韓流ラブロマンスを生んだ日本映画 ~ 『Love Letter』

2013/05/31


中学の時や高校の時に、“好きな人“ っていた?

それで、その恋愛は成就した?
うん、うまくいかなかったよね。

きっと、クラスに一人か二人くらいだよね、ラブラブで青春を謳歌できた人は。
だいたいが、フラれたり、告白もできずにただ毎日その人を見つめていただけだよね。

中には、好きな人なんかいなかったし、恋愛したいとも思っていなかった、
という人もけっこういるかもしれない。

でも、ホントにそうだろうか。
その当時、日記をつけていたとしたら、読み返してみるといいかもしれない。
卒業アルバムや、修学旅行の写真や、文化祭のしおり、古い教科書・・・、
そこには、ひょっとすると、その頃のせつない恋の思い出がしるされていて、
忘れているだけかもしれないよ。

それでもやっぱり、思い当たるフシがないとしても、
逆に、自分のことを好きだと想ってくれていた人が、実はいたんだとしたらどうだろう。
友達も思い出も、時間と一緒に放射状に散らばってしまって、もう知る方法もないけれど。



001LoveLetter_上向き

002LoveLetter_タイトル

この映画では、
取り戻すことのできないはずの、あの頃の恋心や、
知る由もないはずの、あの頃のあの人の自分への恋心に出会って、
“過去の人“ と恋をして幸せな気持ちになるミポリンと、
“過去の恋人” に失恋するミポリンが登場する。
そう、二役なんだね。

005LoveLetter_小樽ポスト

つらい失恋と、幸せな相思相愛。
ひょんなきっかけで、そのことに気づいてしまう。
でも、どちらも取りもどすことのできない過去のできごと。
だから、せつなくて、もどかしくて、甘酸っぱい涙があふれてくる・・・


『Love Letter』はそんな物語です。

012LoveLetter_こだま

015LoveLetter_書棚

中山美穂が24か25歳くらい。
映画女優として、一番波に乗っていた時だね。

003LoveLetter_最初の手紙

004LoveLetter_キス

酒井美紀にとっては、映画初出演作。
デビュー時から、目力の強さと思わず惹きつけられる表情は、
タダ者じゃないことを伺わせるね。
ホント、黙っている時の表情がすごい!

006LoveLetter_酒井

007LoveLetter_柏原

監督は、岩井俊二。
岩井監督の最初の劇場用長編映画作品なんだね!
いまでは、“クール・ジャパン映画部門” をしょってたつ岩井監督だけど、
この映画は、『花とアリス』なんかとは違うホットな作品だね。
いわゆる “岩井節” とはだいぶん違うと思う。

008LoveLetter_図書室二人

この実にうまくできたストーリーと
複数のロケ地と時制別の配役、二役などを緻密に取りまとめた脚本も、
岩井監督の仕事だというからすごいのひとこと!

013LoveLetter_喪中酒井

014LoveLetter_転校柏原



日本アカデミー賞の優秀作品賞やキネ旬の上位なんかを取っているから、
けっこうヒットしたんだね。
でもね、日本ではそこそこだったかもしれないけど、
この映画は韓国や香港で、ものすごくヒットしたんだよ。
何か東アジア人の胸を打つものがあるのかねぇ。

韓国では'99年11月に公開されたんだけど、
2000年のロードショウ終了までに150万人の観客を動員したんだそうだ。
この数字はその時点までに韓国で封切られた日本映画の中ではダントツの1位!
それまでは、『鉄道員』や『踊る大捜査線 THE MOVIE』で50万人、
『HANABI』や『影武者』などは10万人にいたらずだったという。
ロードショウに限っていえば、外国映画の中でも1位の観客動員数だったはず。

韓国での大ヒットには、作品のすばらしさの他にも訳があって、
'98年から金大中大統領が始めた「日本文化の段階的門戸開放政策」というのが影響
しているらしいんだな。
'98年時点では、まぁ、硬くてあまりおもしろくない作品しか紹介が許されず、
'99年と2000年のさらなる開放政策を受けて封切られたこの『Love Letter』が
それまでに紹介されなかった柔らかくてすばらしい娯楽作品だったので、
ドカーンと人気が出たみたい。

韓国では、何年もこの作品が劇場公開され続けて、
劇中に出てくる「お元気ですか?」という言葉が流行語になったり、
舞台となった小樽に韓国人観光客がどっと押し寄せたそうだ。
いまでもロケ地めぐりにやってくる人がたくさんいるそうだ。
とにかく、当時、韓国の若者でこの映画を知らない人間はひとりもいない、
といわれるくらいで、大変な社会現象になったんだとさ。

2004年時点で、韓国に単身赴任してた友達が、
「こっちのケーブルテレビで観た。“お元気ですか?” は、
いまでも韓国で最もポピュラーな日本語」って言ってたっけ。

さらには、この映画は、
1999年以降の韓国の恋愛映画・恋愛ドラマの作り方を変えた作品
位置づけられているんだそうだ。

2005年にわが高校のクラス会があって、
クラス会気分が盛り上がると思って、田舎の友達にこの作品を紹介してやったら、
「“冬ソナ” みたいな感じだね」とか「“イルマーレ” と着想が似ているね」とか
感想をメールしてくるやつがいたけど、それはちゃう。

“冬ソナ” が韓国KBSで放送されたのは2002年だし、
“イルマーレ” が韓国で封切られたは2000年だから、
『Love Letter』が “冬ソナ” や “イルマーレ” の日本版なんじゃなくて、
“冬ソナ” や “イルマーレ” が『Love Letter』の韓国版
なのだ!
『Love Letter』は、韓流ラブロマンスの流れをつくった映画なのだ。

社会現象を巻き起こすほどの人気は、香港でも同じだったらしいよ。
香港での単館上映での最長記録を持っているとのこと。
当時は、香港人は北海道と聞けば、「白い恋人」と「Love Letter」と口にしたそうだ。



僕はいまでもこの映画が大好きなんだけど、
作品のすばらしさはもちろんのこと、
もう一つ思い入れが強くなる理由があるんだ。

010LoveLetter_自転車置き場02

それは、この作品のロケ地の一つに、
僕が卒業した高校の自転車置き場が使われていること。
僕は自転車通学じゃなかったので、自転車置き場へ行く機会もあまりなかったし、
自転車置き場の思い出と言えば、文化祭の時、焼き鳥売り場になって
煙がもうもうとしてたことくらいしかないんだけど、
劇中ではとても大切なシーンで使われているんだな。
よく見ると、背景に校舎や体育館、授業をさぼって登った丘なんかも映っていて、
まるでこの物語が自分のホントの記憶のようで、甘くせつなく胸をつかれてしまう。

009LoveLetter_自転車置き場01

でもこの自転車置き場はもうないんだよ。
いや、自転車置き場自体はあるけど、新しく造り変えられちゃっていて、
あの丸いかまぼこ型の屋根じゃなくなっているのだ。
平らな屋根になっちゃって・・・あの手の込んだ丸いやつがよかったのになあ。

なくなった、といえば、物語のトーンをつくるのに重要なアイテムの一つになっている
主人公が住む家もなくなったらしい。
2007年に焼失したとのこと。
坂(ばん)さんという方の旧邸宅で、小樽市指定歴史的建造物に指定されていたそうだ。
ドラマ『弟』でも、石原裕次郎が幼少期に住んでいた家として撮影に使われた家とのことで、
日本人にもアジア人にも人気の観光スポットだったそうだ。
とても残念です。

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日々のあれこれに追われて、恋の思い出どころじゃないよねぇ。
ましてや、中学や高校の頃の純愛ストーリーなんて、
しょんべんくさくてちゃんちゃらおかしいやねぇ。
でも、そんなこと言わないで、たまにはこんな映画もどうかなあ。
勇気ややる気が出ること、請け合いでっせ。

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016ラブレター_ポスター

●『Love Letter』
1995年 日本
上映時間:117分
監督・脚本・原作:岩井俊二
製作:フジテレビジョン
配給:ヘラルド・エース、ヘラルド映画
助監督:行定勲、廣瀬達雄
撮影:篠田昇
美術:細石照美
録音:矢野正人
照明:中村裕樹
衣裳・スタイリスト:高橋智加江
音楽:REMEDIOS、マリオウマリ、桃田英美子
出演:中山美穂(二役)
   豊川悦司
   范文雀
   篠原勝之
   鈴木慶一
   田口トモロヲ
   酒井美紀
   柏原崇
   塩見三省
   加賀まりこ
   光石研
   鈴木蘭々
   神戸浩
   酒井敏也 ほか
受賞:モントリオール世界映画祭・観客賞
   第19回日本アカデミー賞
   ・優秀作品賞
   ・優秀助演男優賞:豊川悦司
   ・話題賞(俳優部門):豊川悦司
   ・新人俳優賞:柏原崇
   ・新人俳優賞:酒井美紀
   ・優秀音楽賞
   第38回ブルーリボン賞
   ・主演女優賞:中山美穂
   第69回キネマ旬報ベスト・テン
   ・ベストテン第3位・読者選出ベストテン第1位
   ・読者選出監督賞:岩井俊二
   第6回文化庁優秀映画作品賞・優秀映画作品賞
   第46回芸術選奨
   ・新人賞:岩井俊二
   ほか多数


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1年で1億人が泣いた ~ 『芙蓉鎮』

2013/05/25


ある日突然、家に警察がやってきて、「預金通帳と財布の中身を見せろ」と言う・・・
「ずいぶん貯めたな」、「現金も不動産も玄関の置物も、すべて没収だ」と言って・・・
玄関ドアに[黒夫婦]と書かれたでかい紙を糊でべったり貼って去って行ったら、どうする?

一所懸命働いて、節約して、なけなしの貯金をしただけで、
「ブルジョア分子」と呼ばれてすべての財産を取り上げられる。
学校で一所懸命勉強して、社会に出てからも研究を続けて、やっと指導的な立場に立ったら、
「反体制思想家」として投獄されてしまう。
そういう目立つやつがいないか、隣人が常に目を光らせていて、見つかったらチクられる。
1966年から1977年まで続いた「文化大革命」は、そんな弊害をたくさん生んだそうだ。

いわゆる文革は、毛沢東が自身の権力を強化し、共産主義の名のもとに国の統制を固めようとした、
と評されているんだけど、同時に、1000万人近くの犠牲者と膨大な文化遺産の破壊と
長い長い経済の停滞を招いたんだな。

それが、1978年頃から “民主化” の国民運動の波が中国に押し寄せたと言われていて、
文革時代のような蓄財や思想の自由に対する恐怖政治的な厳しさは薄れて行って、
公務以外で物やサービスを売り買いする「市場経済」も急速に拡大していったとのこと。
1989年の「天安門事件」で、'80年代の “民主化” がピークになったと言われているんだよ。

「天安門事件」後、'90年代になって、また、政府の締め付けが厳しくなったんだそうだ。
でも、思想や思想形成につながる文化の統制は厳しいままだけど、
経済・産業の発展については、政府も民主化の恩恵を肯定していて、そのまま続いちゃって、
“民主経済の強大化” と “共産主義管理の弱体化” が共存した現在に至っているんだね。



芙蓉鎮タイトル

この映画が中国で公開されたのは、1986年だから、「天安門事件」の3年前
おもっきし “民主化運動” が活発だった頃なんだよ。

物語の時代は、文革が始まる前の'63年頃からそれが終わる'78年頃。

そう、映画のメッセージは、強烈な “文化大革命批判” だっ!

三人

雨000

李国香

僕はこの映画を、日本で封切られた ’87年にリアルタイムで観たんだけど、
観て思いきりびっくりしたのを覚えている。
だってね、'80年代中国といえば、まだまだ日本では民主化なんてピンときてなくて、
反体制的な意見なんて掲げようものなら、即刻死刑!的な、昔からの中国のイメージだったんだもの。
いまだって、ノーベル賞でさえ国が受賞を許さないくらいなんだよ。

たしか、当時の宣伝コピーは、「1億人が泣いた」って感じのフレーズだったはず。
その大袈裟な数字に一瞬笑ったけど、「でも、まんざらウソでもないかも」という気持ちで
東京・新宿の映画館に観に行ったんだっけ。

それで、“文化大革命批判” でしょ。
いやー、ホントにびっくりしたねー。
「中国でこんな映画を撮るのが許されて、公開も許されて、
1億人も観たなんてホントかよ!?」って思った
ね。
当時は、中国の映画なんて全然知らなかったし、
芸術性やメッセージ性なんてこれっぽっちも期待してなかったんだけど、
いずれもすばらしくて、「すごい映画を観た」って、すごく興奮したのを覚えているなあ。



『芙蓉鎮(ふようちん)』の芙蓉とは、蓮の花のことかな?
“鎮“ とは、日本の村とか町みたいな行政単位のことだよね。
景徳鎮とかの鎮もそういうこと。

王村鎮002

ロケに使われた町は、中国湖南省湘西永順県にある王村鎮というところ。
いまや、中国の海岸地方の大都市は、世界的にも近代化した風景をしているけど、
内陸のちっぽけな王村鎮は、いまでも昔の風景の残る街で、
この映画のヒット後、観光地として栄えているらしい。
2007年にその勢いで、王村から芙蓉に鎮名を変えたとか変えないとか。

主演は、劉暁慶(リウ・シャオチン)
1951年生まれだから、いまは62~63歳だね。
劇中の彼女は、素朴でひたむきでとってもかわいい!

ひとり002

僕は知らないんだけど、1984年出演の映画『西太后』やテレビドラマ『則天武后』で
日本でも有名な女優だとのこと。

おまけに、国内では、不動産や化粧品のビジネスを成功させて、
長者番付にも名前が上るほどの人だとか。
国家公務員として高級な、国家第一級演員に認定されていて、
いまでも映画やドラマに出演しているようだね。
劇中では、そんな大人物って感じはもちろんないよ。
可憐で愛らしいのひとこと。

タバコ

ふたり000

出演時、35歳かあ。
えー?全然見えないなあ、22~23歳くらいにしか見えない。
お上にいじめられて、守ってあげたくなってしまって、
男なら完全にやられてしまうと思うな。



中国は、日本やアメリカを仮想敵国として、文化大革命を悪と位置づけて
経済の民主化・市場経済化を許容して発展してきたよね。
でもいま、「文化大革命時代は、よかったなー」という風潮も高まってきているそうだ。
それは、人口13億とも15億ともいわれている内の
1億人程度が生活に困窮しなくなっただけで、残りの十数億人はこれまでと変わらないか、
これまで以下の生活をしているからなんだな。
大金持ちとの貧富差が激しく大きくなって、大資本のせいで住んでいる街を追い出されたり
職を失ったりしているからなんだね。

たった40年ほどの間に、民主解放 → 共産主義強化 → 民主解放 → そして、共産強化欲求の高まり
・・・と、中国の国民思潮は振り子のように揺れ動いてきた。
この映画は、コロコロ変わる政策が、どんなにフツーの庶民を苦しめて来たのかを
はっきり教えてくれる
映画なんだな。

ふたり003

雨002

でもね、そんな予備知識や理屈なんかなくても、激しく感動させられる作品だけどね。
これは、映画史に残る名作のひとつ、だと思うな。

そうそう、忘れてた!
このサイトで、“食べ物のシーンが妙にうまそう” な作品についてちょろっと書いたけど、
この映画も明らかにそのひとつ。
「米豆腐」という湖南料理が、最初から最後まで出てくるんだよ。
あれは、妙にうまそうだなー!
いまでも、現地に行って食べてみたい、と思ってる。

米豆腐



芙蓉鎮ポスター

●『芙蓉鎮』
1986年 中国、日本公開1987年
上映時間: 164分
監督:謝晋
製作:上海映画作製所
原作:古華『芙蓉鎮』
脚本:阿城、謝晋
音楽:葛炎
撮影:蘆俊福
編集:周鼎文
出演:劉暁慶, 姜文
受賞:1987年金鶏賞
   ・作品賞
   ・主演女優賞(劉暁慶)
   ・助演女優賞(徐寧)
   ・美術賞(金綺芬)
   1987年百華賞
   ・作品賞
   ・主演男優賞(姜文)
   ・主演女優賞(劉暁慶)
   ・助演男優賞(祝士彬)
   1988年カルロヴィ・ヴァリ国際映画祭クリスタル・グローブ賞、グラン・プリ


comment (4) @ 映画>コレコレ、いいよ!

もう一人のジョナサン・デミ ~ 『サムシング・ワイルド』

2013/05/20


その昔、会社員になってからバンドをやっていたことがあるんだよ。
その仲間と、「やっぱ、ロック映画といえば『レッド・ツェッペリン狂熱のライブ』だよな」とか
「いや、ストーンズの『ギミー・シェルター』じゃないか」なんて言い合っているところへ、
ヴォーカルのみっちゃんが、「トーキング・ヘッズの『ストップ・メイキング・センス』だろー」って言う。

その当時僕は、MTVでさかんに流れてた「Road To Nowhere」1曲しかトーキング・ヘッズを知らなくて、
しかも、テクノっぽくてコミカルな印象だったので、特に好きでもなかったんだよ。
でも、みっちゃんが「すっごくいいいぞ、ビデオ持ってるから貸してやる」というので、
あまり乗り気でもなく『ストップ・メイキング・センス』を観てみることになったんだった。

しかし、これは観てびっくり!このロック映画は、ホントにすごい映画だったんだよ。

何がすごいって、この映画には空だの海だの山だの彼女だののイメージカットは一切ないし、
メタファー的な抽象的なカットもない。
メンバーのオフでのようすや、視聴者への語りかけのカットもないし、ストーリーもない。
ただひたすら、ライブツアーでやった演奏シーンを編集でつなぎ合わせているだけなのだ。

だのに、最初からクイッと首根っこをつかまれて、
だんだん興奮してきて、最後にガツーーーーンと感動させられてしまう

特にトーキング・ヘッズが好きでなくてもだ。

これにはホントにびっくりしたねー。
トーキング・ヘッズって、MTVで観るかぎりでは、
ニューヨークの音楽オタクが寄りあった、ヘロヘロしたテクノ系ニューウェーブバンド、
って印象で、スノッブな魅力はあるものの、ガツーンとくる感動とは縁遠いものと思っていたんだ。
“バンドの実力と、デビッド・バーンの狂気のパフォーマンス” のせいもあるけど、
やっぱりこれは、この映画を編集した人間の力量のすごさのせいなんだと結論づけたね、僕的には。

そいつが、監督の “ジョナサン・デミ” だったというわけ!

それからしばらく経って、また、みっちゃんが、「ジョナサン・デミが監督した映画で、
『サムシング・ワイルド』って映画のビデオ買ったんだけど観る?」
というので、もちろん、すかさず借りて観た、のがこの映画との出会いだったんだよ。



前置きが長くて、すんません。
何のハナシか見えなくなりそうになっちゃったけど、
そうそう、『サムシング・ワイルド』のハナシ。

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この映画は、そんなぐだぐだしたゴタクで観る映画ではなくて、
手離しで “おもしろい” 映画なんだよ。
んーと、カンタンに言うと、トレンディドラマだな。

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メラニー・グリフィスが演じる、かわいくて、ちょっと破天荒な女の子と・・・

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ジェフ・ダニエルズ演じる、弱っちいエリートニューヨーカーの恋のハナシ。

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さらに、あのレイ・リオッタが “コワイ系” で名を上げる、サスペンスドラマでもあるんだな。

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出だしから奇想天外な展開で、最後までわくわくドキドキ、胸キュン(古い)で楽しめる!

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ジョナサン・デミというと、アカデミー監督賞をとった『羊たちの沈黙』や
『フィラデルフィア』みたいな社会派映画の監督か、って感じだけど、
この映画はまったくテイストが違うんだよ。
“ニューヨークを中心とする、80年代のしらけた管理社会に一石投じた” って、
無理に社会派な評をつける人もいるけど、僕はそうじゃないと思う。
ポンポンストーリーが展開する、お洒落なB級ラブコメディ・サスペンス、って感じの
肩の力を抜いて観れる映画だと思う。
ホントは全然B級じゃないんだけどね。

アメリカの映画って、たいがい、スーパーヒーローが出てきて問題を解決するハナシが多いけど、
この映画みたいな “フツーの人がちょっとしたハプニングにあって、
ココロがあったかくなる” 系の映画文化もあるよね。
たとえば、『アパートの鍵貸します』(1960年、アカデミー賞5部門受賞)や
『グッバイガール』(1977年、アカデミー主演男優賞、ゴールデングローブ・作品・主演男・女優賞)。
ジョナサン・デミは、'80年代のコレ系を狙ったのかもしれないと思うな。



しかしだ、観るとわかると思うけど、
この映画は『アパートの鍵貸します』や『グッバイガール』とは、なんとなく違う。
そう、なんとなく。
ストーリーを口にしてしまうと、よくできた都会の男女のトレンディドラマ、って感じなんだけど、
ベタなトレンディドラマやラブコメとは、ちょっと空気が違うんだなあ。
サブカル系というか、ちょっとお洒落な感じ。
“なんとなく軽妙な味がある” とでも言うのかなあ、
そのせいで、僕は10回以上は観てしまった、この映画を。

定評では “モンドムービー” とか “カルトムービー” なんて言葉が使われることが多いけど、
そこまで “変な” 映画でもないよ。
でも、ハリウッドの商業映画、って感じでもない。

ちょっと脱線するけど、“妙な味がある映画” といえば、
僕は大林宣彦監督の『姉妹坂』という作品を思い出しちゃいます。
そりゃ、世界の映画を全部観たわけじゃないので、他にもたくさんそれ系はあるんだろうけど。

『姉妹坂』の原作は、大山和栄さんが描いた漫画で、まじめで美しいストーリーのはずなんだけど、
映画はのっけから、なんか、わざとらしい演出で展開するんだよ。
わざとらしい背景、恥ずかしげもないセリフ、わざとらしい抱擁、わざとらしいアングル・・・、
「大林さん、何やってるんだ?この映画、いやいや引き受けたのかな?」って感じ。

原作は、美しく、凛と、まじめに、感動を追求しているのが伺えるんだけど、
映画の演出は、なんか、そのまじめさや美しさを茶化してる感じでひょうひょうとハナシが進む。
観てるほうも、斜に構えて、ニヤニヤ観ることになる。
でもね、最後にちゃんとでっかい感動がやってくるようにできているんだ。
妙な味わいがありそうでしょ?
これは、監督の腕以外の何物でもないと思うな。
あんな撮り方をできる監督が、日本に他にいるかなーー、っていまでも思う。

大林監督って、子供みたいに何でもやっちゃうんだなー。
↓それが、75歳になったいまでも健在らしい、という作品があるんだな。
「映画的日記」

僕のサイトの「リンク」にもあるけど、映画カッパさんのブログ。
大林映画に興味がわいたら行ってみてください。
わかりやすくて、あったかくて個人的にとても好きなサイトです。


はい、脱線もとい。
それで、その『サムシング・ワイルド』が、なんとなくお洒落、ってハナシへ。
それは、きっと、音楽のせいなんだなあ。

冒頭から、そのトーキングヘッズのデビッド・バーンの歌だしぃ。
この頃からデビッド・バーンは、アフロポップって言うのかな、
アフリカのリズムと旋律に凝っているので、そんな曲。
ニューヨークの風景と合わせると、なんともミスマッチなトーンで、
コミカルで人を食った感じのスタートになってる。

ちなみに、デビッド・バーンは、アカデミー作曲賞を受賞した
ベルトリッチの『ラストエンペラー(1987)』で、
坂本龍一、コン・スーとともに音楽を担当したメンバーのひとりなんだよ。


挿入歌もコミカルな感じだったり、出演者が歌っていたり、クールでファニーなタッチ
特に、劇中のクラス会のシーンでは、
あまり有名ではないけど、「フィーリーズ(The Feelies)」というバンドが登場して、
あまりうまくない素人バンドのフリをして演奏してる。
ファンならヨダレもんのカットだね。

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010THE-FEELIES3

そう、このフィーリーズもトーキング・ヘッズも、
当時、NYニューウェイブというカテゴリーでくくられていたんだね。
んー、色白でひょろくて、音楽オタクで、キモかわで、こそっと批判的な歌詞・・・・
ってなイメージかな。
およそ、アメリカ的じゃないバンドだね。
この映画のアメリカ的じゃない “妙な味” は、この音楽のテイストが原因のひとつなんだな。

そして、エンドロール!
Sister Carol という黒人のグラマラスなおねぇちゃんが、
街中のビルの陰で、レゲェのリズムの『Wild Thing』を踊りながら歌う。
画面の左半分がそれで、右半分のビルの壁にエンドロールが流れる。
ちょびっとこっぱずかしくて、すっとぼけてて、めっちゃカッコイイ!!
ハリウッド映画で、こういうのは珍しいよね。

011エンディング

日本映画でも、出演者が劇場の観客に語りかけたり、
エンドロールで俳優が出てきて歌を歌ったりってのは珍しいけど、
そうそう、これも大林監督はとっくの昔にやっちゃってる!
原田知世や富田靖子が出てきて、映画館の客に手を振りながら歌を歌ったり、
「さびしんぼーーー」って叫んだりする。
僕は、リアルタイムではそれが恥ずかしくてしょうがなかったんだけど、
何度も観てるうちにああいうやり方が、大好きになってしまった。
観た後の「あーあ、終わってしまった」という寂寥感をぶっとばしてくれるからだ。

『サムシング・ワイルド』は、エンドロールでも僕の胸の中の琴線を弾いた。
だからもう、好きでたまらない映画になっちゃったんだな。



012米国版ポスター

●『サムシング・ワイルド』(Something Wild)
1986年 アメリカ
上映時間:114分
配給:20世紀フォックス
監督:ジョナサン・デミ
製作:ケネス・ウット、ジョナサン・デミ
製作総指揮:エドワード・サクソン
脚本:E.マックス・フライ
撮影:タク・フジモト
音楽:ジョン・ケール、ローリー・アンダーソン
出演:メラニー・グリフィス
   ジェフ・ダニエルズ
   レイ・リオッタ
   ジョン・セイルズ
   ジョン・ウォーターズ
   マーガレット・コリン
   トレイシー・ウォルター
   ダナ・プリュー
   ジャック・ギルピン
   ロバート・リッジリー
受賞:ゴールデン・グローブ賞ノミネート(メラニー・グリフィス、ジェフ・ダニエルズ、レイ・リオッタ)
   ボストン映画批評家協会賞 助演男優賞(レイ・リオッタ)


comment (2) @ 映画>コレコレ、いいよ!

江戸の名物店は、名物づくし ~ 『室町砂場』

2013/05/14


その日は、4月の始め。

都内の御茶ノ水で打合せがあって、午後3時過ぎに終わり。
その後は、別件で6時からスタッフと打ち合わせて、後は呑みにでも、という予定。
いみじくも、御茶ノ水といえばあーた、“蕎麦屋の博覧会会場” みたいなもん。
こりゃあもう、“昼下がりのゆるり” をやるしかないっしょ!

というわけで、御茶ノ水駅からはちょっと遠いんだけど、
よく行く神田まつやを通り越してJR神田駅の方へ。
そう、中休みのない店は、都内でもありそうでなかなかないのだ。
今川焼(=回転焼き)発祥の地・今川橋の交差点をちょいと行ってたどり着いたのは、
えへん、『室町砂場』であーる。

室町砂場といえば、あーた、
東京の三大のれん -「砂場」「藪」「更科」の砂場の代表みたいな店だよー。
「虎ノ門砂場」も申し分ないけど、ココんちは浅草の「並木藪」と比して賞されるほど。
東京の老舗名店の中でも5本、いや3本の指に数えられる蕎麦屋なんだ。

いまも続く砂場の江戸ルーツは2系統あって(※1)、
一つは1815年にはすでにあった「久保町すなば(現 巴町砂場)」で、
もう一つは1813年の記録にある「砂場そば 糀町七丁目砂場藤吉」から、直系の「南千住砂場」と、
暖簾分けの「本石町砂場」と「琴平町砂場」の3つに派生した系統。
そう、その琴平町砂場が現在の「虎ノ門砂場」で、本石町砂場がココ「室町砂場」なのだ。

本石町砂場は、最初は慶應年間(1865-68)に芝高輪の魚籃坂に開店したんだけど、
その頃の店名はわからない。
その後、理由は不明なんだけど、明治2年に日本橋に移転。
その日本橋の町名が本石町だったから、「本石町砂場」となったわけ。
関東大震災後の区画整理で町名が “室町” と変わったので、「室町砂場」なのだ。

000室町砂場_一軒家
関東大震災後から昭和49年までは、味わい深い平屋の一軒家だった

001室町砂場_入口
いまは “砂場ビル”

002室町砂場_入口正面

店内は、あがりに4人掛けのテーブルが3つといす掛けテーブルの配置で
40人くらいは入られる造り。
2008年にリニューアルされた2階は、予約席が中心で掘り炬燵式の個室が複数あるらしい。

003室町砂場_店内あがり

004室町砂場_店内帳場
蕎麦屋の「帳場」(正面)は、店内はもちろん調理場も客が入ってくる入口も
全部が見渡せる位置に据えて造られている
んだよ

さてさて、お品書きは・・・
一品料理のオーソドックスさというかオーセンティックさというかはぴかいち。
ザ・蕎麦屋とでも言うようなラインナップだねー。

005室町砂場_品書き一品料理

「なま海苔」、「梅くらげ」というのがわりと珍しいくらいかな。
それから、手間と時間のかかる「茶わんむし」と「小田巻きむし」もある。
季節のツマミも、蕎麦屋らしい手間のかからないものや作り置きのきくものが中心だね。

蕎麦のメニューの基本は、「ざる」がさらしな粉、
「もり」やあったかい種物が一番粉で打たれていることだ。
竹の子や松たけ、あられ(青柳の小柱)を使った季節のものの他、蕎麦屋の定番がズラリ。

006室町砂場_品書き蕎麦

そしてやっぱり、ココの目玉の「天ざる」「天もり」でしょ!
「天もり」っていうと、フツーはサクッと揚がった天ぷらの盛り合わせと、
もり蕎麦と、もり汁&薬味が出てくると思うけど、ココのはちょっと違うんだよね。
“あったかいかき揚げ天ぷら蕎麦をたのんで、その麺をどんぶりの中に入れないでせいろ盛りにした”
感じなんだよ、わかりずらいかな。
んーと、あったかい汁にかき揚げを浮かべたどんぶりと、
冷たいもり蕎麦が出てくる
ということ。

これは、夏の暑い時期にあったかい天ぷら蕎麦の売上ががぐんと落ちるため、
夏でもさっぱり食べられる天ぷら蕎麦を、ということで考えられたものだそうだ。
昭和23年に、ココ「室町砂場」が最初にメニューにしたらしいよ。
いまでは、「天汁そば」なんて名前で出している店もけっこうあるよね。

でも、ココの「天ざる」、「天もり」の汁は、いわゆる天つゆとはちょっと違うんだな。
あったかい蕎麦用の “甘汁” でもなく、冷たい蕎麦用の “辛汁” でもない、その中間くらい。
“ちょっと濃い甘汁” といった感じ、つまり “ぶっかけ” に使う汁の濃さくらいだと思う。
フツーの天つゆや甘汁の濃さでは、もりのつけ麺の汁には味が物足りないし、
辛汁だと天ぷらがしょっぱくなるからだね。

それゆえに、この「天もり」「天ざる」には賛否両論あって、
「あんなレロレロになった天ぷらが食えるかい、つけ汁としたって味が薄いわい」という意見と、
「かき揚げ天から浸み出る旨味がつゆに混じって実にうまい」という意見で割れる。
まあ、確かにそうだね。
でも、ココだってこれしかないわけじゃないし、これはこれでおもしろいんじゃないかなあ。

007室町砂場_品書き飲物

飲物のメニューに、「ウイスキー」があるのがちょっと珍しいかな。
これは、大正時代にはすでにあったメニューだそうで、
当時は、みつ豆や抹茶クリーム、クリームソーダなんかの甘味もあったそうだ。
つまり、室町砂場は本来、新メニューの開拓で先を走っているハイカラな蕎麦屋だったのだ。
いまは、オーセンティックな蕎麦屋の代表みたいになっているけどね。



たのむものはもう決めていたんだけど、花番さんにちょっと意地悪をしてみた。
「黄色い蕎麦、ありますか?」って聞いてみたんだよ。
花番さんはちょっと考えて、「ウチにはそういうのはありませんねぇ」。
きっと、柚子切りとかウコン切りのことだと思ったんだろうね。

砂場といえば、一番粉二番粉を玉子つなぎで打った「黄色」、
藪といえば、蕎麦もやしやクロレラをつなぎにした「緑」、
更科なら、まっ白なさらしな粉の「白」
というのが、
三大のれんそれぞれの蕎麦の色ということなっているんだよな。
ホントは意地悪じゃなくて、さらしな粉の「ざる」と一番粉の「もり」のどっちが
砂場の “黄色い蕎麦” なのかわからなかったので、聞いてみたんだよ。
すんませんでした、変なこと聞いて。

よーし、じゃたのむぜー、というわけで、『天もり』とサッポロ!
でも、ココでもちょっと変則注文をば・・・
「かき揚げの入った汁だけ先に出してもらえますぅ?
それで、後からもりを持ってきてもらえますか?」

「はい、お蕎麦を出す時、呼んでくださいね」、ということに。
天&汁をツマミにビールを呑んで、いい頃合いに蕎麦を持ってきてもらおうという魂胆ですねぇ。
はいはい、またセコいやりかたですねぇ。

まずはビールがやってきた!
4月のアタマだったけどポカポカな日だったし、
お茶の水から30分近く歩いてきたので、プハーッ、うまい!
ビールをうまく呑むコツは、注ぎ方や冷やし方じゃない、カラダの動かし方だぜ、ってか。

ややあって、お待ちかねー、室町砂場名物「天もり」の “汁にドボンの天ぷら” がやってきたー。

008室町砂場_天ぷら引き

あれっ?小っちゃいんだあ。
うん、天汁のどんぶりのこと。
友達からメールしてもらった写真や、他の方のブログの写真で見た印象では、
かけ蕎麦のどんぶりくらいあるのかと思っていたんだけど、
実際は直径11~12cmくらいかな、ご飯茶碗くらいの大きさなのだ。
男なら思わず「なんだ、小っちゃいんだ」ともらすだろうな。
女性なら「かわいいー」って言うかも知れない。

009室町砂場_天ぷら寄り

写真を撮っている間に、みるみるレロレロに。

010室町砂場_天ぷらアップ

レロレロだけど、濃いめの温汁との相性はバツグンで、やっぱりこれはウマイ!
ほら、天かすの入ったうどんの汁、おいしいよね?
東京のは、ちょっと醤油が濃いけどね。
中身は海老(芝海老?)と小柱。

011室町砂場_天ぷらツマミ

でもねー、これはビールには合わないなあ。
まあ、味覚的には食べられないということは全然ないんだけど、
やっぱりこのジャパニーズな「醤油+甘味+だし」の味には、清酒か焼酎だろうなあ。
ビールでも上面発酵のビール、たとえばドイツの黒いビールや
甘口のベルギービールあたりなら合うだろうと思う
けど。



そうそう、ココ「室町砂場」のもうひとつの名物は、ビルなのに庭があることだ。
“坪庭” っていうんだってね、こういうの。

012室町砂場_中庭

建物と建物に間にあったり、敷地の一部でも垣根などで囲まれた小さな庭のこと、だそうだ。
狭いスペースでも、光や風を取り込める工夫だとのこと。

013室町砂場_中庭獅子脅し

まあ、よく手入れされているんだけど、ホントに1坪か2坪くらいしかない小さな庭で、
田舎の蕎麦屋に行けば大庭園のある店がたくさんあるので、なんだこれ、って感じだけど、
日銀や三越なんかがそばにあるくらいの都会の真ん中なので、
これはとても贅沢なもんなんだろうね。
なにしろ、ひと坪=ン百万円の土地だもんねー。
確かに、ホッと一息つける空間を作り出しているねー。

014室町砂場_中庭灯篭



そういえば、もひとつココの名物があった!
これこれ、この口上2つ

015室町砂場_口上もののけ
「するめ」を「あたりめ」と言い換えたり・・・飲食店っていろいろ験を担ぐよね

016室町砂場_口上つゆ薬味



ビールを呑み切りそうになったので、もり蕎麦の本体を注文!

017室町砂場_もり

おー、これも写真ではわかりずらいけど、蒸籠の大きさが絶妙だ。
簡単に言うと、“小さくて浅い” んだけど、なんて言うのかなあ、
大きからず、小さ過ぎず、真四角じゃないし、横長でもない、
仕事柄、寸法には敏感なんだけど・・・んー、規格外、独自の寸法なんだなきっと。
小さめなのに、妙に存在を主張する大きさだ。
しかも、全身赤塗り!
これは、若い女の子はきっと、「かわいいーっ」って言うんじゃないかと思う。
うん、お洒落な感じなんだよ、言葉にするのはむずかしいけど。

もりの麺も玉子つなぎなのかな?ざる(さらしな粉)のほうだけなのかな?
僕には、わからないなあ、だから花番さんに聞いたのに。ブツブツ

018室町砂場_もり寄り

この麺は、同じ砂場でも「虎ノ門砂場」とは全然違う。
コシがけっこう強くて、緑色も濃い、そして、長い!

手打ちで長い蕎麦を作るのはかなりむずかしいんだけど、
本来は、1辺90cmの四角に延ばした蕎麦の麺帯を4つか8つに折って、
最初の2つ折りの辺を切ってしまうので、麺1本45cmくらいの長さになるもんなんだよ。
けっこう長いけど、箸で麺を2つ折に数本持ち上げると22・3cmになって、
それを蕎麦猪口に3分の1から2分の1浸けて顔の前に持っていくと、ほら、
ちょうど口の高さに箸がくるようにできている
んだそうだ。
へぇー、なるほどねー、でしょ?
その長さを地でいっているのは、さすがなんだねー。

019室町砂場_もりアップ

麺の量は、そう、なんだぇーケチケチしやがって、って言いたくなる量かな。
でも、ツマミと酒を蕎麦前にやると、こんなもんでちょうどいいや、
という感じにできているんだな、これが。
食事としてガッツリ食べたい人には、もりなら2枚必要になるんだろうね。

僕もかってそうだったんだけど、若い人が蕎麦屋に寄りつかない理由のひとつに
そんな麺やおかずの量の少なさがあると思うな。
僕もその昔、バイト先の先輩が「めしをおごってやる」というのでついて行ったら、
かつ丼や親子丼のない蕎麦屋で、がっかりしたことが何度かあったもんね。
若モンはやっぱり、かつ丼とかハンバーグとかチャーシュー麺とか食べたいよね。

つゆ(もり汁)は、生醤油を使った藪ほどは塩辛くなく、更科ほどは甘くなく、
魚出しの臭さもない、でも旨味はそりゃ市販のつゆとは比べものにならない、といった味なのだ。
こればっかりは、代々の店主が神経を注いでン百年、老舗の迫力が伝わってくるねー。

020室町砂場_蕎麦湯



あ、いけね、ココにはさらにもひとつ名物があったっけ。
それは、マッチなのだ。

021室町砂場_マッチ表
行ったのは、4月の始めだから「桜」なんだね

022室町砂場_マッチ裏
この日本画調のイラストが四季ごとに変わる

これは、年4回四季で絵柄が変わるんだっけな。
これを愉しみにコレクションしている人もいるそうだ。
ストーブにも、コンロにも、ろうそくにも、タバコにもマッチを使わなくなったいま、
マッチ集めはいよいよマニアックな趣味になっちゃったのでは?
つまりこのマッチは、この店の趣味性とか嗜好性とかを象徴しているのではなかろうか、
なんちゃってね。

こうやって書いてみて、老舗なんてなんぼでもあるのに、
「室町砂場」がなんで人気なのかがわかった気がするなあ。
日本でもトップクラスに古い、というだけでなく、“名物” がたくさんあるんだもんね。
味づくり、店づくりにいかにきめ細かく心血注いでるか、ってことだよね。
しかも、百数十年も。

023室町砂場_暖簾

024室町砂場_行燈




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※1
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その砂場は、豊臣秀吉が大坂城建設を始めた時に作られた、砂や砂利や建設資材置き場のことだと。
そのあたりを“砂場” という呼び名で呼んでいたらしい。

それで、大坂城建設着手の翌年の1584年には資材置き場で職人に食事を提供するための蕎麦屋があった、
という有力な説があって、それが日本初の「蕎麦屋」だ、
ということになっているみたいだけど、真偽がはっきりしないらしい。

でも、記録では “蕎麦切り” 自体はそれより10年も前にあったことが確認されているし、
そのエリアを “砂場” という呼び名で呼んでいたことは間違いのないこと。

秀吉が作った大坂城とともに豊臣氏が滅ぼされて、
徳川による大坂城が完成した1629年に、空き地になった砂置き場に、
幕府が「新町」として遊郭街を作ったそうだ。お上公認だよ。
その辺がやっぱり俗称で、“新町砂場”と呼ばれていたみたいだね。

そこは後に、江戸の吉原、京都の島原、大坂の新町と呼ばれるほどの
一大欲望産業エリアになったそうだ。
いまの大阪市西区新町の二丁目と三丁目のあたり。

記録では、その “新町砂場”には2軒の人気麺類屋があったそうだ。
「和泉屋(いずみや)」と「津国屋(つのくにや)」。
庶民に “砂場の蕎麦屋” という呼ばれ方をして、
そのうち屋号じゃなくて “砂場” で通るようになった、
というのが『砂場』の起こりらしいね。

1700年代や1800年代に発刊された書物を比較すると、
この2つのどっちかが、記録に残る日本最古の『砂場』ということらしい。

つまり・・・

① 記録に残る日本最古の蕎麦屋は、江戸ではなく大阪にあった
② 記録に残る日本最古の蕎麦屋は、『砂場』である
③「和泉屋」と「津国屋」のどっちかが砂場の第一号店

・・・ということになるわけだ。

でもこれは、あくまで “記録に残る” であって、当時の有名店という意味に近いと思うな。
だって、当時の大坂や江戸の繁華街には、蕎麦やうどんを食べさせる屋台や茶屋がたくさんあったんだから。

江戸で初めて蕎麦屋の『砂場』の文字が登場するのは、1751年に発刊された「蕎麦全書」とのこと。
有名な日新舎友蕎子の著作で、「薬研掘大和屋大坂砂場そば」という店名が出てくるらしい。
ここでも、砂場が大坂発祥であることがわかるよね。

だけど、この「大和屋」が、最古の「和泉屋」や「津国屋」と関係あるかどうかはわからない。
ただ、1629年から1751年の間のどっかで、大坂から江戸に『大坂砂場そば』が進出してきた、
ということは確かなわけだよな。

1751年以降の書物では、いまの中央区に “砂場” のつく蕎麦屋があったことや、
「浅草黒舟町角砂場蕎麦」という店があったことなどが確認されているから、
1700年代後半には、江戸にもけっこうな数の “砂場”があったはずだよね。

1800年代になったら、当時の書物に登場する “砂場”の数もふえて、
「茅場町すなば大坂屋」とか「久保町すなば」、「砂場そば 糀町七丁目砂場藤吉」、
「砂場そば茅場町定吉」、「砂場そば深川御舟蔵前須原屋久次郎」、「兼房町砂場安兵衛」、
「浅草黒舟町角砂場重兵衛」、「本所亀沢町砂場兵蔵」なんかがあるんだけど、
このうちの「久保町すなば」が、いまに残る『巴町砂場』で、
「砂場そば 糀町七丁目砂場藤吉」が、いまの『南千住砂場』。
でも、どれも、大坂のどこの砂場とつながりがあるのか、わからないらしい。

茅場町のすなばや浅草黒舟町の砂場は、どこへ行っちゃったんだろう。
その人たちだって、江戸時代から続く東京の砂場の元祖であるはずなのに。

というわけで、いまも続く江戸の砂場の系列は、2本あるということになるねぇ。

「久保町すなば」は、元々、徳川家康が名付けたとされる御用屋敷街の久保町というところにあった。
町屋立ち退きの命令が出て微妙に引っ越したりしてるけど、
いまだにずっと東京都港区にある愛宕山の近くにあるのだ。
明治になって町名が巴町になってから、店名が『巴町砂場』に変わった。
現在(平成25年)のご主人(萩原長昭氏)で15代目!
これが、2本の系列うちの1本。

もう1本の系列は、その「砂場そば 糀町七丁目砂場藤吉」だけど、
1813年にはもう存在してて、1848年には江戸の名物のひとつとして超有名店になってたとのこと。
いまの千代田区麹町4丁目あたりにあったらしいんだけど、
麹町は江戸城外堀の四谷見附より内側だから、当然、
フツーには町屋を建てられない武家屋敷町のまっただ中だし、
当家が持っている江戸時代の資料に、1831年に長岡という名字が書かれているから
ただの蕎麦屋ではなかったと考えられているんだそうだ。

その名店が、12代目の紋次郎の時に財テクで失敗して、大正元年に南千住へ移転して
いまの『南千住砂場 砂場総本家』となったんだって。
平成25年現在のご主人、長岡孝嗣さんは14代目!

『巴町砂場』と一緒に江戸蕎麦・砂場のルーツを背負っているなんて、スゲーな、って感じだけど、
どうも、趣味蕎麦の店として高級路線を進んでいる巴町とは正反対で、
めちゃめちゃ庶民派路線を突っ走っているらしい。
庶民の足・都電荒川線が近くを走っているのとは、関係ないと思うけど。

ところで、その南千住砂場の前身「砂場そば 糀町七丁目砂場藤吉」は、
江戸から明治の動乱期もものともせず生き残り、「本石町砂場」と「琴平町砂場」の2店も生んだ。

「本石町砂場」は、最初、慶應年間(1865~68年)に暖簾分けで高輪の魚籃坂に出店した後、
明治2年に日本橋に移転してできた店。
これが、なんといまの『室町砂場』。
その室町砂場から、親族により昭和39年に生まれたのが、いまもやってる『赤坂砂場(室町砂場赤坂店)』。

「琴平町砂場」は、明治5年、「砂場そば 糀町七丁目砂場藤吉」の職人だった稲垣音次郎が
暖簾分けしてもらって出した店で、これが、Hくん日用の『虎ノ門 大坂屋 砂場』。
いまの建物は、大正12年に建てられて平成7年に改修も加えられたものだけど、
場所は、明治5年の創業の時から変わっていないというからすごいねー。

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●『室町砂場』
東京都中央区日本橋室町4-1-13 砂場ビル
03-3241-4038
月~金 11:30~21:00(L.O.20:30)
土 11:30~16:00(L.O.15:30)
定休日/日・祝


comment (10) @ 蕎麦>東京都中央区

どかないぞ ~ 『虎ノ門 砂場』

2013/05/09


平成25年2月頃、“虎ノ門砂場” が地区再開発事業に巻き込まれて、
もうじき取り壊されて移転する、というウワサがあったんだよ。

いまある建物は、1872年(明治5年)に創業の後、1923年(大正12年)に立て替えられて
平成7年に補強が行われたものだそうだ。
明治5年というと、新橋・横浜間に日本初の鉄道が開通した年だし、
福沢諭吉の「学問のすゝめ」の初編が発表された年でもあるんだよ。
前年には、「廃藩置県」が行われたばかり。

そんな激動の中を日本と一緒に成長し、関東大震災や東京大空襲や
昨今の地上げブームを逃れて生き残ってきたというわけ。
大正ロマンの香りが漂う木造3階建てで、
いまは、コンクリートジャングルの中でひときわ目立つ存在だ。

山岡鐡舟、高橋泥舟、勝海舟の三舟、山本五十六、鳩山一郎、田中角栄なんかも
ごひいきだったというからすごいよね。

そんな外観も中身も文化財クラスの建物が、なくなる!
やばい、早く行っとかなくちゃ、というわけで行ったんだよ、2度目だけど。
できるだけ写真を撮っておこうと思ってね。
その日は3月25日、異常に早く咲いてしまった今年の東京の桜も、名残の頃だったな。



“虎ノ門 砂場” は、「西新橋交番前」という交差点の角に立ってる。
下町の雰囲気とか住宅なんかは微塵もないオフィス街。
近所には、日本郵政の本社や虎の門病院、アメリカ大使館、ホテルオークラ、
隣町は霞が関の省庁街、国会議事堂だって歩いてすぐなのだ。


001虎ノ門砂場_全景

002虎ノ門砂場_正面
「西新橋交番前」交差点の角

003虎ノ門砂場_正面2
2階建てに見える3階建て

004虎ノ門砂場_正面3

005虎ノ門砂場_看板

006虎ノ門砂場_看板2

007虎ノ門砂場_御前看板
御前粉=さらしな粉で打つ「ごぜんそば」もある

008虎ノ門砂場_玄関
季節の趣向がわかる「掲示板」が特徴的

009虎ノ門砂場_玄関2
その日は、「はまぐりそば」「白魚天せいろ」「桜切り」と、旬をビシッと押さえてある!

砂場のルーツは大阪にあるらしいんだけど(※1)、江戸に始まった砂場の系統は2つ。
一つは「久保町すなば」から続く「巴町砂場」で、
もう一つは「砂場そば 糀町七丁目砂場藤吉」から、直系の「南千住砂場」と、
暖簾分けの「本石町砂場(現 室町砂場)」と「琴平町砂場(現 虎ノ門砂場)」の3つに派生した系統。
明治5年に生まれた「虎ノ門砂場」の初代は、稲垣音次郎。

010虎ノ門砂場_玄関二階
代々の跡取りが寝泊りする決まりになっている2階

「虎ノ門砂場」の2階は、客用の座敷になっていて、
ランチタイムなどの混雑時や宴会に使用されているんだけど、
2階の1室には明治35年以来、代々の跡取りが寝起きする部屋があって、
初代当主の音次郎が書いた掛け軸がかかっているらしい。

一、人に貸すことなかれ
一、人に借りることなかれ
一、唯一心に勤め励美て家門を思ふべし



011虎ノ門砂場_玄関二階2

012虎ノ門砂場_花

013虎ノ門砂場_花2

014虎ノ門砂場_花3
大正12年、蕎麦屋専門の大工が立てたと言われる普請
銅葺の屋根や窓の欄干、雨どいなどに大正らしい造作が見られる



「虎ノ門砂場」は、完成された蕎麦屋だと思う。
僕の中では、「神田まつや」と並ぶ、老舗の中でも名店中の名店じゃないかと。

まず、季節のメニューが極めて豊富なこと。
これは、季節の一品料理ではなく、ちゃんと蕎麦屋メニューであることがさすがだ。
秋には、12~13種類の天種(かき揚げ)が勢ぞろい!
これを愉しみに、何度も足を運びたくなるねー。
もちろん、冷たい蕎麦、温かい蕎麦の伝統的なメニューもばっちりある。

015虎ノ門砂場_メニュー

それから、そばの打ち方も、基本の「もり」の他、いわゆるさらしな粉の「ごぜん」、
挽きぐるみの「太打ち切り」に、生姜切りや桜切りなどの「変わり蕎麦」と多彩。
変わり蕎麦には、「粗挽き切り」が入る時もあるからすごい!
これも楽しいね。

さらに、カツ丼やしらすご飯、かき揚げ丼なんかと半かけ蕎麦のセットもある。
リーズナブルな値段で、オフィス街にはうれしいメニューだよね。
親子丼、カツ丼、天丼 上・並、葱丼、穴子丼、野菜丼、秋野菜丼など、
どんぶりだけメニューもわいわいある。

吟醸系が中心だけど、お酒の種類も豊富。
“酒の肴” も蕎麦屋の定番はもちろん、蕎麦屋らしいそそるメニューもばっちり。
たとえば、うまいと定評の「焼き鳥」、「巣篭り蕎麦」、「揚げ出し御前(そばがきの揚げ出し)」、
「浅利の時雨煮」、「車海老の鬼殻焼き紫蘇風味」、「小田巻き蒸し」などなど・・・、
うー、涎が出てきた。

おまけに、デザートの「そは汁粉」もあるからすごい。

とにかく、江戸蕎麦の老舗としてこれ以上やれることはあるかなあ?
というくらいビシーッと押さえてある印象だなー。
もちろん、日本料理屋や懐石料理屋みたいなメニューは求めていないのだ。
そうそう、僕は蕎麦屋として大切なことだと思うんだけど、
値段は他の名店と比べてもすごーくリーズナブルなのだ。

歴史ある普請とお店の歴史そのもの、
そして蕎麦屋としてのメニューの豊富さ季節の味覚へのこだわり、
それから庶民的なもてなしと値段、さらには、中休みなし・・・
僕は、ココを江戸蕎麦屋の完成形のひとつだと断言するね。

016虎ノ門砂場_メニュー酒



入店したのは午後4時頃。
そうだよ、昼時をはずして蕎麦屋酒をやろうと決めてやってきたのだ、ハハハ。

よっしゃー、いくぜー、というわけで、まずは酒!
こちとら江戸っ子なんで、「沢の井の純米」に決まってら。(ホントは道産子)
お燗にしてもらった(550円)。
お通しは「切り昆布の佃煮」。

塗りの重厚な懐石盆みたいなのが、いいね。
蕎麦屋では “膳” と言うんだね。
お酒とお通しと箸だけを載せて出すのが「御酒(ごしゅ)膳」、
箸、もり汁、薬味と蕎麦をセットするのが「本膳」。
端番(はなばん=花番)さんのお仕事ですねぇ。

水は、たのんでないのに出てきた。
個人的には、これもいいな。

017虎ノ門砂場_燗酒&お通し

ツマミは、ホントは柔らかくてうまい「焼き鳥」にしようと、来る前に思っていたんだけど、
季節のメニューがあまりに多彩なので、目移りしてしまって「白魚のかき揚げ天」が
食べたくなってしまった。

なので、ちょびっと考えて・・・
「お銚子もう1本と “白魚の天せいろ“ お願いします。で、天ぷらと温汁だけ先に持ってきてもらって、
声がけでせいろを持ってきてもらえます?」とお願いしてみた。
そう、天ぷら&温汁を肴にしてちびちびやって、
酒がなくなったらすぐに蕎麦に移行、という魂胆。
酒を飲んでるうちに乾いたり、のびたりした蕎麦を食べるのは、ヤだもんねぇ。

花番さんは、嫌な顔ひとつせず、
「つけ汁は冷たい辛汁じゃなくて、あったかいかき揚げ用のつゆだけどいいの?」
(つまり、ぬるくなってかき揚げのカスが入ったつゆで蕎麦食えるの?という意味)
全然平気なので、めでたく商談成立。パチパチ
でも、老舗だからこういうたのみ方する人間なんて、いっぱいいるんじゃないのかな。

天ヌキとかおか天なんかをたのんで、後からせいろをたのめばいいじゃん、
という意見もありそうだけど、こういう “セコさ” も江戸蕎麦の遊びのうちだと思うんだよね。
江戸文化って庶民文化だから、京都なんかみたいに絢爛なものは少なくて、
合理主義というか効率主義というかが根本にあると思うんだよね。

もともと、江戸や明治の職人さんや商家の旦那なんかが、
「ゴージャスなメニューをバンバンたのむなんて野暮だねぇ。ここは、料亭じゃねーんだゾ。
おらおらクマ、さっさと飲んで食って、仕事に戻るぜぃ」、ってな感じなので、
早く、効率よく、経済的な食べ方が根付いているんだね。

そんな感じで長い歴史を持つ蕎麦屋だから、
「お声がけ」だとか、「天ヌキ」だとか、
「温かい天ぷら蕎麦をおか天ともりに分けて出してもらったり」とか、
裏ワザや裏メニューというものが江戸蕎麦屋にはたくさんあるんだよ。
この「蕎麦屋 裏ワザ&裏メニュー」を集めたブログを書いてもおもしろいかもね。



白魚の天ぷらが出てきたよ。

018虎ノ門砂場_白魚天

藪系より大振りなかき揚げだねー。

019虎ノ門砂場_白魚天アップ

020虎ノ門砂場_白魚天崩し

表面はガリッというかサクッというかに揚がっていて、
白魚がたっぷり入っているから中はホクホク。
なかなかのボリュームだよ。

これを温汁につけたりつけなかったりでツマミにして、お銚子をクイクイ。
んー、至福のひととき。

お酒の残りが、猪口にあと2杯くらいかな、という頃を見計らって “せいろ” をお声かけ。
つゆの追加も持ってきてくれた!

老舗らしく、特注の蒸籠に几帳面に “ちょぼ盛り” して、箸でならしてあるんだな。
“ちょぼ” とは、片手の指3~4本で蕎麦をつまみ上げることらしくて、
更科あたりの昔の蕎麦職人は、白魚20匹をつまむ量を “ひとっちょぼ” と言って、
そのちょぼでざるやせいろに蕎麦を盛りつけていたらしいんだな。
そうやって盛りつけることで、食べる時に蕎麦が絡んで箸で持ち上げにくくなったり
するのを防いでいたのだ。
なーるほどねぇ。

021虎ノ門砂場_もり

022虎ノ門砂場_もり寄り

023虎ノ門砂場_もりアップ

“せいろ” の麺は、微粉&細めの典型的な蕎麦の麺。
老舗は、この微粉のニ八というのが基本だよね。
僕は、この微粉も粗挽きもどっちも好きで、
あんぱんの「こしあん」と「つぶあん」みたいなものだと思ってる。
どっちにも、確固たるファンがいて、お互いに激論を戦わせても勝負がつかない。
リクツじゃなくて、うまいものはうまい。
あんぱんで激論を戦わせるんじゃない。
どっちもうまいので、どっちも楽しもう、という方針なのです。

ココのは、固からず柔からず、ややもっちりでバッチリつるつる。
蕎麦らしい蕎麦とでもいうのかな。
もちろん、おいしいですよー。

024虎ノ門砂場_蕎麦湯

食べ終わるのにもう一息、という頃にちゃんと蕎麦湯が出てきたよ。
どっかで、僕が食べているのをじっと見ている人がいたんだと思うと
なんだか落ち着かなくなってくるけど、
あちとらお仕事だから気にすんな、といつも自分に言い聞かせることにしてる。

こちらの蕎麦湯は、おなじみのサラサラ系。
後から粉を入れてポタージュ状にしない、ナチュラル系だね。
これも、僕はどっちも好き。

そうそう、湯桶は木製&塗りの特注品で、丸に砂の字が光ってるねー。

蕎麦湯を飲みながら、ボヘーッと店内を眺めていると、
僕の正面のずっと向こうに女性が一人。
新聞を読んでいて、蕎麦が出てきておもむろに食べ始める。
もう、午後5時頃だから、こんな時間に蕎麦を一人で食ってるなんてタダ者じゃないな。
んー、30代前半から後半くらいかなあ、思い切りキャリア、って感じだな。
僕がその年齢の頃、あんなふうに蕎麦屋を嗜む精神を持ち合わせていたっけか、
と考えると、なんかすんごい素敵な女性なんだろうな、という気がしてきた。

025虎ノ門砂場_内観

ずっとこのままボヘーっとしてる訳にもいかないので、
「よっしゃ、行くぜクマ!」と帰ることにした。
会計の時に、花番の班長って感じのおばちゃんに、
「こちら、近いうちに取り壊して移転するって聞きましたが、いつなんですか?」と聞いてみた。
すると、班長の顔がひきしまって、「わかりません」だと。
なんかを隠しているふうでもなく、表情だけではホントはどうなのかわからないまま店を出た。

026虎ノ門砂場_しし脅し
入口のすぐ右の足元にコレがある

027虎ノ門砂場_玄関二階
明治5年の人間が、歩行者用信号を見たらびっくりするだろうね

028虎ノ門砂場_外観左

二階の窓の欄干のところにも電燈が灯ってきたね。

新橋方面へスタスタ、交差点の向かいのあたりで振り返ってみると・・・おーっ、
あの店、でかいビルにL字型に囲まれて建っているんじゃんか!
来た時は、右側の塀づたいに来たので、ちっとも気づかなかった。

029虎ノ門砂場_外観引き

なぜ、あのビルはL字に建てなければならないのか・・・・

なんだあ、花番のおばちゃん、“わかってる” んじゃんか。

イェーッ、すごいぞ、虎ノ門砂場!
がんばれ、虎ノ門砂場!




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※1
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その砂場は、豊臣秀吉が大坂城建設を始めた時に作られた、砂や砂利や建設資材置き場のことだと。
そのあたりを“砂場” という呼び名で呼んでいたらしい。

それで、大坂城建設着手の翌年の1584年には資材置き場で職人に食事を提供するための蕎麦屋があった、
という有力な説があって、それが日本初の「蕎麦屋」だ、
ということになっているみたいだけど、真偽がはっきりしないらしい。

でも、記録では “蕎麦切り” 自体はそれより10年も前にあったことが確認されているし、
そのエリアを “砂場” という呼び名で呼んでいたことは間違いのないこと。

秀吉が作った大坂城とともに豊臣氏が滅ぼされて、
徳川による大坂城が完成した1629年に、空き地になった砂置き場に、
幕府が「新町」として遊郭街を作ったそうだ。お上公認だよ。
その辺がやっぱり俗称で、“新町砂場”と呼ばれていたみたいだね。

そこは後に、江戸の吉原、京都の島原、大坂の新町と呼ばれるほどの
一大欲望産業エリアになったそうだ。
いまの大阪市西区新町の二丁目と三丁目のあたり。

記録では、その “新町砂場”には2軒の人気麺類屋があったそうだ。
「和泉屋(いずみや)」と「津国屋(つのくにや)」。
庶民に “砂場の蕎麦屋” という呼ばれ方をして、
そのうち屋号じゃなくて “砂場” で通るようになった、
というのが『砂場』の起こりらしいね。

1700年代や1800年代に発刊された書物を比較すると、
この2つのどっちかが、記録に残る日本最古の『砂場』ということらしい。

つまり・・・

① 記録に残る日本最古の蕎麦屋は、江戸ではなく大阪にあった
② 記録に残る日本最古の蕎麦屋は、『砂場』である
③「和泉屋」と「津国屋」のどっちかが砂場の第一号店

・・・ということになるわけだ。

でもこれは、あくまで “記録に残る” であって、当時の有名店という意味に近いと思うな。
だって、当時の大坂や江戸の繁華街には、蕎麦やうどんを食べさせる屋台や茶屋がたくさんあったんだから。

江戸で初めて蕎麦屋の『砂場』の文字が登場するのは、1751年に発刊された「蕎麦全書」とのこと。
有名な日新舎友蕎子の著作で、「薬研掘大和屋大坂砂場そば」という店名が出てくるらしい。
ここでも、砂場が大坂発祥であることがわかるよね。

だけど、この「大和屋」が、最古の「和泉屋」や「津国屋」と関係あるかどうかはわからない。
ただ、1629年から1751年の間のどっかで、大坂から江戸に『大坂砂場そば』が進出してきた、
ということは確かなわけだよな。

1751年以降の書物では、いまの中央区に “砂場” のつく蕎麦屋があったことや、
「浅草黒舟町角砂場蕎麦」という店があったことなどが確認されているから、
1700年代後半には、江戸にもけっこうな数の “砂場”があったはずだよね。

1800年代になったら、当時の書物に登場する “砂場”の数もふえて、
「茅場町すなば大坂屋」とか「久保町すなば」、「砂場そば 糀町七丁目砂場藤吉」、
「砂場そば茅場町定吉」、「砂場そば深川御舟蔵前須原屋久次郎」、「兼房町砂場安兵衛」、
「浅草黒舟町角砂場重兵衛」、「本所亀沢町砂場兵蔵」なんかがあるんだけど、
このうちの「久保町すなば」が、いまに残る『巴町砂場』で、
「砂場そば 糀町七丁目砂場藤吉」が、いまの『南千住砂場』。
でも、どれも、大坂のどこの砂場とつながりがあるのか、わからないらしい。

茅場町のすなばや浅草黒舟町の砂場は、どこへ行っちゃったんだろう。
その人たちだって、江戸時代から続く東京の砂場の元祖であるはずなのに。

というわけで、いまも続く江戸の砂場の系列は、2本あるということになるねぇ。

「久保町すなば」は、元々、徳川家康が名付けたとされる御用屋敷街の久保町というところにあった。
町屋立ち退きの命令が出て微妙に引っ越したりしてるけど、
いまだにずっと東京都港区にある愛宕山の近くにあるのだ。
明治になって町名が巴町になってから、店名が『巴町砂場』に変わった。
現在(平成25年)のご主人(萩原長昭氏)で15代目!
これが、2本の系列うちの1本。

もう1本の系列は、その「砂場そば 糀町七丁目砂場藤吉」だけど、
1813年にはもう存在してて、1848年には江戸の名物のひとつとして超有名店になってたとのこと。
いまの千代田区麹町4丁目あたりにあったらしいんだけど、
麹町は江戸城外堀の四谷見附より内側だから、当然、
フツーには町屋を建てられない武家屋敷町のまっただ中だし、
当家が持っている江戸時代の資料に、1831年に長岡という名字が書かれているから
ただの蕎麦屋ではなかったと考えられているんだそうだ。

その名店が、12代目の紋次郎の時に財テクで失敗して、大正元年に南千住へ移転して
いまの『南千住砂場 砂場総本家』となったんだって。
平成25年現在のご主人、長岡孝嗣さんは14代目!

『巴町砂場』と一緒に江戸蕎麦・砂場のルーツを背負っているなんて、スゲーな、って感じだけど、
どうも、趣味蕎麦の店として高級路線を進んでいる巴町とは正反対で、
めちゃめちゃ庶民派路線を突っ走っているらしい。
庶民の足・都電荒川線が近くを走っているのとは、関係ないと思うけど。

ところで、その南千住砂場の前身「砂場そば 糀町七丁目砂場藤吉」は、
江戸から明治の動乱期もものともせず生き残り、「本石町砂場」と「琴平町砂場」の2店も生んだ。

「本石町砂場」は、最初、慶應年間(1865~68年)に暖簾分けで高輪の魚籃坂に出店した後、
明治2年に日本橋に移転してできた店。
これが、なんといまの『室町砂場』。
その室町砂場から、親族により昭和39年に生まれたのが、いまもやってる『赤坂砂場(室町砂場赤坂店)』。

「琴平町砂場」は、明治5年、「砂場そば 糀町七丁目砂場藤吉」の職人だった稲垣音次郎が
暖簾分けしてもらって出した店で、これが、Hくん日用の『虎ノ門 大坂屋 砂場』。
いまの建物は、大正12年に建てられて平成7年に改修も加えられたものだけど、
場所は、明治5年の創業の時から変わっていないというからすごいねー。

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●『名代 虎ノ門 大坂屋 砂場 本店』
東京都港区虎ノ門1-10-6
03-3501-9661
[月~金]
11:00~20:00
[土]
11:00~15:00
定休日/日曜・祝日


comment (6) @ 蕎麦>東京都港区