ゆらゆら草

もう少し感受性を働かせれば、毎日がスペシャルになる。そう自分に言い聞かせて、 いろいろ感じたことを書きとめてみよっと。

平日の昼酒 ~ 『吾妻橋やぶそば』  


親友のHくん御用達の “吾妻橋やぶ” に行ってきたよ。

Hくんが、こっちに単身赴任していた時に、
お気に入りで、ちょくちょく行ってたという店。
彼は赴任中、この近辺に住んでいたからね。

彼のルポを見て、「おお、よさそうな店だなあ」と思い、
そのうちに行くぜと思いつつ、2年も経ってしまっていたね。
だってさ、月曜と火曜が休みで、11:30~16:00の営業だからね。
しかも、ふだんほとんど用の無い浅草方面だからね。
なかなか行けなかったのさ。

今回は、たまたまその近くで午前中に打ち合わせがあったので、
「おっしゃー、逃すなチャンスチャンス」ということで、
ウキウキ行ってみたんだよ。



地下鉄銀座線の浅草駅を出ると、東武スカイツリーラインの浅草駅と直結した
松屋浅草(デパート?)が目の前に。

001東武スカイツリーライン浅草駅_松屋浅草.JPG

ちょっと左を向くと、デンキブランで有名な「神谷バー」が。

002神谷バー.JPG

そっち(浅草方面)とは逆を見ると、すぐそこに隅田川。
「吾妻橋」がかかっているのだ。

橋の上から「駒形橋」方向を見ると、屋形船が停泊中。
風情だねぇ。

003吾妻橋の上から駒形橋を望む.JPG

駒形橋と逆の方向を見ると、アサヒビールの本社ビルと墨田区役所がスコーン。
あの「雲古オブジェ」も健在だねー。

004アサヒビール本社ビル.JPG

橋をしばらく歩くと、なんと東京スカイツリーも見えてきた!
おお、絶景かな、絶景かな。
まわりに高い建物がないので、目立つ目立つ。

005スカイツリー.JPG



吾妻橋を渡り切ってすぐに右に曲がって、隅田川沿いに3分も歩けば
左手にほれ、『吾妻橋やぶそば』が待っていたぜー!
駒形橋の東詰の目の前だね。

006吾妻橋薮そば入口.JPG

繁華街でもなんでもないところなので、ちょっと寂しげな風情ではあるな。
でも、黒塀と少し奥まった玄関で、ちゃんと江戸蕎麦屋の風体をなしているねー。

おお、中は想像してたのより広い。
想像以上に凝った和の内装に、椅子やテーブルがゆったりレイアウトされていて、
よくある人気蕎麦屋のようなせせこましさが全然ないね。

007店内.JPG

ぴったし11:30に着いたから、客はまだ3人くらいしかいない状態。

008鉢.JPG



さてさて、何にしようかな。
うむ、蕎麦屋のつまみだな。
そうさ、街の蕎麦屋は料理屋じゃないし、飲み屋でもないんだから、
こういうのがふさわしいのだ。

009メニューつまみ.JPG

でも、定番系の他に、「天抜き」とか「鴨抜き」とか「天種」とかのがあって、
いいね、いいね、って、蕎麦屋モチベーションが上がってくるぜー。

010メニュー蕎麦.JPG

蕎麦メニューの最も特徴的なのは、
もり蕎麦が、小・中・大の3種あることだろうね。
これは僕的には、つまみをたのんで蕎麦前酒をやった後に、
「蕎麦、少しでいいんだけどなあ」って思うことがあるので、大助かりなんだよね。

ぶっかけ系もそそられるけど、
「花まき」や「おかめ」の伝統メニューもいいねー。



よし、まずは小瓶ビールと「鳥わさ」で、シュワーッといくか。

ほれほれ、これだ。

011ビール_蕎麦味噌_鳥わさ.JPG

酒類をたのめば、何か突き出しを出してくれる、これが蕎麦屋の常識。
こちらは、定番の「蕎麦味噌」。

012蕎麦味噌.JPG

「鳥わさ」は、見た目より量が多いぞ。
味付けはたぶん、かえしとみりんか砂糖と、当然わさび。
そして、微妙にすりゴマを混ぜてあるとみた。

013鳥わさ.JPG

わりと薄味。
うまい!
“蕎麦前がいい” という評判は、本当だな。
ビール向きのつまみでないことはわかっていたんだけど、ソーセージとかないし、
ぽかぽかあったかい日だったので、喉が乾いててビールにしたのが悔やまれる。
それにしても、11:30から16:00の間に酒を飲む人がそんなにいるんだろうか。

ほとんど食べてしまってから、やっぱり日本酒がいいな、
って「菊正上撰」の熱燗をたのんでも後の祭り。
なら、もう一品ということで、「天抜き」を注文したった。

014菊正上撰.JPG

ちなみに「天抜き」とは、
あったかい天ぷら蕎麦の “蕎麦” を “抜いた” もののこと。
天ぷらを抜いたらそりゃ、かけ蕎麦だからね。
つまり、温蕎麦の甘汁に、天ぷらが肩まで沈めてあって、
三つ葉とゆずのかけらを浮かべてある、というシロモノなんだよ。

015天抜き.JPG

妙でしょ?
だって、天ぷらの衣がどんどんレロレロになってくるんだよ。
でもね、これが絶妙に日本酒に合うんだよ。
まあ、醤油と出しの味だからね。

016天抜きアップ.JPG

ガリガリに揚げたはずの、大げさな衣の中に入っているのは、芝海老かな。
どうせ2~3個だろう、と思っていたら7~8個も入っていた!
1,200円もする変なつまみだけど、これなら高くないな。

017天抜き箸上げ.JPG

これは、天ぷら蕎麦にする時の甘汁より、
意図的に少し濃い味付けにしてるんだろうね。
色も濃いし、酒のつまみにして合うように味をこしらえていると思う。
レロレロとプリプリを繰り返して口に運ぶのが止まらない。

酒が進む進む、もう一本つけてもらいたかったけど、やめ!
だってさ、平日の昼なんだよ。
顔がまっ赤っかだし。

018七味.JPG



呑んでる間にたのんどいたのは、「もり」の小
これも、見た目より多いね。
神田の砂のつく蕎麦屋のもり一枚より、はるかに多いぞ。

019もり小.JPG

020もり寄り.JPG

021もりアップ.JPG

辛汁はまっ黒で、ご存知「藪」の塩辛さ。
出しの香りは軽くて、旨味の引き出しのみに徹しているのか。

022もり汁.JPG

微粉で打たれた麺のすすり心地も、歯ごたえも、
鼻に抜ける蕎麦の香りもナイス!
完全手打ちは、2009年から始めたそうなんだけど、
上野藪の麺を少し細くしたくらいのクォリティの高さだね。

023もり箸上げ.JPG

024きざみねぎ.JPG

あ、ネギを入れるのを忘れてたーっ、
ってかー、ホントは蕎麦湯に入れるために取っておいたんだよ。

025蕎麦湯.JPG



Hくん、いつも一人でどこに座って、天ぷら蕎麦を食っていたのかなあ。
一緒に蕎麦屋めぐりしたのを思い出すねぇ。

いつか、ここにも一緒に来られるといいなー。



026水上バス.JPG


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<やぶそば豆知識>

藪蕎麦の“藪”とは元々は蕎麦屋の屋号ではなく、
ホントに竹藪の中にあった蕎麦屋だから愛称として呼ばれていたものらしい。

それは1700年代の江戸時代のことで、
東京・池袋の近くの雑司谷の鬼子母神にあった2軒の人気蕎麦屋のうち、
門前茶屋だった方と、ちょっと離れた竹藪の中にあった方を区別するために、
竹藪の方を “藪の内そば” とか “藪の中爺がそば” と呼んだことから生まれたペットネームだとのこと。

この“藪の内そば”を、鬼子母神にお参りに来た人が、行く時に注文を入れといて、
帰りにちょうど通りかかる頃に蕎麦を作ってもらっといて食べて帰る、
という使い方をする人も多かったそうだ。

この元祖“藪の内そば”は、戸張喜惣次という主人がやっていて人気を博していたけど、
1818~30年(文政)の頃に廃業したのではないかと言われているそうだ。
その頃には、江戸のあちこちに「藪そば」を冠した蕎麦屋があったそうだ。
江戸にはよっぽど竹藪があったのと、語呂のいい粋な呼び名が流行ったんだろうね。

この雑司谷の“藪の内そば”は、いまの“かんだやぶそば”とはどうも関係ないようだ。
つまり、この店から分家が生まれていたとしたら、
かんだやぶとは別の由緒ある“藪”が存在しているはずだねー。

その後、江戸にたくさんある藪そばの中で群を抜いたのは、
深川藪之内の「藪そば(藪中庵)」という蕎麦屋だったとのこと。
幕末から明治にかけて名店として人気があったらしいんだけど、明治に入った頃には、
千駄木の団子坂にも大人気の “藪”「蔦屋(通称:千駄木やぶそば)」があって、
その2店が肩を並べていたという記録が残っている。

深川の藪は、明治37年頃に廃業したと思われて、
千駄木・団子坂の藪「蔦屋」も明治39年頃に、支店を残して倒産したそうだ。

深川藪の流れは、もうどこにもないんだろうか。
雑司谷系列も深川系列も資料が残っていないので、
現在まで支店を残しているこの千駄木団子坂「蔦屋」系列が、
やぶそばの正統なルーツとして語られているのが現状みたいだね。

「蔦屋」は、天保4年(1833年)の記録では、伊勢安濃津藩の武士だった山口伝次郎が創業者で、
武家をやめて町人として親戚の苗字である三輪姓を名乗って始めたというのがあるけど、
下野(栃木)出身の武士が創業者だとする説もあって、はっきりしないようだ。

でも、千駄木の団子坂の中ほどに「蔦屋」という蕎麦屋があったことは複数の記録からして間違いなくて、
それが「藪そば」とか「やぶそば」とかと呼ばれていたことも文献に残っているそうだ。

明治時代の「蔦屋」は、敷地面積が1500坪を越える屋敷のような店で、
坂を利用して仕事場と客室が複数立ち並び、敷地内には人口の滝まであったそうだ。

売り物の蕎麦は、今とはまったく違って、挽きぐるみのいわゆる田舎蕎麦で、
うどんくらいの太さがあって、コシも東京一ではないかと言われるくらい強かったとのこと。

器類は、邸の周りがその名の通り竹藪だったので、蒸籠や箸、土産用のつゆ入れの筒などに
竹細工が用いられていたのが特徴的だったそうだ。

その「蔦屋」には、神田の連雀町(現在の淡路町のあたり)に支店があって、
明治13年に、堀田七兵衛という人物がこれを譲り受けることになって、
これがいまの『かんだやぶそば』の始まりとなったそうだ。

この時点で「雑司谷・藪の内そば」はすでに消滅していて、
「千駄木団子坂藪そば・蔦屋」と「深川藪そば・藪中庵」とこの「連雀町藪蕎麦」が、
東京の藪そばのベストスリーと当時の書物に紹介されている。

先に書いたように、「深川藪そば・藪中庵」は明治37年頃になくなったと言われていて、
明治39年頃には、隆盛を極めた「千駄木団子坂藪そば・蔦屋」も財テクに失敗して廃業したから、
その後は、“藪そば”といえば、蔦谷の暖簾を継いだ神田連雀町のことさすようになったとのことだ。

おもしろいのは、『連雀町藪蕎麦(現・かんだやぶそば)』の創始者の堀田七兵衛は、
元は「砂場」系の蕎麦屋をやってたこと。
江戸時代に林立した“藪蕎麦”の中から、“藪”のルーツを引き受けることになった店に、
“砂場”のDNAが入っていることだ。
「連雀町藪蕎麦」を引き継ぐ前まで、堀田七兵衛は浅草蔵前の「中砂」という砂場の4代目だったのだ。
堀田家が大阪の砂場をどうやって東京に継いできたかは、不明らしいけど。

その後「連雀町藪蕎麦」は、関東大震災と第二次大戦を経て、堀田七兵衛の次男・平二郎が継いだ。
三男に勝三というのがいて、京橋の支店をやっていたのだけど、
浅草並木町に元々あった団子坂藪蕎麦(=蔦屋)の支店「藪金」に、
26歳の時に移転させられて店を任せられた。
それが、いまの『並木藪蕎麦』だそうだ。

その堀田勝三の長男の平七郎が、日本橋三越支店を経て“並木“を承継。
昭和29年に勝三の三男の鶴雄が上野池の端の新店を任せられたのが、『池の端藪蕎麦』の始まり。

この “神田連雀町(かんだやぶ)” と “浅草並木” と “上野池の端” が、
初代・堀田七兵衛の血縁直系なので、「藪御三家」と呼ばれているんだね。

さらに、明治25年に「連雀町藪蕎麦」が初めて暖簾分けしたのが鵜飼安吉の『藪安(現 上野藪そば)』。
明治37年に暖簾分け第二号店として開業したのが多田与四太郎の『浜町藪そば』。
初代七兵衛の妹4人のうちの1人の娘が、大正になって七兵衛の弟子と結婚して出したのが『泉岳寺藪そば』。

この他、直系・暖簾分け含めて、本郷、浅草、日陰町、銀座、人形町、京橋、日本橋、
本駒込、三田、芝浦などに“千駄木団子坂→神田連雀町系“藪蕎麦は展開したけど、
戦後までにみんな廃業しちゃって、御三家プラス「上野」、「浜町」、そして「泉岳寺」が残ったというわけ。
(以上『蕎麦屋の系図』岩崎信也 光文社知恵の森文庫 参照)

Hくんお気に入りの『吾妻橋やぶそば』は、何店目か僕はわからないけど、「上野」、「浜町」と並ぶ、
「神田連雀町藪蕎麦(かんだやぶそば)」のれっきとした暖簾分け店なんだなあ。

“藪”というと、クロレラ入りの緑色の細くて弾力のある麺と塩辛い蕎麦汁を思い出すけど、
分家の御三家も暖簾分け店も、それぞれ工夫が進んでいて、
伝統を守りながらも少しずつ違う味やメニューが愉しめるらしいね。

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●『吾妻橋やぶそば』
東京都墨田区吾妻橋1-11-2
03-3625-1550
11:30~16:00
ランチ営業、日曜営業
定休日/月曜・火曜







“ 東京の空 ” / 小田和正





“ Good Time Charlie's Got The Blues ” / Earl Klugh - Chet Atkins Quintet




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