“ヌーベルつけ汁” の最先端 ~ 『庵 浮雨 -un peu-』



前に、「近場で、どっか、いいとこないかなー」って、
探した時に気になったままだった店に行ってみましたー。

その名は、『庵 浮雨 -un peu-』!
・・・って、まったく読めないや。
いろいろ調べてみたけど、どうも “あんぷう” と読むらしいス。

でも、意味が全然わからんなー。
仮にフランス語として調べてみたら・・・ “少数” という意味だったかな。
行ってみると、ちっちゃい店なので、そういうコトなのかなあ。
それとも、中国語かなんかなのかなー。



場所は、埼玉県庁のある浦和だ。
JR浦和駅から徒歩3分くらいのところにある “ナカギンザ” の中。
ちなみに、“てっちゃん” たちには有名なハナシだけど、
浦和には、7つの浦和駅があるんだよ。
浦和、東浦和、西浦和、南浦和、北浦和、中浦和、武蔵浦和。
四国の “伊予” のつく駅の数にはかなわないけどね(28駅?)。
* 僕はてつでないです。

“ナカギンザ” ちゅうのは、行ってびっくり。
ビルの一階なんだけど、30~40mくらいの “通路” なんだね。
屋根があるけど、“親不孝通り” とか、“しょんべん横丁” とか、“ゴールデン街” みたいな
軒の低い呑み屋街ってあるよね、そんな感じのとこ。

通りの両側に、立呑み屋とか、カウンターバーとか、ラーメン屋とかが並んでる。
こんな “ちょい呑み横丁” みたいなとこに、あの名店があるのか?
と思いながら歩いてたら、5歩くらい通り過ぎてしまった。
けど、あった、あった!

001庵浮雨_店頭

外からでも、カウンターに5~6人、小さなテーブルが2~3卓しかないのが見える。
「えーっ?これかあ?」というのが、第一印象だなー。
店内も、昔ながらの喫茶店みたいな造りだ(失礼だなー)。



002庵浮雨_ランチメニュー

おー、ランチメニューもあるんだねー。
でもね、ココへは「これにしよう!」と決めてきたんだよね。
「花巻クリームせいろ」というやつさ。
クラムチャウダーみたいなクリーム汁につけて食べるせいろ蕎麦だぜ。
他の方のレビューを読んでも、これは特筆もんの一品のはずなんだよ。

003庵浮雨_蕎麦メニュー

・・・って、蕎麦のメニューを見たら、あれっ?ない。
じえ、じぇっ!
ない!

004庵浮雨_油蕎麦メニュー

あ、これに変わったのかあ。
んー、これもおもしろいけど、ラーメンみたいだし、
もう、口がクリーム仕様になっちゃっているからなあ。
いまさら、まぜ蕎麦かよ、どうしてくれんの?
・・・とメニューを眺めると、「肝せいろ」という変な感じのやつがあるじゃんか!
これもつけ汁蕎麦だから、これでいこう!というわけでコレにしたった。
もひとつは、だいたい味の想像がつくけど、健康によさそうなので「ごま汁せいろ」にした。

005庵浮雨_ごま汁せいろ

↑ほれ、「ごま汁せいろ」はこんな感じ。
ご主人は、横浜一茶庵(※1)の学校の卒業生で、あの神田「眠庵」で修行したというから、
麺はさすがの美形だなー。
十割なのに、けっこう細くて、よくつながっていて、けっこう長い。
ちゃんと、蕎麦粉の味がするもんね。

006庵浮雨_ごま汁せいろ汁

ごま汁は、かえしをつかっているんだろうと思うけど、ゴマー、って感じがパワフル!
強いゴマの香りと濃厚なすりゴマの味が口に広がりまっせ。
しかも、甘くない。
妙な旨味もない。
ゴマ本来の香りと味を強調した、大人の味だな。
ラー油がついてくるので、使うと一種タンタン麺みたいな風味になるわさ。

どこにでもありそうで、案外ないんだよね、ゴマのつけ汁って。



テーブルの上に、たくさんメニューが置いてあるので、手に取ってみた。
おーっ、地ビールがあるじゃん。
これは、イケてるねー!

007庵浮雨_ビールメニュー

地ビールは、ピルスナーやラガーや一部の黒ビール以外は、
上面発酵って言って、味の濃いものが多いんだよ。
作り方も、酵母を漉さないか大雑把に漉したものが多いから、
発酵食品としての個性も豊かなのだ。

なぜか、日本人が普段飲んでいるビール(ピルスナー)より、
こっちのほうが圧倒的に料理とのマリアージュがうまくいくものが多いんだよ。
だから、地ビールや外国のビールをいろいろ置いている店は、
料理もおいしいとこが多いはず
なので、少しウキッとしてしまうのだ。

ちなみに、地ビールに多い上面発酵ビールが、ビール本来の姿なんだよ。
工業的につくられている、下面発酵のピルスナーのほうが特殊なビールだべ。
くわしくは、いつかまた。

日本酒も、渋めのところでちゃんとあるね。

008庵浮雨_清酒メニュー

焼酎や梅酒もある。

011庵浮雨_焼酎メニュー

驚くのは、ワインメニューの豊富さだなー。
銘柄については、僕には全然わからないけど、種類がたくさんあることくらいはわかる。
あと、実際に食してみて、赤ワインとその料理が合うか合わないかもわかると思う。

010庵浮雨_ワインメニュー白

009庵浮雨_ワインメニュー赤

ひょっとしてと思って、ココのある日の一品料理メニューを見ると・・・

<洋風小皿料理>
●ヒラマサの炙りカルパッチョ
●イカのわたクリームあえ
●エビとアンディーブのマリネ 赤ワインビネガー風味
●タコブツとブロッコリーのガーリックマリネ
●ホタテの洋風板わさ
●アジの洋風なめろう
●たらこのスモーク
●鴨のスモーク
●地どりのササミ 洋風とりわさ
●豆腐チーズ
●酒盗クリームチーズ
●ミモレットチーズ&わさびづけ

<野菜料理>
●自家製濃厚とうふ
●ホウレン草のゴマクリームあえ
●みょうがのピクルス
●トマトのおひたし サフラン風味
●木の子のマリネ

<蕎麦屋のビストロ料理>
●豆苗のバターソテー
●だし巻き風オムレツ
●牛ホホ肉のスープ煮
●豚肉コンフィーのグリル
●白子のムニエル こがしバターソース
●鴨のロースト ゴマ風味

<デザート>
●くるみのヌガーグラッセ キャラメルソースがけ

・・・なーるほどね、ココがどんな蕎麦屋なのかわかるというものだ。

★前にも書いたけど(※2)、ココは「蕎麦で〆られる呑み屋」なのだ。
★しかも、ココは、飾りっけのない「ちょい呑みダイニング」でもある。
★しかし、「フレンチ風料理&ワインをかなり楽しめる店」なのだ。

↑この★の3つのポイントが、この店の実像なんだろうと思うな。
そう、神田「眠庵」の洋風版とでもいうのかなー。
実に、ユニークだよね!
お昼に車で行ったので、この店のホントのおいしさや楽しさを満喫できなくて、
めっちゃ残念だった。



さてさて、“ヌーベルつけ汁” の本領やいかに!

012庵浮雨_肝せいろ引き

ナハハ、写真で見るとごま汁と似てるねー。
でもホントは、けっこう違うんだ。
あっちは、うすいベージュ色だけど、こっちはうすい茶色、って感じ。
(なんかよくわからんね)

013庵浮雨_肝せいろ汁

細かく切ったあさつきの下、筒に切ったやつも汁の中を泳いでる。

麺は細麺。

014庵浮雨_蕎麦寄り

ちょっと角が丸い気もするけど、十割で長さもじゅうぶんなので許す(えらそーだなー、こらー)。

015庵浮雨_蕎麦アップ

016庵浮雨_蕎麦マクロアップ

汁の中には、レバーではなくたぶん鳥のハツだね、これも入ってた。

017庵浮雨_肝せいろ汁ハツ

手繰った蕎麦をとっぷり浸して、すすり込むと、おーっ、きたー、レバーだあ!
そう、レバーパテの味だ。
メニューにも、“手繰るレバーパテ” って書いてある通りだなー。
しかも、ニワトリのフォアグラ・白レバーを使っているそうだ。
こりゃ、赤ワイン片手にこれを手繰る、ってのもありだなー。
おもしろい!!
もちろん、うまいですよ!!
でも、レバー類の嫌いな人は、まったくだめだと保証しましょうね。
でも、レバーパテやフォアグラを赤ワインでやるうまさを知っている人は、踊り出すだろうね。
そして、僕みたいに車で行ったとしたら大後悔するねー、間違いなく。



日本人はきっと、コレクト&エラーを数百年も繰り返しながら、
やっぱり、いまある辛汁をもり蕎麦のつけ汁に選んで、洗練させてきたんだよね。
きっと、それに匹敵するか勝るつけ汁を見つけるのは、すぐには難しいかもしれない。
でも、こういうチャレンジは、僕はすばらしいと思うなー。

江戸蕎麦のこだわりは、いわば古典芸能のすばらしさ、おいしさだと思う。
それはそれ、これはこれ。
蕎麦の世界でも、通と呼ばれる人たちのヒンシュクをかいながらも、
ぜひとも、新しくて完成された表現を見つけてほしいと願ってまーす!



018庵浮雨_店頭行燈



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※1
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「一茶庵」とは、関東大震災後の大正15年に、“天才”と呼ばれた片倉康雄が
いまの新宿アルタのあたりに21歳にして独学で開いた蕎麦屋のこと。
当時の蕎麦界は、大正から昭和の始めにかけて機械打ちが一般化していて、
蕎麦通と呼ばれる人たちも当時の雑誌などで嘆いているほどだった。

「一茶庵」も最初は機械打ちの上、まずい蕎麦屋だったらしいけど、
文筆家で蕎麦通だった高岸拓川という人に手打ちをすすめられて、
昭和4年頃から評判となり、その後、魯山人と出会い、
建物や器、メニューなどを“蕎麦料亭”化することとなったと言われている。

昭和8年に東京・大森に移転してから、蕎麦料理として大森海岸で獲れる海産物や
フランス産の合鴨を使ったり、関西料理のよさを取り入れたり、
独自の石臼技術をあみ出したりで、一世を風靡するに至ったとのこと。

その後、第2次世界大戦があって、一茶庵は閉店したが、
昭和29年に、請われて栃木県の足利市に再開してからは、
家族・親類、弟子たちなどが次々に関東近圏に店を開いて今日に至っている。

一茶庵は、そうして“手打ちの名人”として復活して以来、
昭和40年頃から始まり現在まで続く “手打ちブーム” の火付け役となったとのこと。
現に関東各地に「そば教室」を開いてプロを養成。
いまもその兄弟や子供が引き継ぎ、横浜などで教室は続けられているからすごい。
これまでに、1,000人あまりの卒業生を世に送り出し、
その4割の人たちが蕎麦屋を開業しているというから、
さらにその弟子たちも含めると一茶庵系の蕎麦屋はものすごくたくさんあるはず。

ちなみに、あの有名な翁達磨の高橋邦弘氏も初期のこの教室の卒業生で、
卒業後も宇都宮「一茶庵」で修行を行った後、東京・南長崎の「翁」を開店したそうだ。

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※2
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蕎麦屋ってなんだろう、ってたまに考えることがある。
めし屋なのか、呑み屋なのか、料亭なのか・・・。

それは蕎麦屋が、“○○庵” とか “○○屋” とか言っても、
高いのか安いのか、うまい酒やツマミがあるのかないのか、こだわり系かフツーなのか、
店名やお店の外観、営業時間などではわかりずらいからだと思う。

イタメシ屋なら、パスタ屋なのか、ピザ屋なのか、トラットリアなのか、リストランテなのかで
どんな使い方をしたらいいのか、なんとなくわかるよね。
和食なら、食堂なのか、居酒屋なのか、小料理なのか、割烹なのか、懐石料理なのかなどでそれとなくわかる。

でも、蕎麦屋となると急に難しくなるよね。
天ぷらとか寿司とかうなぎとか、専門店だと難しいのかなあ。


① ウチは「めし屋」である

営業時間は、昼と夕方の3時間ずつくらい。
丼物とのセットメニューもいろいろある。盛りもいい。
時にはチキンライスもあったりする。値段もだいたい安い!
酒は日本酒1種とビール大瓶、つまみは枝豆くらい。
そう、働く者の強い味方、いつもの店だ。
バカにしているんじゃないよ、僕は実はこういう店が大好きなんでーす。
腹いっぱい、幸せいっぱい食べられるし、
「蕎麦は手打ちで、天重も天ぷら屋顔負けのうまさ」、
というような店も探せばけっこうあるからね。
こういう店が、1980年代までの日本の経済成長を引っ張って来たんだよ。
残念ながら、最近はこういう店を見つけるのが難しくなってきたね。
昔は、駅前といえば1軒や2軒必ずあったんだけど。


② ウチは「ちゃんとした蕎麦屋」である

営業時間は、昼3時間&夕方3時間くらい。
蕎麦屋らしいメニューがそれなりの値段で押さえてあって、
季節を感じさせる天ぷらなどもその折々にある。
ツマミも伝統的な品書きのほか、季節のものやオリジナルもあって蕎麦前をそそる。
「天ぬき」や「鴨ぬき」などの蕎麦屋裏メニューも通じる。
酒も燗酒、冷酒でこだわり銘柄がある。
惜しむらくは、中休みがあるので、昼下がりの蕎麦屋酒ができない。
・・・といった感じかな。


③ ウチは「蕎麦にこだわる、こだわり蕎麦屋」である

一日に、昼の2時間しかやってなかったりする。
昼&夜それぞれ2時間くらいやってても、
「蕎麦がなくなりしだい閉店」だったりする。
酒にもツマミにもあまりこだわっていない。
むしろ、酔っぱらいにはいてほしくないようすだ。
蕎麦単品の値段は、そこそこ高い。
店主に語らすと、長い、説教っぽい。


④ ウチは「蕎麦前を楽しめる蕎麦屋」である

②とあまり変わらないけど、
ツマミメニューと酒のラインナップがもっと多くて、
ぐぐっと呑みたくなる。
夜は、フツーの蕎麦屋は午後8時頃に終わるけど、
このテは9時か10時頃までやっていることが多い。


④’ ウチは「昼下がりの蕎麦前を楽しめる蕎麦屋」である

②または④の「中休みなし」バージョンのありがたい店。
これが意外と少ないよね。
中には、11:00~16:00だけとか、12:10~17:00だけといった
“昼下がりのまったり” を思い切りねらった店もあるよねー。
昼酒をする習慣というか気力というかがなかった僕には、
このテが最も “大人の世界” でわかりにくいんだなあ。
法事の時に、昼間っから酔っぱらっていた、親戚のおっさんを思い出してしまう。
でも、自分も正月なんかは昼から呑むかあ。
ともかく、昼酒の好きな向きには、とってもありがたい店だ。
このタイプが、江戸の蕎麦屋やうなぎ屋の真骨頂なんだろうな。


⑤ ウチは「蕎麦で〆られる呑み屋」である

これは、④と似ているけど、蕎麦屋の範疇から逸脱したツマミがたくさんある店。
逆に蕎麦のメニューがもりだけだったりして、“呑み” と “蕎麦” が逆転している感じ。
そもそも蕎麦屋だから、ツマミが手作りで手間がかかっていて、
器も凝ったりしてるから、まるで小料理屋や割烹料理屋みたいなレベルのとこも。
和風ダイニングバー、という言い方もできるかもね。
ランチタイムに加えて夜遅く11時頃までやっているか、
17:00~23:00だけといった、完全呑み屋型のとこもあるね。


⑥ ウチは「蕎麦懐石料理屋」である

文字通り、蕎麦周辺の素材や季節の食材を使った懐石料理屋。
高いよ。


⑦ ウチは「手打ち蕎麦を食べられる日本料理屋」である

コース料理が蕎麦でシメという料亭や割烹って多いよね。
でも、コレって蕎麦屋じゃないね、すんません。


・・・といったくらい、蕎麦屋にはいろんなスタイルがあるよね。
まあ、ネットで情報収集すればいいんだけど、
行き当たりばったりの看板やたたずまいではわかりずらくてさ。

こうやってみると、東京の老舗名店って、
①から④'までをピシッと押さえているとこがほとんどなことがわかる。
なるほど、さすが!
でも、ほぼ午後8時頃で終わりだから、
昼のほろ酔いはよしだけど、夜中の酩酊に加担する気がないのも特徴だね。
きっぱりと、「酔っぱらってぐだぐだ言ってんじゃねぇや、蕎麦食わねぇんならほか行っとくれ」
っちゅう潔いスタンスが伺えるね。

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●『庵 浮雨 -un peu-』
埼玉県さいたま市浦和区高砂2-8-11 ナカギンザ内
048-825-0468
11:30~14:00 
17:30~22:00
ランチ営業
定休日/月曜日


四谷三丁目(東京都新宿区)の楽器屋さん



猫好きのキャーコ(知人)が、楽器好きの僕に、
「四谷三丁目におもしろい楽器店があるよ」というので、
行ってみたっけ・・・。








001ねこや外観

002ねこや寄り

003ねこや看板



「・・・・・・・」



↓何か言いたいこと、聞きたいことがある方はこちらへ(苦笑)。



●『ねこや』
東京都新宿区四谷3丁目6-1
03-3351-1647
10:00~19:00
定休日/日曜日・祭日


ゴン中山は4度死ぬ



1994年3月だった。
僕は、原宿にある撮影スタジオにいた。
新発売された商品の販売促進キャンペーンのための懸賞景品の撮影だ。
クライアントは、スイスに本社がある世界最大の食品メーカーN社の日本法人。
商品は、「V」という名前のミネラルウォーター。
そのイメージキャラクターが、中山雅史だった。

'93年5月に華々しくJリーグが開幕したことで、
広告界でも、人気球団や選手を製品のブランドづくりのための “顔” として使うのが
もてはやされたのだ。
'92年のアジアカップで活躍し、日本代表にも選ばれ、
“ドーハの悲劇” で泣き叫ぶ姿で多くの若者の心を揺るがした、
Jリーグ昇格を決めたばかりのジュビロ磐田のエースを
世界企業のN社がほうっておくテはなかった。

商品を買って、ボトルのラベルの一部を切って、
ハガキに貼って送ると抽選で当たる、商品ロゴ入りの景品を5点ほど撮る。
デジカメはプロの道具としてさえもまだポピュラーではなかった。
銀塩フィルムカメラで、ライティングとシャッタースピードを何度も調整し、
ポラロイド写真で仕上がりを仮想しながら撮りまわすと2時間はかかる。

クライアントの宣伝担当者と、広告代理店の営業マンのおもりもしながら
仕事をするハメになるので、とりあえず終われば、一服のひとつもしたくなる。
あとは、ポラを眺めているクライアントが、自分の仕事はここぞ、とばかりに
見当違いの注文をつけて、撮り直しにならないことを祈るばかりだ。

スタジオのバックヤードでコーヒーをすすっている広告代理店の営業マンのIに、
僕はお愛想のつもりで話しかけた。

「Jリーグさまさまですね。しかも、選手個人との契約なんて、すごいですよね」
しかし、Iはにこりともせずに、紙コップの中をじっと覗いている。
声が大きすぎたかな、と反省しつつも、
「中山雅史っていうんですよね。ルックスもいいし、これからが見ものですね」
と僕が言うと、Iは僕と目を合わさず、抑えた声を紙コップの中に溜めるように言った。

「ここだけの話だ。まだ発表されていないんだけど、すぐに問題になる」
「え、なんですか?」
「中山雅史はもうだめ。股関節の障害で、選手生命は終わりだそうだ」
「えーっ?もう、って始まったばかりじゃないですか。治療で治らないんですか?」
「スポーツ選手、特に、サッカー選手の持病みたいなもんなんだってさ。
でも、彼は無理を重ねてしまって、もう治せない、もうスポーツはできない、
というところまで来てしまってるらしいんだ。
彼も絶好調でここまできたし、クライアントとも契約したばっかなんだけどさ」
「・・・・」
「ウチとしてもやばいんだ。こうなることを知ってて契約させたんだろ、
って疑われて、これから問題になるんじゃないかと思う」
「・・・・」
「だから、絶対黙っといてくれよな」

この1カ月後、中山雅史の姿は、ピッチからもテレビからもスポーツ新聞からも、消えた。



001ゴン走る
Photo:Naoya Sanuki「Number PLUS 中山雅史と日本サッカーの20年」文芸春秋社刊より



ゴンちゃん、辞めちゃったよねー。
去年(2012年)の12月4日に記者会見やって、
本人は「第一線を退いただけ」と言ってたけど。

ずいぶん経っちゃったので、唐突感をぬぐえないけど、
前々から、書きたい!と思っていたんだよ。
コンフェデ杯だっけ?W杯アジア最終予選だっけ?
最近、ゴンちゃんを解説者としてテレビで観たので、
「いまでしょ!」ということで、ログってみました。
(それにしても、だいぶん経ってるかあ)



ゴン中山って、どんな人だと思う?
陽気で、アドリブがきいて、いつも笑顔で、ギャグをぶちかましている “お祭り男”、
って思っているんじゃない?
もうちょっとサッカーを知っている人なら、猪突猛進プレー、何物も恐れない突貫小僧、
って付け加えるかもしれないね。

そりゃ、その通りだけど、
でも僕は、それはゴン中山がハレを演じてる部分なんだと思ってるんだ。
一面というか、片面というか。
ホントは、めちゃめちゃ武骨で、ストイックで、スポ根な男なんだと思う。
でなけりゃ、あんな過酷な選手生活を20年以上も送って来れるわけがないよな。



002ゴンにらむ
Photo:Akira Matsuo「Number PLUS 中山雅史と日本サッカーの20年」文芸春秋社刊より



'94年の撮影現場での一件の後、ゴン中山は8カ月も姿を消していたんだよ。
ほぼ1シーズン、すっぽり。
僕は当然、職業を変えたんだと思っていたよ。
というか、当時はその存在すら忘れてた。

でも、'95年のリーグが始まってみれば、超びっくり。
ゴンちゃん、やってるじゃんか!
しかも、元イタリア代表のスキラッチと組んでジュビロのフォワードをやってる!



それからずいぶん経ってから、
ホントに偶然にテレビのドキュメンタリー番組を観たんだよ。
ゴンちゃんの選手生活に迫った内容だったなー。
なんチャンネルなのか、忘れてしまったけど。

たしか、深夜枠だったかな。
ゴン中山の身に、なんかがあったというわけでもなく、
つまりその番組オンエアの動機づけがないので、
ひっそりとしていて、ほとんどの人が観た記憶がないだろうと思う。

ゴンちゃんは、テレビの中でひたすら歯を食いしばっていたんだ。
死んでいたはずの '94年シーズン1年間の中山雅史の記録だった。
手術後のリハビリの苦しさが、延々と描かれていた。

仲間からどんどん遅れをとる姿。
つい昨日まで、シュビロと日本代表の先頭を全力で走っていたのに。
全然思うように治らない足。
痛みに歪む顔、とてつもなく痛いのが伝わってくる。
フツーなら、強烈に顔を歪めたまま何時間もリハビリなどしないからだ。
相当無理をしているのがわかったなー。

それを観て、ゴンちゃんに対するイメージを変えざるを得なかったねー。
ゴン中山は、サッカーの鬼だ!
スポ根なんてレベルじゃない。
修行僧だ、虎の穴のレスラーだっ!
こんなところで、“ゴン” なんて呼んでたら、バイシクルキックをもらうぜ。
バリバリの体育会男。
そして、激しい痛みがあっても表に出さない、プロフェッショナルなのだ。



'95年シーズンは、スキラッチと組んでスタートしたものの後半、やっぱり故障。
無理してるんだろうと思った。

'96年は、リーグ不調、代表からもはずされる。
まあ、あたりまえだよね、そんなに簡単に治るわけがないよ。

ところが、'97年後半は見違えるように復活!
ジュビロのステージ優勝に大きな貢献をするまでになったわけ。

そしたら当然、W杯フランス大会の最終予選の最終局面で日本代表に召集。
カズと呂比須が出場停止だったせいでもあるけどね。
でも、実際、本大会出場への大きなパワーになったよね。
さらには、鹿島とのプレーオフでも活躍して、
ジュビロをリーグ初優勝へと導いたんだった。

W杯本大会での起用の希望が生まれたせいか、'98年のゴンは神がかっていたねー。
4試合連続ハットトリックの偉業を達成!
これは、ギネスにも載っている記録なんだよ。
さらには、31歳にして36ゴールを挙げて得点王をとったっけ。

003ゴン叫び
Photo:「Number PLUS 中山雅史と日本サッカーの20年」より

当然のように、'98年W杯フランス大会本大会に出場。
グループリーグ3戦全敗だったけど、
ジャマイカ戦で日本人初のW杯得点を決めたんだった。
得点直後に足を骨折したのに、最後まで戦ったんだったね。
本人は後日、「よく夢中だったら痛みを感じないというけど、強烈に痛かった」
と言っていたけど、やっぱり、無理をするタイプなんだなー。

004ゴン痛い
Photo:Naoya Sanuki(JMPA)「Number PLUS 中山雅史と日本サッカーの20年」文芸春秋社刊より

それにも関わらず、'99年のリーグ制覇、2000年の試合開始後最短ハットトリック
またギネスに載ったり、2002年のW杯日韓大会出場など、
華々しい活躍をしたんだよ。
この頃が、中山雅史が最も輝いた時期だったんじゃないかな。

そして、2003年に股関節周辺の傷害を再発してチーム離脱。
天皇杯でワンポイントで活躍するけど、'04年シーズンはふるわず。
この時、ゴンはまた死んだんだよ。

2005年からリーグに復帰。
'06年以降徐々に出場機会も減っていったけど、
’09年までに数々の “最年長記録” を塗り替えていったんだね。

2010年、コンサドーレ札幌に移籍するも、11月に膝を手術。
この時、ゴンちゃんの膝の半月板と軟骨はほとんどなくなっていたそうだ。
膝の骨と大腿骨がクッションをなくして直接あたってしまう。
当然、走るどころかちょっと歩くだけでも激痛が走るんだそうだ。
2012年に “第一線離脱” を表明するまで、立っているのがやっとなのになお、
チャリティマッチに出場したりしてたのだ。
これが3度目の死だなー。



こうやって書いてみると、まるで3回手術をしただけに見えるのはまずいな。
調べてみると、ヤマハ~ジュビロ磐田にいた20年の間に、
治療のために100回近くも戦線離脱していた
のだ!
フツーの選手なら、3年もケガを続ければ戦意を喪失して、
パフォーマンスも落ちてクビになっちゃうのだ。
100回も大ケガをしながら20年も続けてきたなんて、とんでもないハナシだよね。

ゴン中山の選手生活は、ひょっとするとピッチに立っていた時間より、
病院やリハビリルームにいた時間のほうが長かったかもしれないな。

そう、ゴン中山は、23年間ずっとケガをしていて、
なんとなく足の具合のいい時に、その短いスキマで、
爆発的な活躍をして輝かしい記録を残してきた
んだよ。

痛くてがまんできないのに走りまくり、
「まだまだもっといいプレイができるはず」ってさらに打ち込み、
マスコミの前では明るくひょうきんに振る舞って、
僕らに元気と夢を与えてくれたんだなー。



僕は、いまテレビでピンピンしてサッカー解説をしてる中山雅史を見ると
うれしくなって泣けてくる。

だって、“ゴン中山“ は、もう死なないから。



005ゴン引退



ゴン中山さん、“力” をありがとう!! おつかれさまでした。



<中山雅史主な記録>

● 世界最多 連続ハットトリック / 4試合 (’98年4月15日~29日、ギネス認定)

● 最短ハットトリック / 3分15秒 ('00年アジアカップ予選・対ブルネイ戦、ギネス認定)

● Jリーグ通算最多得点 / 157得点 (355試合)

● Jリーグ年間最多得点 / 36得点 (27試合)

● Jリーグ1試合最多得点 / 5得点 ('98年4月15日・対セレッソ大阪戦)

● J1最年長出場 / 45歳2カ月1日 ('12年11月24日現在・対横浜F・マリノス戦)

● Jリーグ得点王 / 2回 (’98年・36得点、'00年・20得点)

● JFL1部得点王 / 1回 ('92年・13得点)

● JリーグMVP / 1回 ('98年)

● Jリーグベストイレブン / 4回 ('97、'98年、'00年、'02年)


水没しなかった “さいたま” 県名由来の土地 ~ 『のぼうの城』



ロケ地じゃなくて、史実の舞台となった場所をめぐりました。

★過去ログとクロスオーバーしています。
↓下記をクリックしてねー!
のぼうの城下では蕎麦も強かった~『そばよし』


傷だらけのペントハウス ~ 『傷だらけの天使』



じぇじぇじぇ、じぇー!
“海はないけど、夢はある”、埼玉西部のつかりこでございます。



仕事の打ち合わせで、よく代々木(東京都渋谷区)に行くんだよ。
日本中で見かける「代々木ゼミナール」の本校があるところ。

代々木に行くたびに、気になっていた建物があるんだよ。
JR代々木駅の西口を出て、右に曲がったら2軒目のビル。
えらいボロボロの7階建で、ずっと昔からボロボロのままなんだ。
それなりの街なかで、変な意味で目立ってる。

ある時何かのはずみで、それがあの「傷だらけの天使」で出てくる
エンゼルビルだって知ったんだよ。
アニキ(ショーケン)の棲家(ペントハウス)のあるビルだよ。
あの屋上に建てられた、小屋のような家だね。
変なところに住んでるなあ、ってずいぶんと印象的だったよね。

そのビルが、元々ボロいのにさらに少しずつボロくなっていく。
ここ数年、週に何度も見続けているからね。
どんどん入居店舗が抜けてくし、外壁の鉄板もどんどんサビて剥げてきてるし、
上のほうは、ハトが住みついちゃってる。

なんでいま、「傷だらけの天使」なんだよー、と言われると困るけど、
そろそろ取り壊されるんじゃないかなー、って気がしてきたので、
ここらで記録しておかなくちゃ、ってことで・・・。



001代々木会館_外観1
東京だって新しいビルばかりじゃないけど、バツグンのボロさで目立ってる。
右のビルの地下には、林家木久翁師匠の「全国ラーメン党 代々木店」がある


002代々木会館_外観2
劇中では「エンゼルビル」、本名「代々木会館」
背景のNTT DOCOMOビルが、そのボロさを際立てる


003代々木会館_1階うなぎ
数年前に店じまいしたうなぎ屋。
それでも、1階には立ち食いの「笠置そば」ほか、1~2軒ほどテナントが残ってる


004代々木会館_2階看板
その昔、2階は飲食店街だった


005代々木会館_1階奥
ビル正面から1階をのぞくと、「笠置そば」の裏口が見える。
「なにわ骨董店」という看板もある


006代々木会館_1階ポスト
1階正面横の入居者用階段を上る前


007代々木会館_階段
1~2階の踊り場。7階まであるのに、エレベーターはないのか?
後で知ったけど、ここにファンが勝手に入って、よく不法侵入罪で捕まるらしい


008代々木会館_ペントハウス1
屋上右、崩れた手すりの後ろにペントハウスが見える


009代々木会館_ペントハウス寄り
建物が傾き、窓が飛び出しているのがわかる


階段を上って屋上に出たかったんだけど、
4階の中国関係図書輸入販売の「東豊書店」のところで、
階段に荷物が山積みになっていて、それ以上上れなかったんだよ。
ちなみに、「東豊書店」には明かりがついていて、人がいたよ。

付近のビルの上階に上って屋上を撮れないか調べたけどだめ、
こっち向きに窓のあるフロアや空き部屋のあるビルがないんだなー。

残った看板で、過去のテナントの形跡を見ると、
パチンコ、ビリヤード、麻雀、不動産・・・うーん。


010代々木会館_ペントハウス屋上
ネットから勝手に拝借した写真。
2000年に建ったNTT DOCOMO代々木ビルが映ってないから、13年以上前でこのありさま。
アキラがギターを弾いた階段やペントハウスの屋上はまだしっかりしていた


011代々木会館_ペントハウス室内
劇中のペントハウスの中


012代々木会館_ペントハウス駅側
代々木駅方面から撮ったペントハウス。じぇー!すでに傾いている



『傷だらけの天使』は、1974年10月5日から1975年3月29日までの毎週土曜日
22:00~22:55で日テレ系で放送されたドラマ、26話あるらしい。
1997年には、阪本順治監督で映画化されたね、観てないんだけど。

テレビ版の主な出演は、萩原健一、水谷豊、岸田今日子、岸田森、ホーン・ユキ、西村晃、船戸順。
室田日出男など、毎回の出演者も、いまとなっては大物ばかりだ。

メインライターは当時新進気鋭の市川森一。
13人の脚本家が持ち回りで書いたそうだ。

監督も入れ替わり立ち代り。
恩地日出夫、深作欣二、神代辰巳、工藤栄一らが参加したんだと!

オープニング曲は、井上堯之バンド

衣装協力はあのBIGIで、デザイナーは菊池武夫だった!

こうしてみると、このドラマが当時のファッションや音楽、映像カルチャー、若者風俗などの
最先端を走っていたことがわかるなあ。
バリバリトンガッていたんだ!
どうりで人気があったわけで、いまでも語り草なわけだ。

000ショーケン
オープニングのアニキの朝食。探偵のアニキとアキラの生き方を象徴した映像だったと思う


でも、ご覧の通り、あの頃のエンジェルは傷だらけ。
ショーケンのあれやこれやで、番組の看板も傷だらけ。
この上、中国資本にでもビルを買われちゃって取り壊されたりしたら、
どんどん忘れ去られていくんだろうなー。


オムライスもチャーハンもラーメンもある蕎麦屋 ~ 『長寿庵』



先日、OMUNAOさんのブログ「オムライスのある風景」で、
“でっかいオムライス” のハナシをやっていたんだけど、
その2~3日前に、けっこうでっかいオムライスを食べたばっかりだったので、
思わずコメントを投稿させてもらいました。

そしたら、映画『小さな恋のメロディ』の記事を盛り上げていただいたうえに、
僕のつたないこのブログの紹介までしていただききました。

「オムライスのある風景」は、オムライスの食レポももろんあるけど、
フツーの食レポブログじゃないんだよ。
OMUNAOさんがオムライスを食べに行ったその店で思い浮かんだショートストーリーや、
オムライスの思い出や全国オムライス選手権などなどが展開。
オムライスをメタファーにして広がる、感性あふれたオムライスワールドなんだよ。
なんかおもしろいことないかな、なんて思っている方は、ぜひどうぞ。
フツーのブログとは違う体験ができること請け合いです!

今回は、OMUNAOさんへの感謝とお返しの気持ちを込めて、
上記ご紹介とそのオムライスの店を記事にしてみることにしました!
(OMUNAOさんありがとうねー)

僕のこのブログのカテゴリーには、「オムライス」というのはないんだけど、大丈夫さ!
その店は、蕎麦屋さんなのだ。



行き先は、埼玉県飯能市。
埼玉県の西のはずれにあるんだな。
秩父市と東京北西部の山を分け合っているような感じ。
もうちょっと西に行ったら、山梨県。
だから、まわりは山や峠やゴルフ場なんかがたくさんあって、空気がうまいぞー。

駅前にプリンスホテルがあって、埼玉西部では有名な丸広百貨店発祥の地だけど、
市街地は小ぶり。
でもね、江戸時代には火事の多かった江戸市街への木材の供給源として栄えていたらしく、
歴史ある建物や江戸時代の雛飾り、桃山時代に始まった大絵馬奉納なんかが
残っていたりするんだよ。

あの偉大なる漫画家、萩尾望都はいま飯能に住んでいるらしいよ。へぇー!



オムライスで有名な蕎麦屋『長寿庵』は、西武線・飯能駅のすぐ近くの
飯能銀座通り商店街の一角にあるんだよ。
今回、そういういきさつで2回目の訪問。

1回目に行った時と同じ、仕事仲間のKくんを同伴・・・

つ「Kちゃん、オムライス食べに行こうよ」
K「えっ?」
つ「ほら、この前行ったとこ」
K「・・・・」(えーっ、またオムライス?)
つ「ほら、あの、でっかいオムライスのとこ。腹いっぱい食えるじゃん」
K「満腹になると、眠くなって、仕事にさしつかえるしぃ、えと、今日はかつ丼とかにしたいな」
つ「あー、かつ丼もあったよ、うん、あったあった」
K「じゃ、オムライス、つかりこさん食ってくださいよ」
つ「うん、わかった。あ、半分こにしようや」
つ「あ、そうだ、オムライス、今度は大盛りにしようよ。900グラムあるらしいぜ。
  写真撮りたいんだよ」
K「・・・・」
つ「わかった、大盛りはやめようか。フツー盛りでもかなり多いもんね」

・・・なんてやりとりがあって、大食いのKくんを誘導成功。
大盛りは断念することになっちゃったけど。
でも、結局Kくんは、かつ丼フル+オムライス半分+玉子とじ蕎麦半分
を平らげるハメになるんだけどね。



お昼の12時半頃にのれんをくぐると、
商店街の閑散ぐあいに反して、平日なのにけっこう混んでいたよ。
街の人気店なんだなー。

001長寿庵_ご飯メニュー

いきなりご飯もののメニューを見ると、おー、あったあった、オムライス!
ほら、やっぱりかつ丼もあるぜー。
それどころか、うな重だって、チャーハンだって、ハンバーグカレーだってあるよ。

002長寿庵_ラーメンメニュー

なんと、ラーメンだって専門店並みのラインナップ!
そうかあ、和・洋・中揃っているんだな、ココは。
無口系のKくんにウムも言わさず、僕の独断でホイホイ注文したった、ナハハ。



さっそく出てきたのが、今日の主役のオムライスだっ!
ほら、昔ながらのオムライスでしょ?
デザートのメロンがうれしいね。

004長寿庵_オムライス全景

写真ではわかりにくいけど、ライスの量は、フツーのご飯茶碗で4杯分くらいはあると思う。
ケチャップもたっぷり!

皿に書かれた電話番号の市内局番が、ひと桁なのに気がついた?
ちなみに、飯能のいまの市内局番3桁だよ。

005長寿庵_オムライス寄り

そう、高さがあるんだよ。
よく見ると実にいいカタチ、こなれた仕事だなー!

006長寿庵_オムライス超寄り

そうこうしてるうちに、かつ丼が運ばれてきて、
その20秒後くらいに蕎麦も出てきたので、ちょっとパニクってきた!

約58秒ほどで、オムライスを半分食ってやったぜ。
写真を撮るのに、蕎麦がのびちゃうからだ。

007長寿庵_オムライス半分

洋食屋のオムライスではない。
胡椒とバターがきいてないからね。
ケチャップライスの具は、玉ねぎと豚肉だなー。
ケチャップの量が絶妙で、味が薄からず濃からず。
炒めぐあいもばっちり!
うまいーっ!
そうそう、これが昔ながらの食堂のオムライスだよなー。

008長寿庵_オムライス中身



かたや、かつ丼。

009長寿庵_かつ丼

かつが、思ったよりでかい!
関東風の、溶き卵を全体にかけて、衣全体を煮ちゃうタイプだね。

010長寿庵_かつ丼寄り



そう、そういえばココは蕎麦屋なのだ。
あったかい蕎麦のメニューを見ると、ほらほら、「花巻」「玉子とじ」「おかめ」
「天南」、「天とじ」なんかの伝統的なメニューをきちっと押さえてある!!

011長寿庵_温メニュー

012長寿庵_電飾メニュー01

013長寿庵_電飾メニュー02

来る前は、いわゆる街の食堂蕎麦屋だと思っていたんだけど、
こりゃ、マジな蕎麦屋だぞ、って、期待がモリモリしてきたので、
ちょいと意地悪して “蕎麦屋の腕がばれる” 「玉子とじ」をたのんだんだった。



オムライスのスプーンをほおって、カメラを構えたら、あー、やっぱり!
オムライスと戦っている間に、すこし玉子が固まり出してるねー。やばい

014長寿庵_玉子とじ蕎麦

大きめに真四角に切った海苔を、かけ蕎麦の上に載っけて台座にして、
その上に溶き玉子を載せる江戸蕎麦の定法とは違うけど、
四角い海苔は載っているね。

015長寿庵_玉子とじ蕎麦寄り

玉子の溶き方は、江戸前の場合は、
白身と黄味を分離しないように完全にかき混ぜるんだけど、
ココのは白身と黄味をさくっと混ぜたタイプ。

それから、玉子とじの玉子の固め方も伝統的には2種類あるんだな。
高温で素早く混ぜて全体を糸状にするのと、玉子全体をふんわり仕上げるタイプ。
ココんちのは後者をめざしているんだね。
あと、わかめが載っているのも個性的。
でも、ちゃんとうまいよ。

あのね、溶き玉子と甘汁がミックスされると、新しい味が生まれるんだよ!
それに、きざみ葱を入れると、さらにうまい温蕎麦になる。
これを知らない人がけっこういるんだよなー。

016長寿庵_玉子とじ蕎麦箸01

写真ではわかりずらいけど、蕎麦の麺の太さが少しまちまちに混じっているぞ!
これは、手打ちか!?
ココは、街の蕎麦食堂のはず。
まったく期待していなかっただけに、かなり驚いたよ。

017長寿庵_玉子とじ蕎麦箸02

ご店主に聞けば、蕎麦も、うどんも、きしめんも、ラーメンも、自家製麺だとのこと。
でも、手打ちだとは言っていないか。
どっかに電動石臼でも置いてあるかなって、店内を見渡すと、あ、
奥の壁に木鉢が飾ってあるじゃんか!
ってことは、蕎麦は手打ちかあ。
うぉー、うれしい期待外れ!
でも、うどんやきしめん、それからラーメンは、まさか機械打ちだろうね。



なんだい、こりゃすごい蕎麦屋だなー、と思ったので、
ご主人とちょびっと話してみんだんだよ。
お客さんがたくさんいるのに、すんませんでした。

ここで蕎麦屋を始めたのは、昭和40年(1965年)とのこと。
もともとは、いまの東京都文京区の小石川で蕎麦屋をやってたんだけど、
戦後復興やオリンピック開発のため行われた道路整備の対象になったので
移転してきたのだそうだ。

2013年現在、創業48年ったら老舗というほどでもないけど、
小石川の蕎麦屋といえば聞き捨てならないかもね。
あの辺は、映画『赤ひげ』にも出てくるけど、江戸時代から武家屋敷の多い街だし、
小石川後楽園や東大の植物園もあるし、永井荷風なんかの文豪も住んでたしで、
いかにもいい蕎麦屋がありそうなとこなんだよ。

なんでオムライスを始めたのか、聞いたら・・・

ご主人は、引っ越してきた昭和40年当時は、鴨南ばん蕎麦をやりたかったんだそうだ。
でも、都内の昭和の蕎麦屋らしく、当時は機械打ちだったので
断念せざるを得なかったとのこと。
当時、飯能あたりでは逆に、手打ちのうどん、蕎麦は当たり前で、
機械打ちでは、味で太刀打ちできないと判断したんだそうだ。
それで、なんか別のもので勝負したいと考えたわけだ。

018長寿庵_行燈
つるつるを噛め噛め・・・で、長寿庵ってわけね

それから、当時の飯能は家もまばらで、かなり遠くまで出前をしなきゃ
食べていけない状況だったそうなんだけど、人を雇う余裕もなくて、
なんとか、お客さんのほうから店にやってきてくれる方法はないかとも考えたそうだ。

それで、長寿庵のオムライスは開店当時に生まれたのだ。
いなかっぺの飯能市民に、都会のハイカラをぶちかましたら、成功したというわけだな。
(飯能のみなさん、ごめんなさい)

さらには、飯能の街は当時から、ゴルフ客やハイキング客がグループで訪れるところ。
大人数で食べに来てもわいわいやれるように、
蕎麦屋メニューの他にも和洋中メニューをたくさん用意して、
オムライスも、みんなで楽しくつっつけるようにデカ盛りを作ったら、
大好評を博していまにいたるとのこと。

019長寿庵_外観




アベノミクスのおかげで為替と株価はデフレを脱しつつあるかのように見えるけど、
景気の向上は肌で感じられないよねー。

「長寿庵」のある飯能銀座通り商店街も、
ご多分にもれず、ぽつぽつとシャッターを閉じた店が目につく。

オイルショックも、一億総グルメ化も、バブルの崩壊も、リーマンショックも
ひたむきに乗り越えて、庶民の胃袋を満たしてくれてきた店には、
なくなってほしくないな、って心から思う。

OMUNAOさんが表現するオムライスは、なつかしくて、ふわふわしてて、わくわくするような
“しあわせ” みたいな食べ物だ。

そうか、「長寿庵」なら、この先の時代も乗り越えて行けるはずだよね。
だって、でっかいオムライスがあるんだから。



020長寿庵_ナプキン



『長寿庵』
埼玉県飯能市仲町7-28
042-972-3596
11:00~20:00(L.O.)
ランチ営業、日曜営業
定休日/木曜日