ゆらゆら草

もう少し感受性を働かせれば、毎日がスペシャルになる。そう自分に言い聞かせて、 いろいろ感じたことを書きとめてみよっと。

元祖・更科で蕎麦屋酒 ~ 『総本家更科堀井 本店』  



新年、仕事はじめの日。
年末に出しきれなかった請求書を作って、大手広告会社D社へ。
ついでにいろんな部署をまわって、新年のごあいさつをば。
3M社の「ポストイット手帳小物」が “御年賀” だぜ。

ひと通り巡って、腹が減ったなあ、と思ったらもう午後2時じゃん。
なんか食って今日は早く家に帰ろう、と思ったらひらめいた。
これは、都内名店昼下がりの蕎麦屋酒をやるチャンスだと。
早い時間に直帰できる、仕事始めか仕事収めでもなけりゃ、
昼間っから蕎麦屋に酒を飲みに行くなんてできないよなあ。
しかも名店って、土日や休日はめっちゃ混んでるから、
平日・午後2時のいまこそ、こりゃめったにないチャンスだぜ。

・・・というわけで、「開店から閉店まで、午後休みなし=通しでやってること」、
「新橋から比較的近いとこ」というコンセプトで店を検討したら・・・

①「能登治」

②「総本家更科堀井」

・・・って感じだわなあ。
鴨ダネで有名な「能登治」は、新橋のSL広場からすぐのとこだし、
更科のルーツ、麻布十番の「総本家更科堀井」は、
現在地から都営大江戸線で12~13分だからねー。

ニユー新橋ビルの横の道をまっすぐ歩いて行けば、
老舗名店のひとつ「虎の門 大坂屋 砂場」にもすぐ行けるけど、
前にHくんと行ったし、後でまたしっかり取材に行こうと思うので
今回はちょっと横に置いといて。

能登治のあったかい鴨南蛮も魅力だけど、新橋はしょっちゅう来るから、
ここはひとつ、こんな時でもなけりゃめったに行かない麻布十番へ、
というわけで「総本家更科堀井」へ行ってみた。

ついこのあいだまで、僕は“永坂更科”といえば「麻布永坂 更科本店」のことだと思ってた。
「麻布永坂」という言葉をデパート内の支店や通販商品などで目にしていたから、
当然 “本店” のつく店のことだと思い込んでいたんだ。

ところがどっこい、麻布永坂のあたりには3つも“永坂更科”があったのだ!

『麻布永坂 更科本店』『永坂更科 布屋太兵衛』『総本家更科堀井』の3つ。

それを知ったのは、わりと近年。とほほ
しかし、どれがホントの元祖なのか、けっこうややこしい経緯があるんだよ。


麻布永坂町にできた更科の蕎麦屋のホントのホントの元祖は、
「信州更科蕎麦処 布屋太兵衛」という名前だったそうだ。
創業は1789年(寛政元年)というから、バリバリの江戸時代。

お、だったら、『永坂更科 布屋太兵衛』がその承継店だろ、
という感じがするけど、それは○正解ではなくて△ってとこかな。
まあ、ややこしいストーリーがあるんだよ。

信州の織物の行商人で、清右衛門という人がいて、江戸にちょくちょく来ていたんだけど、
麻布の保科という武家が逗留先だった。
当時は、行商人が物を売るために突然江戸にやってきてもバンバン売れるわけもなく、
口利きというか紹介人というか、そういうネゴが必要だったんだろうね。
保科家は、信州の保科村出身というから、
信州から来ている清右衛門と何らかの関係があったのかもしれない。

清右衛門さん、なんかのきっかけでその保科さんに実家で作って食べてる蕎麦を
打ってもてなしたことがあったんだろうね。
清右衛門さんは信州人の中でも相当蕎麦打ちがうまかったらしく、
保科さんはいたく気に入り、蕎麦屋の開店をすすめたそうだ。
そもそも保科さん自身が、すごく蕎麦が好きだったということもあるらしいけど。

その時に、清右衛門さんは「太兵衛」と名前を変えて
当時の平民は苗字がないし、布売りだから「布屋」で、
くっつけて「布屋太兵衛」という名前になった。
で、店名は「信州更科蕎麦処 布屋太兵衛」となったわけ。

「さらしな」とは、信州の蕎麦の名産地「更級」のことだけど、
“級”を恩のある保科家の“科”の字に差し替えて、「更科」としたわけだ。

当時、“さらしな”を冠した蕎麦屋は「布屋太兵衛」が最初というわけではなくて、
いまの馬喰町や浅草並木町に「さらしな」や「更級」があったと記録があるから、
先行のそれらと区別するためにも“科”の字を使ったのかもしれないな。

「さらしな」や「更級」の看板や子孫は、どこへ行ったんだろう?
ひょっとすると、布屋太兵衛より古いさらしな蕎麦のルーツがあるかもしれないのに。

1800年代半ばには、逆に布屋太兵衛の「更科」をパクッて使った蕎麦屋が
何軒も出現するようになっていたらしい。

「信州更科蕎麦処 布屋太兵衛」は、保科家とのつながりから、
将軍家や大名屋敷、大寺院などにも出入りしていたと言われていて、
創業当初から御前蕎麦を名目とした高級店として超有名だったそうだ。

明治8年に、日本人全員が名字をつけることになった時、堀井とつけることにして
“布屋”は「堀井家」となった。
麻布に大名がいなくなっても高級化は進み、
蕎麦だけでなく器や調度品、店内の造作などでも群を抜いて、
敷地の面積も拡大し、宮内庁や華族なども御用達だったと言われている。
この頃が、元祖「信州更科蕎麦処 布屋太兵衛」の最盛期だったのかもしれない。

隆盛を極めた永坂更科の布屋は、1941年(昭和16年)に廃業
昭和恐慌による資金繰りの困難化や食糧統制、
そして、七代目松之助の放蕩などが原因だったという。

ところが、戦後で混乱する昭和23年頃に、突然「永坂更科本店」という蕎麦屋が出現!
堀井家とは全然関係のない、元料理屋をやっていた馬場繁太郎という人物が起業したのだ。
七代目松之助が、この人物に店名まで売ってしまったらしい。
これが、いまの『麻布永坂 更科本店』
支店が全国にあるし、けっこう人気だよね。
僕はついこの前まで、これが江戸時代からある永坂更科の本家本元だと思っていたからねー。

ハナシがややこしいのは、この次。
まったく堀井一門と関係ない人に、店の名前を持ってかれたせいで、
本物を復活させないか、という気運がモリモリ。
麻布十番商店街の小林勇という人が旗を振って、堀井家の保氏とその妻きん、
布屋時代の職人などを呼び寄せて
会社として、昭和24年にスピード再開したのだった。
実質的に、伝統のノウハウも味も復活したんだろうね、きっと。
これが、いまの『永坂更科 布屋太兵衛』

でも、この店は、うまいこと小林さんを代表とした会社組織の下に配されて、
堀井一族を役員に迎えたりしていたけど、あくまで小林さんの商才で成り立つ会社だし、
他人がどんどん儲けておもしろくないし、ということで、昭和59年、
八代目の堀井良造氏は独立して直系の店を作る
ことを決意。
これが、いまの『総本家更科堀井』ってわけ。

先にできた2店が主な名称を商標登録してしまっているので、商標権争いに勝てなくて、
この店は、布屋太兵衛直系の店だというのに、“麻布”も“永坂”も“布屋”も“太兵衛”も
店名に使えない、なんてことになっちゃった。
それで、「総本家」なんて嘘くさい冠と、本家本元の全然知られていない名字「堀井」を
くっつけるという、いちばん本物っぽくない店名になっちゃったというわけ。
でも、この『総本家更科堀井』こそが、ホントの“麻布永坂の更科”なのだ。

でも、2番目の『永坂更科 布屋太兵衛』は、
戦後すぐに始めたし、開店当初は本物の布屋の人間と職人を擁してできた店なので、
いまは堀井家の血は流れていなくても、元祖・布屋の蕎麦屋としての体液は流れているかも。
つまり、味やサービスはより元祖に近いのかも、ということ。
まあ、伝統をきちんと守っていたら、のハナシだけど。

・・・というわけで、
まず最初は元祖直系の『総本家更科堀井』に行かなくちゃ、
と決めてみたのだ。

入口は想像と違って、モダンな感じだったねぇ。
「神田まつや」や「虎の門 大坂屋 砂場」のような古風というか伝統的というか、
そういうのを勝手に想像していたっけ。

総本家更科堀井入口

入口にメニュー商品のショウケースがあるのが印象的だね。
名代とか名店と呼ばれる店では、なかなか見ることができないよね。
観光客や蕎麦好きや近所の人なんかが来ると思うけど、
誰が来てもどんなものをいくらで食べられるのかが、
びくびくしながら入る前にわかって、親切な感じがするなー。

店内も、こあがりの部分は純和風な感じだけど、
全体的には“和モダン”という趣き。
さらには、メニューの写真やパンフレットのデザインクォリティの高さなんかを見るに、
これは明らかに腕利きのプロデューサーというかディレクターというかが、
しっかりイメージ戦略を立てて仕事をしているのが伺えるな。

メニューも、やはりそんなに気軽な値段ではないねぇ。
一品料理の「板わさ」や「玉子焼き」、基本の「もり」、「さらしな」、「太打ち」、
「かわりそば」あたりはわりと標準的な値段だけど、
天ぷらの付くものや各種種ものとなると突然1500円越えとなるねー。

そうそう、昼酒を飲るために来たんだっけ、というわけで、
純米吟醸の「名倉山」一合680円の燗「玉子焼き」680円を注文。

普通なら僕は、どんなとこで呑んでも吟醸酒はたのまないんだけど、
残念ながらココには定番も季節のおすすめも吟醸酒しかないので、
しかたなく大吟醸だけは避けて純米吟醸にしたのだ。
個人的には、吟醸酒は香りが華やか過ぎて、
食中酒には向かないもんと心に決めているのだ。
ま、人それぞれだけどね。

総本家更科堀井_玉子焼き

玉子焼き!!
うわーっ、これはうまいなあ。
いままで食べた玉子焼きや出し巻玉子のどれにも似ていない。
まろやかな煮返しと出っ張り過ぎない出汁を入れて弱火で熱を通して、
しっとり湿ったクレープをきれいに巻いた、という感じ。
蕎麦汁のきいた出し巻玉子はあまたあると思うけど、
このしっとり感と絶妙な味は、いまんとこオンリーワンだな、僕の中では。

総本家更科堀井_玉子焼きアップ

もちろん、燗酒に合わないはずがないやね。
出汁と返しの発酵旨味と、酒の発酵旨味は友達だからね。

半分くらい呑んだあたりで、蕎麦を注文。
かき揚げともり、とか、さらしなや変わり蕎麦をたのむのがフツーだろうけど、
挽きぐるみの「太打ちそば」というのがあって、
へぇー、更科蕎麦屋にもこんなのがあるんだ、と思わずそれにしてしまった。

総本家更科堀井_太打ちそば
「太打ちそば」870円

総本家更科堀井_太打ちそばアップ

おーっ、太てーっ。
こりゃ、思ったより太い。
そして、長い。
これは、うどんだ。
いや、 “太いうどん” だあ。

食べていくうちに、せいろに盛られた蕎麦全体が、
たった数本の麺で構成されていることに気がついた。
こんなに太い麺を、どうやってつないで、どうやってたたんで、
どうやって切っているのか想像もつかない。
もちろん、コシがビンビンで、味も濃厚、うまいに決まってる。
ズッズッとすするのも平気で、シコシコ噛んで味わうのも好きな向きには絶好の蕎麦だなあ。
僕的には“更科”のイメージと真逆。
これ以上太くて味の濃い蕎麦があるなら、教えてほしいくらいだ。
しかし、これはもはや蕎麦じゃない、“太いうどん”だあ。

でもね、ココに来てはっきり気づいたことがひとつ、
そこいらの蕎麦屋とは、明らかに蕎麦汁の味が違うね。
要は、出汁の濃さ。
本枯節の厚削りをじっくり煮て出しを取りきる、
とはこういうことなのか、って感じ。
強烈な出しのパンチがきいている。
でも、魚臭いということはないのがミソなんだなあ。
この辺が、老舗と若い店の明確な違いかもしれないな。

あー、やっぱり更科なんだから、
“さらしな” か “かわりそば”にすればよかったかなー、
なんて思いながらミニパンフレットを覗くと、あら、楽しい!
今度は、“もり”と“季節の変わりそば”にしよっと。


【季節の変わりそば】(真白な更科そばに旬の物を練り込んだ変わりそば。)

1月4日~8日    /   桜海老切
1月9日~31日    /   柚子切
2月1日~28日    /   春菊切
3月1日~3日    /   三色そば
3月4日~15日    /   ふきのとう切
3月16日~4月10日 /   桜切
4月11日~30日   /   木の芽切
5月1日~10日    /   茶そば
5月11日~23日   /   よもぎ切
5月24日~6月5日  /   紅花切
6月6日~20日    /   蓼切
6月21日~30日   /   トマトつなぎ
7月1日~7日    /   笹切
7月8日~31日    /   青海苔切
8月1日~31日    /   しそ切
9月1日~21日    /   青柚子切
9月22日~10月9日  /   菊切
10月10日~31日   /   くこ切
11月1日~21日   /   くちなし切
11月22日~30日   /   柿の葉切
12月1日~30日   /   柚子切

※12月21日・22日のみ、かぼちゃ切


ちなみに、本家本元の「信州更科蕎麦処 布屋太兵衛」は、
いくつかの支店を残しているんだよ(いまでもやってるとこ)。

●明治20年に血縁分店第1号として生まれた、「布屋丈太郎」→ 現『神田錦町更科』
●明治32年に初の支店として生まれた、「麻布永坂更科支店布屋善次郎」→ 現『さらしなの里』(築地)
●昭和38年に有楽町更科から分れた、「布屋恒次郎」→ 現『布恒更科』(南大井、築地支店もあり)

・・・の3つ。
そのうち、ぜひ行ってみたいとこ。

しっかし、平成6年に閉店してしまったけど、『有楽町更科』に行ってみたかったなあ。
昭和初期に隆盛を極めてた店で、昭和3年に初めて旅客機が東京-大坂間に就航した際に、
一番機に蕎麦を200人前載せて大阪の祝賀会場まで出前した、というエピソードが残っているほどの店だし、
四代目の藤村和夫氏は、漫画「そばもん」の監修者だしね。
(藤村和夫氏は、2011年1月24日に逝去された)


●『総本家更科堀井 本店』
東京都港区元麻布3-11-4
03-3403-3401
11:30~20:30(L.O)
ランチ営業、日曜営業
年中無休(年末年始・夏季休暇を除く)


“藪” で嗜む東京の正月、いいなあ  

2013年が明けて、Hくんが郷里から赴任先のこっちへ帰ってきた。
今年は、だいたい4日か7日から仕事始めがフツーだからなあ。

H「さっそく、お気に入りの吾妻橋やぶで天ぷら蕎麦を肴にゆるりと一盃。
この店は午後2時ごろから混むので不思議。酒ニーズが高いと思われます。
ちなみに並木やぶの前を通りましたが、長蛇の列。
蕎麦屋はゆるりと酒を飲みつつ蕎麦をたぐるのがいいので、
いかに名店といえども、敬遠しちゃいます。」


6日に行ったんだね、『吾妻橋やぶそば』
「並木藪蕎麦」ともなると、松の内でも長い行列ができるんだねぇ。
お気に入りなんだ、吾妻橋。
それは、初耳だねー。

“やぶ”って、「藪蕎麦」とか「藪そば」とか「やぶそば」とか「やぶ」とか「藪久」とか「竹藪」とか
やけにいろいろあるけど、何がホントなんだ、って気持ちで、
吾妻橋やぶそばを、ネットで調べてみたっけ・・・

1990年か91年頃に、「かんだやぶそば」で長年やってきた名人・梅岡二郎さんが独立して、
アサヒビール本社の近くで開店したのが始まりだそうだ。
その後、2009年11月13日に場所を少し移動させてリニューアルオープンした店とのことだねー。
へーっ、“かんだやぶ“ のバリバリの暖簾分け店なんだ。

「並木藪蕎麦」に長い行列ができていても、駒形橋を渡るだけで、
すっかり“藪”のかたちになっちゃってる口を満足させることのできる店
、とのこと。
なんか失礼な感じの言い方だけど、実際、そりゃ助かるわなあ。
Hくんも、自然とそんな使い方を見つけていたんだね。

2009年のリニューアル移転から、完全手打ちにしたそうだ。
そうそう、かんだも並木も池之端も一部機械打ちだと言うのは周知の通りだけど、
そこまでは伝統を守る必要はないよねぇ。
麺の太さも、それに合わせて蕎麦汁の味も、藪御三家とは微妙に違うらしいよ。
いやいや、機械打ちはまずいという意味じゃないス。
僕は、うまけりゃ、なに打ちであろうと気にしないタイプ。
でも、“吾妻橋“が完全手打ちだというのは魅力ですなあ。

「なぜか午後2時以降に混み出す」と書いているけど、
アサヒビール本社横時代から、蕎麦前を目的で来る客が多かったとのことだから、
昼飯タイムを外して呑みに行く人が多いんじゃないかな。
なんせ、11:30~16:00までの通し営業だから、
呑もうと思えば午後2時頃に来るしかないということかもしれないね。

リニューアルしてから1年間くらいは、天ぷらがなかったらしい。
建築上の問題だったとのことだけど、いま時そんなことってあんのかねぇ。
いまは、藪伝統の芝海老のかき揚げが以前のままに復活した、
ということで写真の天ぷら蕎麦なんだねー。

吾妻橋やぶそば_天ぷらそば

うまそうだね!
このガリッと揚げるのが、藪らしいところなんだろうね。
これは、“甘汁でもう一回煮る“のとは違う独自のやり方なんだね、きっと。
ココのは“かんだ“よりうまい、という意見もあるようだよ。

いいなあ、藪のこの天ぷらは死ぬまでに一度は食べてみたいなあ。
あと、鳥わさとかつ煮!
菊正の燗で、サクッとやってみたいな。


藪蕎麦のハナシが出てきたので、
どっかで書いとこうと思ってた藪蕎麦の歴史でも、以下。

藪蕎麦の“藪”とは元々は蕎麦屋の屋号ではなく、
ホントに竹藪の中にあった蕎麦屋だから愛称として呼ばれていたものらしい。

それは1700年代の江戸時代のことで、
東京・池袋の近くの雑司谷の鬼子母神にあった2軒の人気蕎麦屋のうち、
門前茶屋だった方と、ちょっと離れた竹藪の中にあった方を区別するために、
竹藪の方を “藪の内そば” とか “藪の中爺がそば” と呼んだことから生まれたペットネームだとのこと。

この“藪の内そば”を、鬼子母神にお参りに来た人が、行く時に注文を入れといて、
帰りにちょうど通りかかる頃に蕎麦を作ってもらっといて食べて帰る、
という使い方をする人も多かったそうだ。

この元祖“藪の内そば”は、戸張喜惣次という主人がやっていて人気を博していたけど、
1818~30年(文政)の頃に廃業したのではないかと言われているそうだ。
その頃には、江戸のあちこちに「藪そば」を冠した蕎麦屋があったそうだ。
江戸にはよっぽど竹藪があったのと、語呂のいい粋な呼び名が流行ったんだろうね。

この雑司谷の“藪の内そば”は、いまの“かんだやぶそば”とはどうも関係ないようだ。
つまり、この店から分家が生まれていたとしたら、
かんだやぶとは別の由緒ある“藪”が存在しているはずだねー。

その後、江戸にたくさんある藪そばの中で群を抜いたのは、
深川藪之内の「藪そば(藪中庵)」という蕎麦屋だったとのこと。
幕末から明治にかけて名店として人気があったらしいんだけど、明治に入った頃には、
千駄木の団子坂にも大人気の “藪”「蔦屋(通称:千駄木やぶそば)」があって、
その2店が肩を並べていたという記録が残っている。

深川の藪は、明治37年頃に廃業したと思われて、
千駄木・団子坂の藪「蔦屋」も明治39年頃に、支店を残して倒産したそうだ。

深川藪の流れは、もうどこにもないんだろうか。
雑司谷系列も深川系列も資料が残っていないので、
現在まで支店を残しているこの千駄木団子坂「蔦屋」系列が、
やぶそばの正統なルーツとして語られているのが現状みたいだね。

「蔦屋」は、天保4年(1833年)の記録では、伊勢安濃津藩の武士だった山口伝次郎が創業者で、
武家をやめて町人として親戚の苗字である三輪姓を名乗って始めたというのがあるけど、
下野(栃木)出身の武士が創業者だとする説もあって、はっきりしないようだ。

でも、千駄木の団子坂の中ほどに「蔦屋」という蕎麦屋があったことは複数の記録からして間違いなくて、
それが「藪そば」とか「やぶそば」とかと呼ばれていたことも文献に残っているそうだ。

明治時代の「蔦屋」は、敷地面積が1500坪を越える屋敷のような店で、
坂を利用して仕事場と客室が複数立ち並び、敷地内には人口の滝まであったそうだ。

売り物の蕎麦は、今とはまったく違って、挽きぐるみのいわゆる田舎蕎麦で、
うどんくらいの太さ
があって、コシも東京一ではないかと言われるくらい強かったとのこと。

器類は、邸の周りがその名の通り竹藪だったので、蒸籠や箸、土産用のつゆ入れの筒などに
竹細工が用いられていた
のが特徴的だったそうだ。

その「蔦屋」には、神田の連雀町(現在の淡路町のあたり)に支店があって、
明治13年に、堀田七兵衛という人物がこれを譲り受けることになって、
これがいまの『かんだやぶそば』の始まりとなったそうだ。

この時点で「雑司谷・藪の内そば」はすでに消滅していて、
「千駄木団子坂藪そば・蔦屋」と「深川藪そば・藪中庵」とこの「連雀町藪蕎麦」が、
東京の藪そばのベストスリーと当時の書物に紹介されている。

先に書いたように、「深川藪そば・藪中庵」は明治37年頃になくなったと言われていて、
明治39年頃には、隆盛を極めた「千駄木団子坂藪そば・蔦屋」も財テクに失敗して廃業したから、
その後は、“藪そば”といえば、蔦谷の暖簾を継いだ神田連雀町のことさすようになったとのことだ。

おもしろいのは、『連雀町藪蕎麦(現・かんだやぶそば)』の創始者の堀田七兵衛は、
元は「砂場」系の蕎麦屋をやってた
こと。
江戸時代に林立した“藪蕎麦”の中から、“藪”のルーツを引き受けることになった店に、
“砂場”のDNAが入っていることだ。
「連雀町藪蕎麦」を引き継ぐ前まで、堀田七兵衛は浅草蔵前の「中砂」という砂場の4代目だったのだ。
堀田家が大阪の砂場をどうやって東京に継いできたかは、不明らしいけど。

その後「連雀町藪蕎麦」は、関東大震災と第二次大戦を経て、堀田七兵衛の次男・平二郎が継いだ。
三男に勝三というのがいて、京橋の支店をやっていたのだけど、
浅草並木町に元々あった団子坂藪蕎麦(=蔦屋)の支店「藪金」に、
26歳の時に移転させられて店を任せられた。
それが、いまの『並木藪蕎麦』
だそうだ。

その堀田勝三の長男の平七郎が、日本橋三越支店を経て“並木“を承継。
昭和29年に勝三の三男の鶴雄が上野池の端の新店を任せられたのが、『池の端藪蕎麦』の始まり。

この “神田連雀町(かんだやぶ)”“浅草並木”“上野池の端” が、
初代・堀田七兵衛の血縁直系なので、「藪御三家」と呼ばれているんだね。

さらに、明治25年に「連雀町藪蕎麦」が初めて暖簾分けしたのが鵜飼安吉の『藪安(現 上野藪そば)』
明治37年に暖簾分け第二号店として開業したのが多田与四太郎の『浜町藪そば』
初代七兵衛の妹4人のうちの1人の娘が、大正になって七兵衛の弟子と結婚して出したのが『泉岳寺藪そば』

この他、直系・暖簾分け含めて、本郷、浅草、日陰町、銀座、人形町、京橋、日本橋、
本駒込、三田、芝浦などに“千駄木団子坂→神田連雀町系“藪蕎麦は展開したけど、
戦後までにみんな廃業しちゃって、御三家プラス「上野」、「浜町」、そして「泉岳寺」が残ったというわけ。
(以上『蕎麦屋の系図』岩崎信也 光文社知恵の森文庫 参照)

Hくんお気に入りの『吾妻橋やぶそば』は、何店目か僕はわからないけど、「上野」、「浜町」と並ぶ、
「神田連雀町藪蕎麦(かんだやぶそば)」のれっきとした暖簾分け店
なんだなあ。

“藪”というと、クロレラ入りの緑色の細くて弾力のある麺と塩辛い蕎麦汁を思い出すけど、
分家の御三家も暖簾分け店も、それぞれ工夫が進んでいて、
伝統を守りながらも少しずつ違う味やメニューが愉しめるらしいね。

僕は“藪”は、デパートに入ってた「かんだやぶそば」の支店の
“せいろう”を食べたことがあるだけなので、もちろん、興味もりもりですぜ。
今度、一緒に“かんだ”に行ってみよっか、高いけどねぇ。


●『吾妻橋やぶそば』
東京都墨田区吾妻橋1-11-2
03-3625-1550
11:30~16:00
ランチ営業、日曜営業
定休日/月曜・火曜

気軽に通える、超一級店 ~ 手打ちそば処『椿屋』  



その日は、12月29日。
明日は会社が休みなので、昼間から蕎麦屋酒をやっちまおう、と決め込んで、
どっかの駅から歩いて行けるところ、というコンセプトで店を選んで、
西武新宿線・新所沢駅に行ってみたぜー。

ホントは昼酒と昼風呂は苦手なんだけどなあ。
昼酒は妙に酔っ払って、心臓がドキドキするし、
昼風呂は風邪を引いてしまうのだ。

駅から5分位歩くと『椿屋』はあった。
けっこう交通量の多い県道の道端にある、
3階建てくらいのマンション風の建物の一階だ。

パッと見の外観は、ただのマンションにしか見えないので、
これは、みーんな見逃してしまうだろうなあ、って感じ。
しかも、通りすがりの人でも気軽に「おっ、めしでも食ってくかあ」とは思いにくい感じの構えだ。
メニューもショウウィンドウも何もないんだもんな。

椿屋玄関

でも、入口の前に立ってよくみると、蕎麦好きならドキッとくる情報がちゃんとあった。
ひとつは、「手打ちそば処」であること。
もひとつは、ママチャリのノイズに紛れて「本日の蕎麦 宮崎児湯郡川南町産」
「品種名 鹿屋在来種」とあることだ。

椿屋蕎麦品種

普通にお腹が減っただけの人だったら、「なんじゃ、こりゃ」で終わりだろうな。
値段も写真も何もないうえに、漢字が戒名のように並んでいるんだから、
逆に不気味な感じがするかもしれない。

でも、蕎麦の味は、その産地や品種でずいぶん違うということを知っている人は、
これだけの情報で、おっと!と足を止めるに違いないね。

蕎麦粉の産地と言えば、北海道産とか長野産とか茨城産なんかがフツーで、
宮崎も蕎麦の安定産地だけど珍しいよね。
よくわからない地名だけど“在来種”なんて書いてあると、
そりゃ、そそられるっちゅうもんだ。

なんか得した気分で暖簾をくぐると、
外観の殺風景さとは違って、中は小ぶりで庶民的な感じだけどちゃんとした蕎麦屋だ。
テーブルが3つとこあがりテーブルが3つ、それに2~3人座れる程度のカウンターだけの規模。
15人も入ればいっぱいかな。

2人掛けのテーブルが1つ空いているいるだけで、そこに座ったっけ。
ちゃんと混んでいるんだな、これが。

メニューにはないんだけど、壁に貼ってある半紙にはなんと、「神亀」が!
そして、「男山」も!
おー、なかなかやるじゃん、と感動しながら、すかさず「神亀」の燗を注文。
それから、アテに「山かけ豆腐」も。

椿屋山かけ豆腐

燗酒の徳利&お猪口と一緒に、あたりまえのように蕎麦味噌が出てきて、
なるほど、ちゃんと蕎麦屋なんだ、とさらに納得。

蕎麦味噌の旨味 → 神亀 → 山かけ豆腐のあっさり → 蕎麦味噌・・・
というローテーションで日本の旨味のハーモニーを愉しんでいたら、
神亀がすぐになくなっちゃった。

ので、旭川の男山「鴨のネギ味噌」を追加。
「鴨のネギ味噌」ってなんだべか、と待っていたら、
杓文字に塗りたくった蕎麦味噌とあまり変わらないものが出て来て、
あれっと思ったけど、味は大違い。
蕎麦味噌に、刻んだ鴨肉が混ぜてあるからグンと旨味が強いのだ。

椿屋鴨のネギ味噌

「味噌の旨味 × 肉の旨味」が日本酒に合わないわけがないよな。
おまけに、醤油や味醂の旨味も蕎麦屋にはいっぱいあるから、
蕎麦屋酒はうまいに決まってる、というわけだ。

そろそろ蕎麦にいくか、と思って壁のメニューを見ると、
宮崎児湯郡川南町産であるうえに、「石臼挽き」と「更科」と「田舎」が選べるときた。
すべてのメニューで、麺をこの3種から選べるというからものすごい。
この店の凄味がガツーンと伝わってきたぞ!

なら、できるだけ種類を食べたいので、「合重ね(お好みのそば二枚重ね)」1,100円にして、
「石臼挽き」と「田舎」を試してみることにした。

先に出てきたのは、「石臼挽き」
おっと、これは “粗挽き” だ。美しい!
丸抜きを挽き込んだ、って説明には書いてあるけど、
蕎麦殻の黒い星が芸術的に散りばめられている。

他でも何度もこういう麺に出くわしているけど、
ココのはバツグンにきれいだねー。
これは、いいなあ!
ギュッ、ポンの外人系ねーちゃんじゃなくて、
楚々として可憐な和美人、って感じ。

しっかし、伝統的な微粒粉+細麺もいいけど、
粗挽きってのも、魅力あるよなあ。
どういう製粉と配合でこういう麺ができて、
どうやって“つないで”いるんだろう。

椿屋石臼挽き
合重ね・石臼挽き

椿屋石臼挽きアップ

少し黄緑がかった細身の粗挽き麺は、
すすって噛むと独特の甘味と香りが口の中に広がった。

“二枚重ね“と書いてあるのに、後から「田舎」が出て来た
これは、お昼の混雑対応とのびるのを防ぐのと、うまい時間差攻撃だな。

んー、この田舎も粗挽きだ。
“田舎”は、うどんみたいに太いのが多いけど、ココのはフツーの太さ。
その分、田舎+粗挽きでもズルッとやりやすいかな。
コシのしなやかさと味の濃さが半端じゃない!

そういえば、蕎麦汁の出しの風味の強さも、他とは一線を画しているな。
うん、だからって、けっして魚介くさいというわけでもなく、
こういううまさもあるんだ、と気づかされる。

椿屋田舎
合重ね・田舎

椿屋田舎アップ

ちょっと、待てよ!
これまで「椿屋」なんて名前、聞いたことなかったよなあ。
これはひょっとして、すごい店、見つけちゃったぜ。

何がすごいかって、この店は小さなお店のナリも値段も
まったく粋を気負うことがなくてごく庶民的なのに、
蕎麦は最先端を行っていることだ。

最近の蕎麦打ちのトレンドは、「手打ち」、「十割」、「田舎」ときて
手動にしろ電動にしろ「石臼挽き」がポピュラー化しているけど、
その次に、手打ちの「粗挽き」が盛り上がっていると思う。
もちろん、全部昔からあるものだけど、ブーム化という意味で。

その先を、「熟成蕎麦」とか「杵つき」や「寒ざらし」が “はしって” いるけど、
「石臼+粗挽き」が旬だろうと思う。

そして、玄蕎麦の「産地」と「品種」の表示
これも、最近ぐぐっと流行り始めているんじゃないかと。
もう、ワインのブランドと同じ感じになってきたね。

「やっぱ常陸秋だなあ」とか「今年は、徳島県祖谷在来種がいいらしいぞ」とか
「この前、イタリア産のサラセン種で作ったそばを食べたよ」なんて
電車の中のおじさんが会話してるのを聞く日も、間違いなく近いな。
いやいや、おちょくっているんじゃなくて、わくわくうれしい気持ち。

「粗挽き」と「産地・品種表示」・・・
そう「椿屋」は、この蕎麦界最新トレンドをスコーンとやっちゃってるのだ。

最近よく見るスノッブなたたずまいでジャズが流れてて、
メニューに粗挽きのもりと田舎しかなくて、
一枚1,000円もするようなもったいぶった蕎麦屋なら感動も薄いけど、
ココは、見た目も値段もフツーの蕎麦屋だからジーンとくるんだよ。
このフツーと最先端のギャップが、なんともわくわくなのだ。

「椿屋」のすごさは、それだけじゃない。
まずは、メニューの豊富さ。
いわゆるもり・せいろ系が11種、冷たいぶっかけ系が6種、
温かいかけ・種物系が12種、どんぶり系のご飯ものが6種、
ヌキを含めないおつまみ系が14種、
どんぶりとセットのランチメニューが6種、
定番の酒類が10種!デザートも1つある!

それに、蕎麦の麺の「石臼挽き」「更科」「田舎」の3種をかけ算すると、
壮大なグランドメニューになるじゃんか!
さらに、神亀などのその時々のおすすめの酒や季節の変わり蕎麦、
季節のタネで揚げた天ぷらの盛り合わせ、
メニューにないおつまみなんかもあるから、すご過ぎ。

そして、安さ
もり650円、鴨せいろ1,050円、かき揚げ天そば950円、かつ丼と手打ちそばのランチセット950円、
鴨の治部煮850円、だし巻玉子550円、かき揚げ天420円、山かけ豆腐350円・・・・。
これも、かなりだね。

これなら、およそこの世に存在する蕎麦屋遊びのほとんどのことが、
このたった3人で切り盛りしているちっちゃい店で体験できるぞ。

そうそう、それって子供も大食いも酒好きも蕎麦通も、
みんなが満足できる店ということだ。
“気軽に通える、超一級店”とでも言えばいいのかなあ。

入口が小さくて、中も小さいのに、すげー深い懐の蕎麦屋。
メニューも多くて安くて、庶民的なのに、すごい蕎麦を出す店なんだなあ。

超オーセンティックなのに、庶民的で親しみやすい蕎麦屋、
・・・というのもあるよねぇ。
それは、僕の場合「神田まつや」のこと。
まあ、まつやの店内はそんなに小さくないけど、


神田まつや
神田まつやの店先

まつやと比べて「椿屋」に足りないのは、当然、歴史だよね。
まつやは、いい感じにひなびた店内外の造りと、
気取らないおばちゃんの接客が気持ちいいよねぇ。

でも、まつやは「切り」が機械だと聞くけど、
手打ちで最先端の蕎麦を出している分、
新しめのナリの椿屋もまんざらでもないかとも思う。

“どんなにすごい蕎麦を打っていても、どんなに長い歴史を背負ってても、
大名屋敷への出前以外は、蕎麦屋は庶民の気軽なカフェなのだ”、
というスタンスが貫かれている店、
それがホントにいい蕎麦屋に違いないと思うなあ。

満席の「椿屋」の店内、カウンターに着いてる初老ご夫婦の旦那さんが、
女将の手すきのタイミングで、「にしん蕎麦を田舎で」って注文してた。
メニューにはないけど、ちゃんとあるんだな、これが。

客と馴れ合い言葉を交わすわけでもなく、あわてるわけでもなく、
女将が厨房にさらっとオーダーを通してた。

「椿屋」では、一日に何杯のにしん蕎麦が注文されるんだろうか。


●手打ちそば処『椿屋』
埼玉県所沢市北所沢町2017-6
04-2942-6000
「水~月」11:00~20:30
ランチ営業、日曜営業
定休日/火曜日


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