろきょろ=ラバーネッカーに、ホントになったんだった。

002新宿_渡辺

それ以外は、新宿中央公園と、雑居ビルがパラパラあったほかに・・・何があったと思う?・・・
・・・はい、“空き地” だったんだよ!
広大な住宅展示場として利用されていた部分にくっついて、
野球場2つ分くらいの空き地!
ちゃんと柵がめぐらされてて、都の管理で草野球場として貸与している雰囲気があったけど、
ホントにただの空き地。

こんな大都会に、こんなに広大な空き地、ってなんだ?
と思っていたんだけど、何かで読んで、
「淀橋浄水場」というのがあったことがわかったんだよ。
その広大な空き地は、浄水する前の玉川上水から引いた水を貯めておく
プールがあったところなんだなー。

その頃、風の噂で聞いたのが、「10年後くらいに、東京都庁が移ってくるらしい」というもの。
当時は、「またまたいい加減なこと言って」と聞き流していたんだけど、
ホントだったねー。
いまでは、西新宿の超高層ビルの数は、40近くになっちゃってるんだねー。

そう、いまや、西新宿といえば超高層ビル街!都庁もあるでよ!
・・・なのだ。

003新宿_渡辺



摩天楼の森に咲く、蕎麦の花

超高層ビル街の一角に、ちょっとした繁華街があるんだよ。
繁華街というか、ほとんど呑み屋街だなー。
呑み屋以外で目立つのは、家電量販のヨドバシカメラ。
“淀橋” というのは、この辺の昔の地名だから、
この辺が、ヨドバシカメラの発祥の地なんだろうなって、勝手に思ってる。

004新宿_渡辺

いまでは、家電量販店なんて、そこらじゅうにあるから、
フツーの人は、この辺に勤めているか、よっぽどの用事がなければ、
このあたりにやってくることはないだろうなー。

新宿では思いのほか少ない、うまい手打ち蕎麦屋のひとつ『渡邊』は、
その狭い呑み屋街に埋もれたようにある。



コンクリートジャングルに咲く花みたいなブログ、
「花々の日々~里花の旅日記」里花さんとのコメントのやりとりの中で、
お住まいの近くの蕎麦屋ということで、この『渡邊』さんを紹介させてもらったことがあるんだけど、
彼女、気に入られたようで、“あれ” を何度か食べに行かれたとお知らせいただきました。

それを聞いて、僕も “あれ” を食べたくなってきた & まだ記事にしたことがなかった
のダブルパンチで、久しぶりに食べに行ってみようと決めたんだよ~!



『渡邊』さんの店内に入ったのは、午後4頃だったかな。
中休みなしの店なのだ、助かるねー!
当然、昼飯タイムはとっくに終わり、晩飯タイムにもまだまだという時間だから、
満席で30人くらいは入れそうな店内もスキスキ。
僕以外に、2組=4人くらいしかいなかった。
なのに、十代後半から二十代半ばくらいまでの、若い花番さんが4人ほどいるから、
食事にふさわしい時間には、かなり混むことが想像できるね。

よっしゃ、今日は蕎麦前をばしてみよっかな。
晩酌するつもりはないので、迷わずスタンダードな菊正の燗を1本。

005酒_渡辺

かるくツマミもほしいところだけど、なんかあるかな・・・

006つまみメニュー_渡辺

007つまみメニュー_渡辺

・・・っと、安くて、間違いなく日本酒に合うはずの「しいたけの甘露煮」にしたぜー。

008蕎麦打ち_渡辺

ちびちび呑みながら、メニューを見たり、店内をつんつん見てると、
店内中ほどにある蕎麦打ち場で、仕事が始まった!
おっと、ラッキー!
そっか、晩飯タイムに向けて、打ち立てを仕込んでおくんだな。

009張り紙_渡辺

お願いして写真を撮らせてもらっているうちに、「しいたけの甘露煮」が到着。

010つまみ_渡辺

かえしと出汁で煮含めたものだろうね。
器に盛る時に、すだちを絞り、皮を乗せているはずだ。
この料理は、出汁のカツオ節のイノシン酸と、しいたけのグルタミン酸、グアニル酸が
混じったものだから、うまくないはずがないんだよ。

011つまみ_渡辺

アミノ酸の「イノシン酸+グルタミン酸」ということになる料理は、
それぞれの単独より7倍旨味が強くなるという魔法の掛け合わせで、
日本人のお家芸なのだ。
たとえばね、昆布(グルタミン酸)で出しをとって、鰹節(イノシン酸)をかけて食べる
「湯豆腐」なんかも、この魔法の掛け合わせ料理なのだ。

うぉー。
おまけに、すだちの爽やかな味と香りが加味されていて、ものすごくうまい!
当たり!
どこでもありそうな一品だけど、ココんちのは、想像をはるかに越えたうまさだ。
もちろん、日本酒にもぴったり!

ちびちびやりながら、蕎麦のメニューなどを眺めてみる。

012蕎麦メニュー_渡辺

粗挽き系はないようだ。
玉子とじそばの溶き玉子に、海老のむき身が2・3コ入っているという
噂を聞いたので、今度はそれにしてみようかな。
うどんもあるんだね。

・・・なーんて、ホントは何をたのむか決めてあるんだよね。
それは、“あれ”
定番メニューには、載ってないんだなー。

013すだち蕎麦メニュー_渡辺

“あれ” とは、“これ” だあ!
ココんちの名物のひとつ、「すだち蕎麦」でござる!!
しかも、ホントであると信じたい「徳島産」!

徳島といえば、映画の見識で勝手に師匠と呼ばせていただいている
「映画的日記」カッパさんのGMTなので、なんだかうれしくなってしまう。
はははー、実はまったく迷いもしないでコレを注文。

014つまみ_渡辺

甘酸っぱくて、旨味のきいたしいたけは、やっぱり酒が進むねー。
もう一本いきたいところだけど、昼酒だし、休みでもないのでがまんの子でしょ。

だいたいだな、蕎麦屋の酒はうま過ぎるよねー?
蕎麦懐石料理屋みたいな、ガッツリ構えて呑む酒もいいけれど、
ちょっとしたツマミでサクッと飲る蕎麦屋酒ってぇのは、たまらなくうまい!

そりゃ、なんでなんだろう?
と考えてみたことがあるので、下記、書いておきますぜー。



蕎麦屋酒は、なんでうまい?

① 400年かけて選ばれてきた肴
日本人が酒を呑む時に、いつからツマミを食べるようになったのかわからないし、
蕎麦屋がいつから酒やツマミを出すようになったのかも僕にはわからないけど、
“蕎麦前” というものが行われるようになってから、
蕎麦屋で出せる範囲でいろんな肴が供されてきたはず。
そりゃ、ン百年もかけて日本酒に会うツマミを取捨選択してきたということだわさ。
膨大な人力と数えきれないコレクト&エラーの末に、
酒がうまく呑める肴が定番化されているんだから、
酒がうまいに決まってる、というわけ。

② 出汁やかえしが酒に合う
蕎麦屋って、自分とこで作った出汁やかえしを使った料理が多いよね。
出汁のイノシン酸や、その出汁に合う食物のグルタミン酸などは、
発酵仲間だからそもそも醸造酒に合うんだよね。
かえしの醤油やみりんも醸造仲間で、日本酒に合うんだよね。
ツマミの味付けが日本酒とばっちり合うから、酒がうまくなるというリクツ。
①とちょっと似ているかな。

③ 欲求不満効果
蕎麦屋とか寿司屋って、江戸前の伝統というのか、昔から “長居は野暮” って言われるよね。
パパッと呑んで、つるっとすすって、さっさと帰る。
その短い時間のせいで、憩いや味や酔いが強調されるんじゃないかな。
後を引きながらも、江戸っ子は袖を翻して去らねばならぬ、のだ。
「もっと食いてえ、もっと酔いてえ」と思いながら帰る道すがら、
それはすでに “うまかった思い出” になっているのだ。

④ たたずまいも味のうち
蕎麦屋って、和や和モダンで凝った、スカッとというかキチッとというか
そういうたたずまいだよね、概して。
まあ、そうじゃないとこもあるけど、蕎麦前したくなるような店は、きっとそうだよね。
それから、器類も凝った味わいのものがほとんど。
そういう環境って、自分もキリッとしたくなるじゃん?
ほどよい緊張感や期待感って、ヒトの五感を明るく敏感にするんじゃないかな。
内装や器の匠を愛でながら、少し背筋を伸ばしてくいっと呑む酒って、
なんだかうまいもんなんだよ。

⑤ こだわり大将
粉や手打ち、道具、器、内外装、食材、天ぷら技術、接客・・・・・、
昨今の蕎麦屋の大将のこだわりは生半可じゃないよねぇ。
うまい酒や、酒と肴のマリアージュにもこだわらないわけがないじゃんか。

・・・ってなことだろうと思うなー。



015蕎麦切り_渡辺



016すだち蕎麦フタ付_渡辺

はいはい、酒もなくなる頃に「すだち蕎麦」が出てきたねー。
なるほど、フタ付きかあ。
「花巻」と同じ趣向なんだね。
ほら、フタを開けると、フワーッとすだちの香りが舞い上がるというわけだ。
「花巻」は、手でちぎった海苔がたくさん載っているから、
フタを開けるとフワーッと磯の香りが立ちのぼるという、
海苔の一大産地だった江戸の蕎麦らしい洒落なのだ。

017すだち蕎麦フタ開け_渡辺

フワ~~~ッ、ほらねー。

018すだち蕎麦寄り_渡辺

019すだち蕎麦アップ_渡辺

甘酸っぱさが、体に浸みるような感じ。
残りものに福がなかったのか、ちょっと麺が短いのが気になるけど、まあいいか。
次に来る時はちゃんとつながっているか、もり系を食べてみよっかな。

020すだち蕎麦箸上げ_渡辺

ちなみに、蕎麦の品種は、「常陸秋」と「北早生」と2種書いてあったなー。
スルスル食べて、あっという間になくなっちゃった。

021ごちそうさま_渡辺

ごちそうさまでした!



『渡邊』さんの入口に一番近い2人掛けのテーブルに、
女子が一人で蕎麦を手繰っていたんだよ。
あれはひょっとして、里花りんさんかな?
なんて思ったりしてたんだけど、
里花りんさん、僕が行った日には行かなかったとのこと。
2日と4時間くらいのズレだったみたい?

ばったり会えても一興、会わなくても一興。
こういうわくわくも、ブログのおもしろさのひとつなんだろうねー。

022椅子_渡辺

023お店外観_渡辺



●『渡邊』(わたなべ)
東京都新宿区西新宿1-12-10 八洋ビル 1F
03-3348-9126
11:00~22:00
ランチ営業
定休日/日曜日


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