ゆらゆら草

もう少し感受性を働かせれば、毎日がスペシャルになる。そう自分に言い聞かせて、 いろいろ感じたことを書きとめてみよっと。

テレビとネット ~ 誤報は確報を駆逐する  


テレビの報道番組なんかを観てて、腹が立つことってない?
僕はなんだか知らないけど、しょっちゅう頭に来てんだよな。
気づいたら、一緒に観てる家族の前で、ブーブー文句を言ってたりする。

もう、だいぶん時間が経ってしまって、ほとんどテレビで流れてないけど、
「ベッキー不倫報道」「舛添都知事ひきずりおろし報道」には
マジでイライラしたぜ。

毎日毎日、どこのチャンネルでもやってたよね。
テレビのニュース番組のバカさ加減にはいっつも頭に来てるんだけど、
この時ばかりはホント、テレビを点けるのもイヤになりそうだった。

そんな風に毎日イライラしてる時に、いつものブログ巡回をしていたら・・・
おおーっ、大好きなウォーリックさんの「阿鼻叫喚 (あびきょうかん)」
復活してるじゃんか!
(ご本人の許可をいただいておりませんが、出していいのかなあ?)

すかさず読んでみると・・・
最近僕が言いたいと思ってたことと、ほとんど同じことが書かれているじゃないか!
「そうだ!そうだ!」って、思わず叫んでしまった。

んだもんで、はい、ふだんあまり批判めいたことは書かないんだけど、
勝手に強い後押しもらった気になって、書いておくことにしたよ。
ウォーリックさんの意見の上塗りにしかならないかもしれないけど。



◆謝るなベッキー


テレビで、ベッキーが謝っていた。
ニュースを見たくてニュース番組を観ているのに、
毎日毎日「ベッキー不倫報道」を観させられて、
しまいには彼女の謝る姿を観させられて、溜まっていた違和感が爆発したね。

ベッキーは何を謝っているんだろう?
会見に集まった記者たちに「不倫をしたこと」や
「不倫していないとウソをついていたこと」を謝っているのか?
報道陣は、それを謝ってほしかったというのか?

ベッキーが謝らなければならないのは、不倫相手の奥さんやその家族にだよね。
結婚はリッパな「社会的契約」の一つだから、それを破ったという意味でだよ。
でもね、男女の好きだとか嫌いだとかいう問題は、感情の問題であって
それ自体、刑法にひっかかるというほどのものでもないし、
そもそも、ベッキーのほうは独身であって、積極的に「社会的契約」を破った
というわけでもないよね。
だから、テレビがいうほど “罪” が重いとは思えないのだ。

それから、謝る相手としては、ファンの人たち、というのがあるよね。
自分を好きになってくれて、応援してくれているファンの気持ちを
裏切ったというわけ。

でも、これもやっぱり根本は、個人の感情や個人の倖せの問題であって、
ファンにだって如何ともしがたいことじゃないのかな。
アタマに来たなら、ファンをやめればいいだけじゃん。

さらには、こんなことになって仕事がキャンセルになったりして
ビジネス的に損害を与えてしまった事務所やメディア、スポンサー
なんかにも謝る必要があるかもしれないかな。

でもね、タレントを利用した商売なんて、始めからそういうリスクを
覚悟してやってんだし、一般の人がいっぱい観てるテレビに出て謝る
ようなことでもないんじゃないの?
B to B で謝ったり、賠償すりゃいいんだよ。

だいたい、痴話ネタごときでガーガー騒いで個人攻撃して
タレントが他の番組やCMやイベントに出られなくして損害を招いているのは
自分たちじゃないか、ということさ。



◆社会性のない社会報道


もちろん、ニュース番組や情報バラエティ番組に向かって謝ることなんかひとつもないよね。
それどころか、番組側はベッキーに感謝しなくちゃだよ。
だって、他人さまのプライベートの痴話喧嘩をメシの種にさせてもらってんだよ。
それで、どんだけ視聴率を稼がせてもらってんだ、ってこと。

だのに、小学校の学級委員みたいに、正論だけを掲げて、
とうとうカメラの前で謝らせるなんて、
盗人猛々しいとは、こういうことをいうんだと思う。

そもそもさ、こういう不倫とか痴話喧嘩みたいなゴシップネタって、
ニュース番組のアタマっから流すようなもんじゃないよね。
いやいや、昔はニュース番組のネタにもならなかったかも。
「テレビ三面記事」みたいな、ゲスなバラエティ番組の “トホホネタ” として
扱われていたんじゃなかったっけ?

雑誌なんかでも、「文春」の記事ではなくて、
「女性セブン」とかの “のぞき見ネタ” であって、
美容院の片隅や自分の部屋に籠って、人目をはばかりながら
こそこそ読むようなもん
じゃなかったっけ?

そう、テレビや雑誌などの “流す側” には、
「他人のプライベートをこそこそ告げ口」するに等しい、恥というものがあったし、
観る・読むほうにも、そういう取るに足らないネタをおもしろがっている姿を
他人に見られたくないというくらいの、興味を持つには人として恥ずかしい類の
ネタだったはずだよね。

うん、痴話喧嘩の当事者以外には関係ないハナシなのだ。
人さまの家の中を盗撮や盗聴しているようなうしろめたい話題なのだよ。

だのに、「不倫はいけないこと」という、あったりまえの正論を楯にして
視聴率稼ぎのために大々的に誰かを非難
したりしてるテレビの報道番組って
マジでアタマが大丈夫かって思うのさ。

報道番組や記事を作っている人たちって、↓こんなことを考えているのかな?

●ニュースの使命は、世の中を倖せにすること
ほとんどの報道機関は、“他社に抜かれないこと” = スピード
を第一義としているよね?
それから、誤りのない “正しいこと” を報じることだよね。
その二つを死守しなければ、視聴率や売上を確保できないからだな。

でもさ、今回のベッキー不倫騒ぎで、“正論を、早く、大量に” 報道したおかげで、
誰かを倖せにしたんだろうか?
ベッキー側もテレビも雑誌も仕事が消えて、スポンサーはコストが増えて、
ファンは腹が立ち、僕らはイスラム・アラブの勢力図の変化や
バラバラ殺人の社会性について考える貴重な時間を失っただけじゃないの?

スピードや盛り上がりばかりにとらわれて、
社会的な影響力をなんも考えないで報道
してるよね。
そういうのを垂れ流しっていうんだよ。
仕事って、「内よし、外よし、世の中よし」をもって成功と言えるんだよ。

●「順番」、「量」、「頻度」の持つ意味
テレビ番組でも、新聞でも、雑誌でも、時間やスペースって限られているよね。
だから、全体のキャパに対する割合って、そのニュースの重要度を
表わしているはずだろう。
それから、順番ってのもあるし。
新聞の紙面だって、重要なものが1面に載るんだよね?

ならニュース番組で、アタマっから何分も流せば、それはこの日本や世界を
幸せにするために最も重要なニュース、ってことになるんじゃないの?
それが、「ベッキーの不倫はいけないこと」という情報なんだろうか?

さらに、それが毎日毎日続けられれば、
「ベッキーは、社会や世界を揺るがすほどのとんでもなく悪いやつ」、
「不倫は、ISの活動なんか足元にも及ばない、とんでもない大罪」、

ってことになりゃしないか?

僕らみたいなある年齢以上の大人は、芸能人の不倫ゴシップなんて
美容院のゴミを増やすだけのことって知っているからいいけど、
子供たちはどう思うんだろう?

一事が万事、そんなニュースばかりをスピード優先で流しているから、
子供たちは大人を信用していないし、社会はめちゃくちゃで
JKは全員援交してるし、街はすぐに彼女を殺すストーカーにあふれているし、
景気はどん底で、明るい未来なんてないって思っているし、
だから貯金が大切で、車も免許もいらないし、結婚・出産なんてとんでもないし、
身を粉にして働くつもりもない、ってことになってんじゃないの?

報道が世論や世情を作る、ってよく言われるけど、
昨今はロクな作り方してないんじゃないか? ってことさ。



◆ヒステリー集団がマスメディアのライバル


じゃ、なんでテレビは、芸能ゴシップネタをニュース番組のトップで
流すようになったんだろう?

それは、元々「大衆の興味にマッチしたネタを、他局より早く、
少なくとも遅れずに流さなければ、チャンネルザッピングをされて、
視聴率が下がる」= スポンサード価値が下がる = 食べていけなくなる
という、民放テレビ局の性というか宿命みたいなものを
捨てられないからだろうね。

でも、近年の「くだらなネタ垂れ流し」のひどさは、
やっぱりインターネットの発達のせいなんだろうね。
中でもSNSの一般化のせいじゃないかな。

SNSは、“誰でも、いつでも”、“自由な意見や情報を”、“すぐに発信・交換”
できるもので、それによって便利で助かることも多くなったんだろうけど、
“(ほぼ)匿名で” というのが大きな問題を生んでる気がするなあ。

匿名のやつが好き勝手なことをのたまうのは自由だし、
それに対して匿名のやつが好き勝手な意見を言うのも自由だろ。
でもさ、そもそも、短い文章で誤解のないように自身の意見を伝えるなんて
ものすごく難しいことなのに、みんながどんどん誤解を生ましめて、
どんどん誤解を生む賛否両論を返信してんじゃないの?
だから、何が本来の文脈で、何がホントのことなのかなんてわからない、
まったくめちゃくちゃなコミュニケーションが行なわれているんじゃないの?

テレビ局をはじめとするマスコミは、そんなめちゃくちゃな現象を
数量だけで判断して、視聴率や評判のために迎合しているんだと思う。
そもそも、匿名の人騒がせな輩のやっていることなのにさ。
匿名である限り、言ってることの信憑性や目的の公正さなんて
アタマっから疑ってかからなきゃならない
のに、
視聴率アップのためのポイントだとして鵜呑みにしてるんだろうね。

これが、「不倫はいけないこと」みたいな、すごくあたりまえな
誤解の生まれようのない正論の大集合ってなことになると
もっとタチが悪いと思う。

極々あたりまえな、「不倫っていけないんじゃないの?」というつぶやきでも、
それが数百万人の人が言えば、「不倫はとんでもなく極悪なこと」、
「やったやつは絶対に許してはいけない、厳罰に処すべき」って
勢いを持つことになる
んじゃないのかな?

そういうのをNHKは「非寛容社会」と言ってるんだろうけど、
昔の言葉でいうと「集団ヒステリー」のことだよね。
「いじめ」のメカニズム。
わかりやすい正論を掲げて、ものすごい数の人が賛同したり
活動を共にしたりすることって、コワイことだよね。

しかも、SNSなんだから、それが早く、大量にできちゃったりするわけだ。
すぐにやれるということは、数百万人の人だって一時の間違いを犯す
可能性も高まるわけだよ。

SNSのなかった時代のことわざに、「怒っている時に、手紙を出すな」
ってのがあるんだけど、わかるよねぇ。
アタマがかっかしてる時にモノを言えば、何かを誤って取り返しのつかないことになる
という教訓だよね。
ネット時代のいまにこそ、ぴったりのフレーズな気がするなあ。

つまり、テレビ局の視聴率戦のライバルは他局じゃなくなっていて、
ネットの一部で生産されている、集団ヒステリーということだよ。
テレビは匿名のヒステリー集団に番組を作らされていて、
そういう人たちと一緒になって個人をいじめている
ということ。

だから、テレビでベッキーが叩かれるのを観てて不愉快な気持ちになるんだよ。
僕は、ベッキーさんの特別なファンでもないし、不倫を肯定するつもりもないんだけど、
ネットで成長する「正論を叫んで、ちょっとでも悪いやつを徹底的にやっつけろ」的な現象や、
それを増長させてメシを食おうとしてるテレビには、マジでイヤな気分にさせられるわー。

まともな人間って、「恥ずかしい報道を恥ずかしげもなく観て、
いちいちSNSで恥ずかしげもなく意見を言ったりする」なんてことは
やらないはずだから実数がわからないけど、
僕みたいに思っている人って、けっこういるんじゃないのかなあ。



◆ピンボケ正論を叫んで大衆扇動


舛添東京都知事に関する報道も、すごく似た理由で不快感でいっぱいだった。

そりゃね、この世知辛い時代に都民の税金をムダ遣いするなんて許されないし、
ましてや着服するなんて犯罪以外の何ものでもないけど、
誤解を恐れずに言わせてもらえば、僕はそれくらいのことは、まあいいか
って思ってんだよ。
ただし、都知事がその使ったお金以上の便宜や利益を都民にもたらせばのハナシだよ。

政治家って、いろんな団体や人から任意にお金をもらっちゃいけないことに
なっているけど、そんなのもらっちゃってもいいんじゃないかと思っている
くらいなんだよ、僕は。

ただし、内緒でじゃなくて企画費とか活動推進費とかちゃんと件名を立てて計上して、
税金を払って、そのお金を使って、“お値段以上” の世の中の足しになることを
がっつり実現すればのハナシ。

そう、政治家って、いろいろな汚れ仕事や危ういことに関わるハメになっても、
世のため人のためになる理念や公約にまい進・実現して、多くの有権者に便宜を
もたらす人のことを言うんじゃないか、って思っているんだよね。
いろんな無茶な頼まれごとをされたり、いろんな陰謀とかにハメられたり
するもんだからさ。

僕が言っているのは・・・
① 質素・倹約で、世のためになることをする
② ムダ遣いをするけど、それ以上の世のためになることをする
③ 私利私欲に固まっていて、何もしない
・・・の3タイプの政治家がいるとしたら、②までは許したいという意味。

舛添知事が、③だという審判が下されて引きずり降ろされたのならそりゃ当然だけど、
今回の報道では、舛添知事が「何もしない」ということを追求していたようには
見えないよね。
本人が、「東京を世界一の首都にする」と言っていたのに、
その具体的な内容を探ろうともしていない。
ただひたすら、ムダ遣いのことを責めていたよね。

それが、ベッキー叩きと同じで、「あたりまえの正論を声高に掲げて、
集団ヒステリーを増長している」
と感じる理由なんだよ。
政治家を糾弾して辞めさせるホントのポイントと焦点がズレているのに、
誰も否定できない正論をでっかく掲げて、集団でいじめをやっているように見えるんだよ。

僕に言わせれば、あたりまえの正論を鬼の首でもとったかのように拡声して叫んで、
他人のことをとやかく言うやつが一番信用できない
んだよ。
あまりに偏った報道ばかり。
僕は、舛添さんの特別なファンでもないし、
政治家の汚職を容認するつもりもないんだけどね。

舛添批判をした政治家やメディアの報道系部署に勤めてる人たちは、
自分の悪事を、他人を責めることでカモフラージュしてるんじゃないのかい?
あの雑誌社やテレビ局は、何らかの勢力に加担して、
それこそ私利私欲を満たしているんじゃないか? って、疑いたくなるのは僕だけかなあ?
言い出しっ屁が、一番クサイって言うからさ。



不快な文句を読ませてしまって、すみませんでした。
でも、今回ばかりのことではなくて、
マスコミ、特にテレビに対して何年も前から感じている憤りなので、
一生に一度くらいは書いておこうと思った次第です。
ホントすんません。



さてさて、お口直しに冷たいビールでも飲みながら、
楽しい映画でも観ましょうやー。






♪ 悲しきレイン・トレイン / チューリップ





♪ Can You Stop The Rain / Grover Washington Jr.





♪ Walk Between Raindrops / Donald Fagen




消えたデータはどこへ  


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きのうの朝、つまんない夢をみたよ。

日数で4日、なんだかんだで30時間くらいかかって仕上げた企画書を
キー一つ押すだけで、削除してしまったんだよ。

ドキッときて、ギョェーッ!
っと、びっくりしたら目が覚めた。
(ほら、つまんねー)



ああ、夢でよかったあ、なんて思うと同時に、
まだ寝ぼけた頭の中に、妙な考えがさわさわと降りてきた。

削除してしまったデータは、どこへ行ってしまったんだろう。
あんなに苦労して作ったデータ。
膨大な文字数というだけでなく、この仕事を始めてから得てきた
たくさんの経験や知恵や情報が詰め込まれたデータ。

そのデータが持つエネルギーは、僕の労力だけでなく、
僕が学んだ知識やノウハウを生み出した人の労力も加えたら、
とんでもない大きさになるんじゃないか。

そのエネルギーを数値にしたら、どれくらいなんだろう。
それを、たとえば石油に置き換えたら何リットル?
企画の説明に添えるためにデザイナーに頼んで書いてもらった
イラストやフローチャートを書くエネルギーや、
カメラマンが写真を撮ったエネルギーだって加える必要があるだろう。

それらが、キー一つ、ペッで音もなく消えてしまう



いやいや、データの消去ってなんてあっけないんだろう、とか
労力が大きかったのでめっちゃ悔しい、とかって言いたいんじゃないんだよ。
そのでっかいエネルギーは、どこへ行ったんだろう、って疑問。

質量保存の法則とか、エネルギー保存の法則ってのがあるよね。
厳密には、インプットとアウトプットが必ずしもイコールではないらしいんだけど、
注いだエネルギーは、たとえ消したとしても、何かに変換されたりして
注いだと同じくらい残るはずなのだ。

古代人は、岩の壁に文字や絵を描いたりした。
それを消去しようとすれば、壁を削ったり岩を砕いたりする
エネルギーが必要になるよなあ。

紙に書かれた文書を燃やしたりするのだって、
みんながやれば、地球の気象が変わってしまうくらいのことが起こるだろ。

でも、デジタルデータは、ペッ、でおしまい。
そら、磁力だか電気だかの1/0の点点点点・・・の集まりだから、
ペッで消えるんだろうけど、
そもそも、磁力ってそんなに簡単に消せるものなんだろうか



とてつもない労力や英知や感性なんかを生み出したエネルギーが、
何の跡形もなく、何の変動も起こさず消えるわけがない。
ペッで消去したエネルギーは、
どこかでなんかのカタチになって溜まっているんじゃないだろうか
って思ってしまう。

このままパソコンやテレビやカメラやスマホを使い続けたら、
人類はいつかどこかで、捨てて溜まった巨大なエネルギーに
突然遭遇するんじゃないだろうか・・・




・・・なんて、SFな目覚めの朝だった。
大腸内視鏡の先っぽが頭まで届いて、脳みそを突っついたかなあ。



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♪ 地球は狭くなりました / Off Course




神さま、もう地震や津波を起こさないでください・・・?  


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仕事で移動中だったので14:46にできず、さっきやっと黙祷できた。

その後、
ケフコタカハシさん「鬚禿観察日記ヒゲハゲカンサツニッキ」
の記事を読ませていただいて、ちょっと考えさせられたよ。

僕らは、8月15日にも黙祷するよな。
目をつぶって想うことといえば・・・

① 亡くなった方の冥福を祈る
② 国や国民のために戦ってくれたことに感謝またはお詫びまたは悲嘆する
③ 二度と戦争が起こらないことを祈る(起こさないことを肝に銘じる)


・・・ってところだと思う。

①は、故人のために想うことであって、ホントなら親族や知人だけがすることだよね。
でも、②や③があるように、故人が個人であっても、
戦争は社会的なことだから、赤の他人でも “われわれの社会のやらかしたこと” として
黙とうするんだよね。

じゃ、3.11については、何を想いながら黙祷するんだろう?
もちろん、亡くなった方々の不運に哀悼の意を表して、冥福をお祈りするよね。
でも、②や③の社会性となると・・・すっきり見当たらないなあ。

地震や津波が起こらないことを自然の神様に祈る?
それもアリかもしれないけど、「黙祷」とは少し意味が違うのでは?
別の儀式を行なってやればいい。

よりいっそう防災に力を入れることを誓う?
もう二度と津波が来るようなところに住まないことを誓う?
それも、黙祷とは違うよね。
行政や個人の問題だよね。



日本人って原始人の時代から、地震や津波に見舞われ続けてきたんだよな。
その度に、故人の冥福と自然の神に祈り、
先人の知恵や希望にパワーをもらいながら、がんばって、がんばって「復興」させ、
さらには、それまで以上の「発展」をモノにしてきたんだと思う。
それが地震列島にある日本の “民俗” なんだと思う。
ノスタルジックな気分だけで言うと不謹慎だと怒られるけど。

でもね、今回は違うぞ。
古代から続いてきた復興と発展の民俗スタイルとは違うんだよ。
今回は・・・
どんなにがんばっても、一生、「復興」も「その後の発展」も
ままならないエリアができてしまったし、
自然の神様のしわざだけじゃない、
僕らの社会のせいで発生した災いもある
んだから。

つまり今回は、「黙祷」する時に、故人の冥福をお祈りすること以外に
もう一つ想うべきことがある
ということだ。

それは・・・
「二度と原発事故を起こさないことを肝に銘じる」ことじゃないのかな?
「どうやったら、二度と原発事故を起こさないで済むのか考える」ことでは?



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♪ BECAUSE / LETTERMEN





♪ Your World My World / Albert Hammond




五輪大会章盗作問題独断的解釈  


2020年東京五輪のエンブレムの盗作問題。
新聞やテレビの報道を見ていたら、かなりもどかしいので、
僕なりの判断を下してみたよ。

これでも一応、プロのはしくれだからね。(汗)





■どんなことしても、似るのだ


たとえばキミに、「クマのキャラクターイラストを描いてほしい」
という依頼が来たとするよね。

キミは、100案考えたとする。
それをもって僕は、その100案のうち100案全部が
この世のクマキャラクターイラストのどれかにそっくりだと断言できるなー。

つまりね、そういう図案のたぐいって、
まったく純白無垢のアタマで考えたって、
世界中にはそっくりなものが死ぬほどたくさんある
、ってこと。

そもそもデザインのたぐいって、
それを見る人とのコミュニケーションをはかるのが目的だから、
まったく新しいものって表現になりにくいものなんだよ。
見る人の先天的な琴線や、経験などから得た後天的なひな形と接触するから
「あー、かわいい」とか「かっこいい!」とか「なるほどー」とか共感できる
んだな。

まったく新しいものを追求することの多い、ピュアアートの前衛的な作品だって、
見る人の感覚や記憶のどっかの部分と共振できるものが「いいねー」って言われて、
ホントにまったく新しいものは「なんだこりゃ、全然わかんねーや」ってことになるよね。
だから、ピュアアートの作品って、時代の感性が追いつくのに何十年もかかって
作者が死んでしまってから、やっと高い評価を受けたりすることがあるんだな。

つまりリアルタイムに理解できる表現物って、宿命的に “どっかで見たことのある”、
“何かに似ている” ものになる
もんなんだな。
それは、エンブレムだって、着物の柄だって、車のフォルムだって、
音楽だって、食い物の世界だって同じ。


だから、プロと呼ばれる人たちは、自分の作った図案が何かに似ていないか
少なからず調べるんだよ。
特許庁の商標のデータベースとか弁理士とか、広告代理店のデータベースや資料や、
国内外の図録集なんかを使ってね。

少なくとも、自分の作った図案の業種と同業種や類似業種については
かなりしつこく比較するんだね。
それから、もしデザインがかぶってしまってるのにその図案を使ったら、
その相手側にどんな損害を及ぼすかなんてことも想定したりもするね。

でもね、中には最初に自分のオリジナルを作りもしないで
いきなり図案のデータベースや資料集を眺め出すやつもいるんだな。
“かわいいクマのイラストを描く” というコンセプトだけをもって、
まず既製品の中からそのコンセプトに叶った作品を選ぶ。

それで、それをいじくって “似てないように” 加工する。
そう、これが “パクリ” だよね。

でもね、これはある意味、
①純真無垢で作る → ②類似した既成案がないかチェックする
の②を先にやっているだけのことと言えるかもしれないよね。
だって、表現したものは、須らく何かに似るんだし、
いずれにしても類似チェックをして、
そっくりなものは改変しなきゃならないんだから。

・・・してみれば、最も大事なことは、
その「クマのイラスト」がどんなプロセスを経て生まれたのかではなくて、
結果、“そのイラストが他のやつとそっくりかどうか“
ということだろう。

しかも、世界中の似ているものが比較対象ということであれば、
“酷似していなければ、パクったと判断できない” ということになるんだと思う。





■すごく似ているからって、盗作とは限らない


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国旗だよ。
日本のやつは、1871年に制定。
バングラデシュは、1971年。
パラオのやつは、1981年に制定。

そっくりだよね、日の丸が最も先行していたんだから、
日本は他の国に、「そっくりなものを作るんじゃないよ」って
文句をつけたりすることも可能だったはず。

でも、3カ国ともこれを使っているんだね。
ここに、デザインというものの
“パクリ問題を理解するヒント“ があると思うな。


①見た目が違う
配色が違うよね。
丸の大きさが違うし、配置も違う。
似てはいるけど、“酷似” とは言いきれない。

②意味(コンセプト)が違う
日本のやつは、“日の本“ で日(=天皇)の膝元、
“日いずる国” で、天皇が君臨する国という意味かな。
バングラデシュは、“緑の大地から日が昇る” = 独立 の意味。
パラオの丸は、“月” なんだそうだ。

③明らかな損害や利益が想像されない
もし、日本が極悪な戦争を始めたからって、
デザインが似ているという理由で、バングラデシュでの犯罪が激増したり、
パラオへの観光客が減ったりするなんてことはないよね。(消極的権利の侵害)
または、バングラデシュやパラオが、日本とそっくりな国旗を無断で使って
莫大な利益を挙げているとも考えにくいよね。(積極的権利の侵害)


・・・よってだな、これら3つの国旗のデザインは
“似てはいるけど、何も問題はない” ということができるんだろうな。
だから、文句つけや訴訟なんかが起こっていない(はず)。

つまりさ、上の①②③に著しく抵触しなければ、
"どんなに似ていても、パクってなどいない"、
"問題などない" ということになるんじゃないかと、僕は思う。





■パクリ魔だからって、これもパクリ?


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本題のベルギーの劇場のマークと五輪エンブレム。

上に書いた①~③に照らして考えてみよっか。

①見た目が違う
全然違うよねー。
●配色が似ても似つかない
●下部の文字の文言がまったく違う。(5色の五輪マークも含めて)
 (五輪エンブレムは文字と五輪マークを外して使うことはないはず)
●五輪エンブレムには、日の丸が入っている
●シアターのほうが、「T」の横棒が縦棒から離れている
どちらの「T」も、世界中で使われているフォントにもともと似ているものなので、
 当然似ているものになる(パクっていなくても)

●シアターのほうは、「T」の全体を円で囲み、「T」の内側にも円を感じさせるが、
 五輪エンブレムは「T」の内側にしか円を感じさせない。
 しかも、この円は '64年の東京五輪エンブレムの日の丸をイメージしたもので、
 シアターの円の意味とは異なる

②意味(コンセプト)が違う
シアターほうの「T」は「THEATRE」のTか?
五輪エンブレムのほうは、「TOKYO」、「TEAM」の「T」。
そもそもシアターのほうは、劇場の「商標」であり、
五輪エンブレムのほうは、商用はされるけど「会章」なのだ。

③どちらにも損害は発生しないだろう
五輪のほうは、このマークの付いたグッズや使用権で莫大な収益を得るだろう。
でも、それはベルギーのシアターの商標に似ているデザインの魅力で
グッズが売れるのではなく、オリンピックの公式エンブレムである、
という記念的な価値で売れる
んだろう。


★この場合の見た目の問題で大切なことは・・・
どちらのデザインも、「T」をモチーフにしていることなんだよ。
これはね、どんなことをやっても、Tである限り似てしまうのだよ。
だって、イニシャルとしてのTをデザインしたものなんて、
世界中に星の数ほどあるんだよ。

しかも、この両方ともに使われている「T」のカタチは、
世界中の人が使うフォントに似ているものがいくらでもあるんだよ。

つまり、このTのデザイン類似性を取り沙汰するのは、
「朝日新聞の本文書体と読売新聞の本文書体って、そっくりだよな。
どっちかがどっちかのやつをパクッたんだろう」
って言うのと同じくらいナンセンスなことなのだ。

だから、「T」のカタチをもってしてパクリかどうか判断するのは無理ということ。
この二つのデザインに似たマークなんて、たぶん数えきれないほどあるよ。
それを挙げれば、ベルギーのデザイナーは訴訟に大忙し、ってことになるんじゃないかな?


★五輪エンブレムは、安易に「T」をモチーフにしたのがそもそもの間違いということ。
その時点で、Tがイニシャルである世界中の会社や商店や個人から
わいわい文句や権利主張が出ることを想定しなきゃならなかったんだよ。

ここで大切なことは、②の意味の違いだと思う。
あのTは「TOKYO」のTだとか、「TEAM」のTだとか言っているからだめなんだよ。
そのTOKYOは “オリンピック開催で、何をめざすのか“、
TEAMとは “どう解釈して、何を世界にアピールするのか” をカタチに
しなくちゃさ。

たとえば、“日本は、オリンピック開催で「復興」の足がかりをつくる”
というコンセプトにしたとする。
「復興」だから、毎年必ずやってくる「春」だ → 「桜」、「つくし」、「朝日」、
「福島の春の風物詩」なんてどうかな・・・
ってな具合で抽出して、“ 日本らしいタッチで、復興のイメージをはっきり感じさせるもの “
をデザインすれば、独自性も出しやすくなるし、もし何かの図案に似ていたとしても、
意味が全然違うという説明もしやすくなるよね。

デザインって、元々記号であるイニシャルみたいなものをさらに記号化するもんじゃなくて、
カタチのない、みんなの “想い” を記号化するもん
なんだよ。

なーんも考えないで、世界中に存在する「T」をモチーフにしといて、
「こちとら天下のオリンピック様、もしどっかのマークに似てたとしたら、
そりゃ、あっち側の名誉になったとしても、文句なんて出るわけねーだろ」とか、
「五輪のエンブレムに似てるからって、何か損が発生する?
逆におたくのマークが目立っちゃって、けっこうな得が生じるんじゃないの?」
・・・なんて五輪組織委員会が構えていたとしたら、あまりにもお粗末。

そんなんだから、見たこともないようなベルギーの劇場のマークを
パクったって訴えられるんだよな。


で、ちょっと考えさせられるのが、
ベルギーのシアターのマークをデザインしたデザイナーの訴えの内容。
彼は、損害を主張しているんじゃなくて、
"積極的権利の主張" というやつをしているんだね。
「オレが考えた意匠を使って利益を得るんだから、オレにも分け前を寄こせ」ということ。

でもさ、①と②の通りなんだから、その言い分は通らないだろ。
パクっていると判断できないんだから、オレのデザインもへったくれもないでしょ。

つまり、あのベルジャンは日本の五輪・パラリンピック組織委員会を
ゆすっているということだね。
そりゃ、裁判に勝てれば莫大なロイヤリティを得るだろうし、
「まあまあ、そんなこと言わないで、これでなんとか」って、
示談金でも稼ごうと思ったんだろうか?

日本側は意外にも、争わず、示談金も払わず、
あのデザインを取り下げるというテに出て、
「東京都は1億うん千万円も損害を出しました」って報道して
あのベルジャンを脅しに出たんだなー。
ベルジャンが裁判に負けたら、払うハメになるかもしれない金額だよね。

僕も、「お、うまい作戦を考えたな」って、思ったけど、
ベルジャンは訴訟を取り下げない、ってまだ言ってるね。
どこからそんな自信がやってくるんだろうか。




■最も大切なのは、意味


003原案比較.jpg

五輪の準備委員会が出してきた「原案」と、
これのパクリではないかと挙げられた作品。
タイポグラフィ・アーティストの展覧会会場のフラッグかな。

うひょー、これはそっくりだよね。
これは、パクったかもしれないねー。
違うのは丸の色くらいに見えるね。

でもね、これも上に書いたことと同じ・・・


①見た目が違う
●Tの横棒の三角の大きさが違う、色も違う
●Tの縦棒の太さが違う
●右下の丸の色が違う、位置も違う
五輪エンブレムのほうは、文字と五輪マークも付帯してる
●そもそもどちらも、「T」のデザインが既成のフォントのままに近いものであり、
Tのカタチについては、どちらともオリジナリティが低く、
類似性を問うことはできない
(似てるに決まってる)

004フォント.gif
既成のフォント「Waddem Choo(=フォントの名前)」

②意味(コンセプト)が違う
●展覧会のほうはアーティストの "苗字のイニシャルのT" と "ピリオド"
●五輪エンブレムのほうは、"TOKYO" と "TEAM" だかのT。
しかも赤い丸は、日の丸の丸。

③明らかな損害や利益が想像されない
●展覧会のほうのデザインは、展覧会が終わった後の今後も使われるとは考え難いので、
五輪エンブレムのデザインがアーティストに損害をもたらすとは思われない
●五輪エンブレムは莫大な利益を生むイベントのしるしとして使われるが、
①の理由で盗用性を問い難いので、積極的権利の主張は成立しない


・・・ということだよね。
しかも、大切なことを忘れてはいけない。
これは、原案のハナシで決定案ではないんだから、
まったくの余談だよね。

五輪エンブレムのデザイナーの吊し上げの一端なんだろうな。
デザイナー氏や広告代理店のH社は、よほど何かの恨みをかっているんだろうか?
ネット社会の透明性と残酷性がよくわかる一件だよね。

まあ、この辺はかばってあげるべきだと思うな、
H社や佐野氏に何の義理もないけどさ。





■次にエンブレムを選ぶのは、めっちゃ大変だな


組織委員会は、佐野氏デザインのエンブレムを取り下げてしまったよね。
なんでそんなことをしたんだろうと思う。
「デザインは決して盗用したものではないけど、国民の理解が得られない」
という理由だった。

これは良くないよね。
日本人は、「ケチがついたんだから、選びなおせばいい」って
考える人が大半なんだろうけど、世界中の国々の人は、
「日本人はまじめに仕事をする国民性なのに、デザインを盗用しちまっただとよ!」
って思っていると思うよ。
きっちり争って、「あれは盗用ではない」って世界中にアピールするべきだったのでは?

だいたい、「国民の理解が得られない」とは、どういう意味だろう?
僕がここで説明したようなことを理解できない、と言っているのだとしたら
国民様をひどくバカにしてやしないか。

佐野氏の盗用事例が次々と挙げられてしまって、
不信感とケチつき感でいっぱいのエンブレムを使い続けることを
国民は理解(納得)できない、と言っているのだとしたら
あまりにもファジーな判断じゃないだろうか。


「次は、国民自由参加で応募させよう。選定はネットで国民投票にしよう」
なんて声も上がっているようだけど、それで "パクリ問題" が解決するのかな?
それは、「国民の理解が得られない~その2」の解決策であって、
“デザイン盗用さわぎ” の解決策にならないよね。

それどころか、“デザイン盗用さわぎ” の増大策になるんじゃないの?
だって、類似比較する機能を徹底できない人たちが、
思いつくままの図柄をごちゃまんと応募してくるんだよ。
そりゃ、どんなにすごいチェック機能を用意したからって、
ものすごく時間がかかることになるし、
またパクリさわぎが起こる可能性が高まるだけだよね。

まあ、いかように応募&選考しても、さらに激しく類似性のチェックを
しなきゃならなくなったことに変わりはないけど。


・・・ということで、今後とても大切になるのは以下の2点じゃないだろうか。

1. 徹底的にデザインの類似性をチェックできる機能を構築する
2. もし訴訟が発生したら、必ず勝てるハウトウを構築する


当然、それくらいやってるはずだけど、
もし事が起こってまごまごするようだったら、ただのアホだよねぇ。

その時は、エンブレムなんて、↓これでいいじゃん。
(東京独自のシンボルマークをトル)

005マークなしデザイン.gif







“ Harold's House of Jazz ” / Richie Cole & Eddie Jefferson


サイコー!!シャバダバダ、ってやるやつ、リバップって言うんだよ


他国の国益を守るために、死ぬことになるかも  


あんまり政治的なハナシで盛り上がりたくないんだけど、
今回ばかりは、かなり歴史的な出来事だと思うので、
現時点での自分の考えを確かめるためにも、少し勉強しておこうと思ったんだよ。

それは、「国家安全保障基本法案」について。
やれ、憲法9条に違反するとか、戦争が始まるぞとか、徴兵されるぞとか、
かなりやばいハナシがよくわからないうちに進んじまっている、って感じだよね。



■「国家安全保障基本法案」ってなに?


自民党が3年前に出した法案の概要に、自分なりの注釈を入れてみたよ。

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国家安全保障基本法案 (概要)


平成24 年7 月4 日

第1条 (本法の目的)
本法は、我が国の安全保障に関し、その政策の基本となる事項を定め、国及び地方
公共団体の責務と施策とを明らかにすることにより、安全保障政策を総合的に推進し、
もって我が国の独立と平和を守り、国の安全を保ち、国際社会の平和と安定を図るこ
とをその目的とする。

この法律は、日本の独立と平和と安全、
世界の平和と安定をはかるために制定する、ということだよね。
「国際社会の平和と安定を図る」というのが、余計なお世話じゃないの?
決まれば、政府はもちろんあらゆる官公庁は、具体的な施策と責任を負うことになる。



第2条 (安全保障の目的、基本方針)
安全保障の目的は、外部からの軍事的または非軍事的手段による直接または間接の
侵害その他のあらゆる脅威に対し、防衛、外交、経済その他の諸施策を総合して、こ
れを未然に防止しまたは排除することにより、自由と民主主義を基調とする我が国の
独立と平和を守り、国益を確保することにある。

日本の独立や平和、国益が脅かされる時は、軍事はもちろん話し合い、経済制裁など
いろんな方法を投じてそれをやめさせる
、ということだよね。
ここでのポイントは、「国益」という言葉だと思う。
これは、独立や平和だけでなく、たとえば「株価が下がる」みたいなことも含めたら
日本が戦う機会はかなり増大化する
ということだよね。

ここでいま、“自衛” とは何かが問われていると思うな。
自衛隊が発足した頃の自衛とは、たぶん、外部からもたらされる “武力” に対する
防衛という限定的な意味だったと思うけど、
今回は、“経済・国益” とか “情報” というような意味も含まれているような気がする。
その分、戦闘参加の機会も拡大するんじゃないだろうか。



2 前項の目的を達成するため、次に掲げる事項を基本方針とする。
一 国際協調を図り、国際連合憲章の目的の達成のため、我が国として積極的に寄
与すること。

国連憲章にきちんと則る



二 政府は、内政を安定させ、安全保障基盤の確立に努めること。

内乱が起こったりしたら、軍が制圧することもあるということかい?



三 政府は、実効性の高い統合的な防衛力を効率的に整備するとともに、統合運用
を基本とする柔軟かつ即応性の高い運用に努めること。

すぐにでも出動できる戦闘体制を整える、ということだよね。
しかも、「統合的」というのがよくわからない。
国内のことだとしたら、あたりまえのことだけど、
アメリカや韓国などとの連携のことか?



四 国際連合憲章に定められた自衛権の行使については、必要最小限度とすること。

「必要最小限度」なんてあやふやな言葉だよね。
日本の主要都市を無差別に徹底的に空爆し、沖縄を焼き尽くし、原爆を何発も落とすのを
アメリカは当時、「やり過ぎだ」と思いながらやったのかな?



第3条 (国及び地方公共団体の責務)
国は、第2条に定める基本方針に則り、安全保障に関する施策を総合的に策定し実
施する責務を負う。

政府が施策を立てる、ということだよね。



2 国は、教育、科学技術、建設、運輸、通信その他内政の各分野において、安全保
障上必要な配慮を払わなければならない。

軍事や外交だけでなく、あらゆる分野に対して政府が指図する、ということでしょ。



3 国は、我が国の平和と安全を確保する上で必要な秘密が適切に保護されるよう、
法律上・制度上必要な措置を講ずる。

ものによっては、国民に秘密で行う施策もあるぞ、ということかな。



4 地方公共団体は、国及び他の地方公共団体その他の機関と相互に協力し、安全保
障に関する施策に関し、必要な措置を実施する責務を負う。

あらゆる官公庁は、この法律と決められた施策を実行する義務がある、ということ。
反抗や謀反は許さんぞ、ということだろう。



5 国及び地方公共団体は、本法の目的の達成のため、政治・経済及び社会の発展を
図るべく、必要な内政の諸施策を講じなければならない。

意味がよくわからないねぇ。
いざ有事の時のために、命令系統はじめ具体的な施策、ITの整備、
道具や施設の建設などを民間と協力して、いまから進めなさい

と言っているように読めるけど。



6 国及び地方公共団体は、広報活動を通じ、安全保障に関する国民の理解を深める
ため、適切な施策を講じる。

「適切な施策」というのが曲者だよね。
僕には、場合によっては情報を伏せたり、プロパガンダも必要だ、と読めるよ。



第4条 (国民の責務)
国民は、国の安全保障施策に協力し、我が国の安全保障の確保に寄与し、もって平
和で安定した国際社会の実現に努めるものとする。

厳格な言い方ではないけど、国民はこの法律や決議の施策に反すれば違法となる
ということだね。



第5条 (法制上の措置等)
政府は、本法に定める施策を総合的に実施するために必要な法制上及び財政上の措
置を講じなければならない。

この法律や施策に反すれば、罰則を与えるとか、有事課税や財産没収など
ネガティブな強制
を想像するのは僕だけかなあ。



第6条 (安全保障基本計画)
政府は、安全保障に関する施策の総合的かつ計画的な推進を図るため、国の安全保
障に関する基本的な計画(以下「安全保障基本計画」という。)を定めなければならな
い。

政府が計画を立てる、ということ。



2 安全保障基本計画は、次に掲げる事項について定めるものとする。
一 我が国の安全保障に関する総合的かつ長期的な施策の大綱

不勉強で申し訳ないけど、これはもう進んでいるのだろうか?
この法案が通ったら、のハナシかな。



二 前号に掲げるもののほか、安全保障に関する施策を総合的かつ計画的に推進す
るために必要な事項

“基本法” より、こういう実際の施策のほうがやばかったりするよね。



3 内閣総理大臣は、前項の規定による閣議の決定があったときは、遅滞なく、安全
保障基本計画を公表しなければならない。

あたりまえ。



4 前項の規定は、安全保障基本計画の変更について準用する。

“決定” だけでなく、“変更” した時も、公表するということだよね。
でも、「第3条の6」を使って、“隠す” という “適切な施策” をとることも
ありうる
ということだよね。



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
別途、安全保障会議設置法改正によって、
・安全保障会議が安全保障基本計画の案を作成し、閣議決定を求めるべきこと
・安全保障会議が、防衛、外交、経済その他の諸施策を総合するため、各省の施策を
調整する役割を担うこと
を規定。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「安全保障会議」というのが設置されることが付加されているね。
「安全保障会議」が施策を立案して、行政各省のやることに口出しする、
という意味でしょ。



第7条 (国会に対する報告)
政府は、毎年国会に対し、我が国をとりまく安全保障環境の現状及び我が国が安全
保障に関して講じた施策の概況、ならびに今後の防衛計画に関する報告を提出しなけ
ればならない。

軍事活動やIT戦争、経済戦争などに関して、毎年、国会の議題になるということだね。



第8条 (自衛隊)
外部からの軍事的手段による直接または間接の侵害その他の脅威に対し我が国を防
衛するため、陸上・海上・航空自衛隊を保有する。

これは、「間接の侵害その他の脅威」というのが曲者だよね。
たとえば、「アメリカがその戦争で負けた場合、沖縄が敵国に奪われる」
という状況になっていたとしたら、日本も戦うということになるわけだよな。
たとえ、アメリカが多分に侵略的色合いの濃い戦争を敵国にしかけたのだとしても、だ。
もちろん、侵略戦争に手を貸すのか?って国会などで問題になるだろうけど、
そんなことは、事が起こった時の空気やその他の利害などで、
なんとでも解釈が転がるんじゃないんじゃないかな。



2 自衛隊は、国際の法規及び確立された国際慣例に則り、厳格な文民統制の下に行
動する。

まあ、あたりまえだよね。
文民統制というのは、どんなに位が上でも下でも、自衛隊に属する人間は
自衛隊の行動を仕切ってはならない
、あくまで政治家から選ばれた防衛大臣や
総理大臣が仕切る、ということ。



3 自衛隊は、第一項に規定するもののほか、必要に応じ公共の秩序の維持に当たる
とともに、同項の任務の遂行に支障を生じない限度において、別に法律で定めるとこ
ろにより自衛隊が実施することとされる任務を行う。

自衛隊は、有事の戦闘以外の任務も行うということだよね。
これまでと同じように、インフラの土木工事や不明者の捜索・救助のことなんだろうけど、
「公共の秩序の維持」というのは、“国民の反動の制圧“ ということじゃないの?



4 自衛隊に対する文民統制を確保するため、次の事項を定める。
一 自衛隊の最高指揮官たる内閣総理大臣、及び防衛大臣は国民から選ばれた文民
とすること。

これも気になるなあ。
自衛隊の人や軍事的なレジスタンスの人なんかが戦力を指揮すると、
軍事国家になる可能性が高いということだけど、
内閣総理大臣や防衛大臣は戦闘に参加しない、というエクスキューズ
呈することにはならないんだろうか。



二 その他自衛隊の行動等に対する国会の関与につき別に法律で定めること。

これも、勉強しなくちゃ。
こういう下位法案のほうがやばかったりするんだよね。



第9条 (国際の平和と安定の確保)
政府は、国際社会の政治的・社会的安定及び経済的発展を図り、もって平和で安定
した国際環境を確保するため、以下の施策を推進する。
一 国際協調を図り、国際の平和及び安全の維持に係る国際社会の取組に我が国と
して主体的かつ積極的に寄与すること。

あたりまえに見えるけど、主体的かつ積極的に戦闘する場合もあることだよね。



二 締結した条約を誠実に遵守し、関連する国内法を整備し、地域及び世界の平和
と安定のための信頼醸成に努めること。

締結した条約が不当なものだったとしても、国を挙げて順守するつもりのなのか?



三 開発途上国の安定と発展を図るため、開発援助を推進すること。なおこの実施
に当たっては、援助対象国の軍事支出、兵器拡散等の動向に十分配慮すること。

これは、同盟国や親密な関係の国への軍事援助が含まれるよね。
武器を売ったりして、戦闘に参加させる可能性がうかがえるね。



四 国際社会の安定を保ちつつ、世界全体の核兵器を含む軍備の縮小に向け努力し、
適切な軍備管理のため積極的に活動すること。

実質的にこんなことは可能だとは思えないな。
日本の防衛上の戦闘力も、“軍備” と呼んでしまっているね。



五 我が国と諸国との安全保障対話、防衛協力・防衛交流等を積極的に推進するこ
と。

当然だけど、大きな戦争になりそうでこわいよな。



第10条 (国際連合憲章に定められた自衛権の行使)
第2条第2項第4号の基本方針に基づき、我が国が自衛権を行使する場合には、以
下の事項を遵守しなければならない。
一 我が国、あるいは我が国と密接な関係にある他国に対する、外部からの武力攻
撃が発生した事態であること。

この辺がずっともめている「集団的自衛権」のことだよね。
たとえば、アメリカが中国と戦うとして、その時は、密接な関係にある日本は、
日本にも火の粉がかかりそうな場合は一緒に戦う、ということだ。
たとえ日本が直接的に攻撃されなくても、たとえアメリカが不当に仕掛けた
戦争だとしても
だ。
もちろん問題ありの場合は、国会で話し合うことになるだろうけど、
先にも書いた通り、判断はその時にならないとわからないだろうな。



二 自衛権行使に当たって採った措置を、直ちに国際連合安全保障理事会に報告す
ること。

これは実質、日本の軍事行動はアメリカの管理下にあるという意味だな。



三 この措置は、国際連合安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持に必要な措
置が講じられたときに終了すること。

停戦条約などが結ばれたら戦争は終わり、ということだけど、
アメリカを長とする国際連合安全保障理事会が停戦に関与するということ。
つまり、アメリカが敵とする国とは、停戦しても日本は平和を希求して
手放しで仲良くすることができないだろうということがわかる。



四 一号に定める「我が国と密接な関係にある他国」に対する武力攻撃については、
その国に対する攻撃が我が国に対する攻撃とみなしうるに足る関係性があること。

これは、日本の物質に対する攻撃だけでなく、国益に対する攻撃と判断されれば、
なんでもかんでも協力する、と解釈することもできる
よね。



五 一号に定める「我が国と密接な関係にある他国」に対する武力攻撃については、
当該被害国から我が国の支援についての要請があること。

そりゃ、そうだ。



六 自衛権行使は、我が国の安全を守るため必要やむを得ない限度とし、かつ当該
武力攻撃との均衡を失しないこと。

何を言っているのかな?
相手を全滅させたり、東京空爆みたいに隅から隅まで人を殺したりしてはならない
ということだろうけど、それって戦争を長引かせるだけでは?
敵より武力による脅威が上回った時に戦争は終わるんでしょ。



2 前項の権利の行使は、国会の適切な関与等、厳格な文民統制のもとに行われなけ
ればならない。

当然だろう。



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
別途、武力攻撃事態法と対になるような「集団自衛事態法」(仮称)、及び自衛隊法
における「集団自衛出動」(仮称)的任務規定、武器使用権限に関する規定が必要。
当該下位法において、集団的自衛権行使については原則として事前の国会承認を必
要とする旨を規定。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「集団自衛事態法」や自衛隊法における「集団自衛出動」(仮称)的任務規定、
武器使用権限に関する規定、というのを知らないといけないな。
さっきも述べたように、こういう細かな法律や規定の方が危険なんだよ。



第11条 (国際連合憲章上定められた安全保障措置等への参加)
我が国が国際連合憲章上定められ、又は国際連合安全保障理事会で決議された等の、
各種の安全保障措置等に参加する場合には、以下の事項に留意しなければならない。
一 当該安全保障措置等の目的が我が国の防衛、外交、経済その他の諸政策と合致
すること。

アメリカを長とする国際連合が何をやらかすか知らないけど、
日本は日本の国益を保障するための戦い以外はやらない、ということだろうけど、
それ以外のことなんてあるんだろうか?



二 予め当該安全保障措置等の実施主体との十分な調整、派遣する国及び地域の情
勢についての十分な情報収集等を行い、我が国が実施する措置の目的・任務を明確に
すること。

ここまで来て、どんな場合でも、やっぱり土木工事だけの後方支援だけ、
というのはなさそうに感じるけどなあ。



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
本条の下位法として国際平和協力法案(いわゆる一般法)を予定。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

この法律で、なんでもかんでも協力するのは防げる可能性もあるけど・・・。



第12条 (武器の輸出入等)
国は、我が国及び国際社会の平和と安全を確保するとの観点から、防衛に資する産
業基盤の保持及び育成につき配慮する。

すごい言い回しだけど、わが国の平和・安全を守るために必要なら、
武器や戦闘技術の輸出入もする
よ、ということだよね。



2 武器及びその技術等の輸出入は、我が国及び国際社会の平和と安全を確保すると
の目的に資するよう行われなければならない。特に武器及びその技術等の輸出に当た
っては、国は、国際紛争等を助長することのないよう十分に配慮しなければならない。

「武器及びその技術等の輸出入」が、「国際社会の平和と安全を確保する」ことに
なるのだろうか?
「武器及びその技術等の輸出入」が、国際紛争等を助長しないことがあるのか?



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■憲法9条に合憲?


1. 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、
  武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2. 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。
  国の交戦権は、これを認めない。


↑これが、憲法9条の条文。

● 日本は政府が主導しようが、別の勢力が主導しようが、国際紛争を解決する手段として
  武力を使うことは永久にない。
● 武力を使うことがないのだから、軍隊その他の装備を一切持つことはない。
  日本には、交戦権(戦争をする権利も、戦時に保障される権利も)はない。


・・・ってな感じかな。

となると、自衛隊だって明らかに違憲ということなるよね。
でもこれは・・・

●当時の軍部のしわざだったとはいえ、「天皇バンザイ」と言って狂信的に戦うような
 危ない日本に二度と戦争をさせないためにと、その後も極東の紛争に乗り出して
 自ら利権を得ようとしたアメリカが押し付けた憲法だし
●この条文は狂信的な侵略戦争等を防ぐためのもので、
 国として当然持てるべき自衛権の放棄までうたったものではない
●マッカーサーノートでも、のちのGHQの発言でも自衛権を奪うつもりはなかった旨
 なんとなく公になっている

・・・などのもみ合いがあって、自衛隊というものがいま存在しているんだね。

それでこうしてみると、今回の「国家安全保障基本法案」だって明らかに違憲だけど、
“自衛権” の発動という点において、日本の独立や平和や国益が脅かされるという意味では
アメリカみたいな利害の一致度の大きい国が戦っているのを手伝うのは、
“自衛” 行動なんじゃないか、というのが「自衛の拡大解釈」
というやつなんだな。

でもさ、前述みたいに「国家安全保障基本法案(概要)」を読み解いてみると・・・
たとえばアメリカが起こした戦争が、侵略戦争であろうと、イデオロギーの対立であろうと、
解釈次第で日本にも被害や損害が発生しそうだということになれば、
いやでも戦闘に協力するハメになって、たくさんの人が死ぬことになりそうな気がしない?



■戦争をやらない国だって、自衛のための戦いはするんじゃないの?


僕はそもそも、日本が戦力を持つことに反対ではないんだよ。
でも、戦争や戦闘には反対
自分の大切な人を殺されたくないし、自分だって死にたくない。
友達だって知人だって、見ず知らずの人だって、けがをしたり死んだりするのはいやだ。
逆に、どんな理由があろうとも人を殺すのはいやだ。

「だったら、最初から戦力なんか持たなきゃいい」というのが、
戦争反対論の人たちの論理じゃないのかと思ってる。
「戦力がなければ、戦えないのだから、他の方法で何とかするしかないわけで、
結果、戦争を避けることができる」、
「憲法9条で、“ウチは絶対に戦争をやらない” とうたっているのだから、
そういう国を不当に攻撃する国はない
、“軍備による抑止力” の逆、
これからも “無抵抗の抵抗” でいこう」ということでしょ?

もっともだと思うし、それで紛争が収まるのならそれが一番いいんだと思う。
でもね、そういう日本のスタンスが通用しない時が来たらどうなるだろう?
相手が狂信的で「襲われても戦わない国かあ、ラッキー。かるーく、占領してまえ」
って、家族がどんどん殺されることがないとは言えるのだろうか?
やわらかい防波堤を決壊させられた時の方策を持たなくていいんだろうか?

スイスは、永世中立国だよね。
戦争とはほど遠い国のように感じるけど、
それは、他国と軍事的な同盟を結ばない、紛争には関わらないという意味であって、
戦闘をしないという意味ではないんだね。
ちゃんと軍隊も持っているんだよ。
同盟は結ばないけど、自分の国は自分で守る、ということさ。

悲惨な結果を伴う戦争はやりたくない、でも、もし理不尽にも殺人鬼が攻めてきたら、
家族もろとも黙って切り刻まれるつもりはない、
というのがフツーの人間や国家のマインド
だと思う。
「戦争はたくさんの悲劇を生むからやっちゃいけない」というのは、
誰もが願うあたりまえの “感情論” であって、リスク管理になっていないだろう。

そもそも、戦後からこれまで、憲法9条のおかげで戦争をやらずに済んできたと
思うのは大違いだろうな。
日本の領空や領海が侵犯されることなんて、戦後、何百回も起こっていることだし、
その度に、アメリカ軍の協力と自衛隊のスクランブル発進などで事件になることが
食い止められてきている
ことは、ほとんど知られていないんだね。
実は、“自衛行動” は、小さくとも数えきれないほども行われてきて、
いまの平和な日本はあるんだよ。

いまは現に、日本海や南シナ海の領土や資源を奪われつつあるし、
現に、人質テロやITテロも起こっているよね。
テロというのは、誰だかが予言した現代の戦争のカタチのひとつなんだよね。



■「国家安全保障基本法案」に反対! & その理由


ハナシが最初に戻るけど、「国家安全保障基本法案」って何なんだろう?
それは、やっぱり、「集団的自衛権」の行使を可能にする法律、という点が
ポイントだよね。

じゃ、「集団的自衛権」って何よ?
なんで、「日本の自衛権」の行使を具体化する法律にしないないんだろう?
って思わない?
そりゃ、憲法9条があるし、アメリカとの安保条約があるからだろ、
なんて言う人がいたら、それは間違いだろう。

だって、すでに既成事実化している自衛隊が憲法9条に合憲と仮定するなら、
その自衛の具体化法案は憲法9条の下位法なだけで、違憲になるわけがないし、
国連憲章の個別的自衛権の定義に違反していないし、
そもそもすでにそういう法律が整備されてあるんだよ。
つまり、「国家安全保障基本法案」なんていらない、ってことになる。

でも、「集団的自衛権」行使の具体化は、それとは違うよね。
乱暴な言い方をすれば・・・

●主にアメリカの戦闘の手伝いをする(日本にも害が及ぶと考えられる場合)
●停戦後もアメリカ(=国連)のいう通りにする


・・・ということでしょ?
まるで、アメリカとの軍事同盟条約だろう。
いや、アメリカが日本人を徴兵するかのようなイメージだな。
そこんところが気に食わないんだよなあ。

アメリカは、第二次大戦後も、ベトナム戦争はじめ湾岸戦争、アフガン、イラクなんかで
自ら戦争をふっかけてきたし、最近ではウクナイナなんかに首を突っ込んでいるよね。
そう、ずっと “戦争は、農業革命、産業革命の後にくる、儲かる商売” ということで
国策化され続けてきたんだと思う。

そう、アメリカは世界一戦争の好きな国と言ってもいいのかも知れない。
勝って、領土や資源や利権を得て、武器や兵站物資を売って儲ける。
その昔の帝国主義がまだ残っているみたいだよね。
まあ、それはアメリカだけじゃないと思うけど。

でも、最近は国民が死んで国力に悪影響を及ぼすし、予算はないし、
“世界の警察” としての威厳もなくなってきているしで、
割に合わない商売かもしれない、と気づきつつあるんじゃないかと思う。
そもそも、オバマ政権の民主党は、ハト派だしね。

それで、極東の武力政策については “飼い犬” の日本と韓国にやらせて、
後でおいしいところだけ持ってけばいいや、ってことではないのかい?

日本は戦後、アメリカのおかげで復興して、ここまで成長してきて大いに感謝しているし、
いまでも、“アメリカの財布がわり” の属国みたいなもんだけど、
アメリカの “戦後ポスト帝国主義” みたいなもんに付き合わされるのはどうだろう?

そこんとこが、腑に落ちないところ。
僕は、日本が戦力を保持して、あくまで自衛・防衛のためにそれを具体化する法律を
作るのは否定しないけど、アメリカのような戦争をしたりそれを手伝うことになる
可能性のある法律には、断固反対
だなー。

このままこの法案が通ってしまって、アメリカから理不尽な自衛隊の出動要請があったとしたら、
まずは、その時の総理大臣が先頭に立って前線に行ってもらいたいもんだなー。



001まずは総理から.jpg
コピーライティング/糸井重里 デザイン/浅葉克己 1982



■自主独立しない限り、アメリカのための法律から抜けられない


大前提として・・・
北からは、ロシアが領土主張や日本の漁船の締め出しを行い、
横から、北朝鮮がミサイルを飛ばし、
南や東で、中国が領域を侵して海や土地や資源を片っ端からかっぱらっている状況
だということで、日本の防衛政策は2つに1つじゃないかな。

① 戦後70年続けてきた防衛政策をなお続ける

いままで通り、軍事的な部分についてはアメリカに全面的に頼むということ。
その代わり、国土を米軍基地として提供して、
戦勝による利益もアメリカに自由にしてもらって結構、ということだよね。
現在はそうなっているんだよ。

それで、どんだけアメリカ製の兵器やプルトニウムや石油や食品を買わされてきたことか、
どんだけ “アメリカ側” として、円借款やODAで金を払わされてきたことか、

ってことと、いまや、いつアメリカが「日米安保はもうやめた、そっちで勝手にやってくれ」
って言い出すかわからない状況
になっていて、
この①は、もはや不安でいっぱいの方策になりつつあるんじゃないかな。

② 自分の国は、自分で守る

これは、基本的には自国の国益が損なわれそうになったら、
自国の判断と力で守るということ。
自衛するんだから、日本が直接攻撃される時はもちろんだけど、
アメリカみたいな利害が大きく一致する国が攻撃されることで
日本にも損害が及ぶ場合なんかに、じゃ、日本も協力するよ、と言って
その時点でよーく検討したうえで、同盟したっていいんだよ。

でも、これが「国家安全保障基本法」と違うのは・・・

●アメリカが、自国の判断や利害を先行させて、東アジアで戦闘を始めるのを
 防げる可能性があること。
 日本が軍事的に独立していたら、
 アメリカが「お前んとこのために、軍隊を出動させようか?」と言った時に、
 それが不当だと判断されれば「いらない」って言えるよね。
●アメリカが、どっかで自分勝手に戦争を始めて、「手伝ってくれ」と言っても、
 場合によってはノーと言えること。


「国家安全保障基本法」が成立したら、↓こんなことが起こるかも知れないな。

[ケース1]

ア「お前んとこを守るために戦争始めたんだから、お前も手伝えやー」
日「どうしてもやってくれって頼んでないし、アメリカの利益のために始めたんでしょ、
  悪徳商売を手伝うなんてイヤですよ」
ア「ほー、なら勝っても分け前はやらないぞ。で、もし勝っても負けても、
  かかった費用は払えよな。それから、アメリカ製の “和牛” や米も買えよな」

[ケース2]

ア「お前んとこを守るために戦争始めたけど、負けそうだ。お前も手伝えやー」
日「最初から、不純な動機で戦争するのはやめろ、って言ったじゃないですか。
  いまさら、いやですよ」
ア「ほー、そうかい。なら、ウチはもうやめた。後はそっちで勝手にやってくれ。
  でも、ここまでかかった費用は払えよな。もし、間違って勝った時は
  オレが調停してやるから呼んでくれ」

[ケース3]

日「あんたが、やばいぞやばいぞって言うから、防衛のための戦闘を始めたけど、
  負けそうですよ。助けてください」
ア「やだよー、誰が負けるとわかってるけんかに手を貸す?
  自分でなんとかしろよ」
日「そんなこと言わないでくださいよー」
ア「んー、なら、ウチの名前を伏せるという約束が守れるなら、武器の供給はしてやる。
  でも、負けても金は払えよな」

・・・そう、どう転がっても、アメリカが損しにくい仕掛けになっていそうだよね。
うん、日本の「日本がやばい、どうしても外敵から身を守らなくちゃ」という
マインドの高まりもなく、日本の防衛を大義名分とした、アメリカの利益や権利のための
法律に見えるから、賛成したくない
んだよ、個人的には。

つまりね、日本は、こんなアメリカの国益を守ることを主役にした
中途半端な法律をどうするか、ごちゃごちゃやる前に、
まず、①アメリカから完全に独立すること、と、
②いまなぜ、国家安全保障を具体化する必要があるのか、
国全体のコンセンサスを固めるのが先
だと思うんだけどなあ。

①がない状態だから、何か月もかけて国会中継して②を行おうとしても、
アメリカの強欲ばかりがちらちらするせいで、みんなが納得できないんじゃないの?
だから、“強行採決” ってことになるんだろ。

「子供やカミさん、母ちゃんや父ちゃんを、むざむざ殺されてたまるか、
自分の国は自分で守る」、ってマインドをしっかり持って、
「もし、侵略者が日本を攻めて来たら、こうやって防衛しよう」ってプランを
立てなきゃ、ホントの国家の安全を保障するための法律にならないんじゃないか?




■世界で最も自衛力の強い国だけど、世界で最も戦闘しない国


じゃ、どうしたらいいのか。
まだまだ考えがすっきりしないけど、下記みたいなことを考えてみた。

① 国の戦力を強大化する

これは、大反対で怒り出す人もいるかもしれないけど、考えの根幹は前述した通り。

僕は、日本は軍事力の規模で世界上位第3位以上の戦力をもつべきだと思う。
いや、世界でもっとも喧嘩の強い国になるべきだと思う。

あ、これは、一概に武器や兵士の量のことを言っているのではなくて、
万一、戦闘になった時に勝てれば、なんだっていいんだよ。

たとえば、世界一の機能を持った軍事衛星を持っているとか、
世界一のハッキング機能を持ったネットワークを持っているとか、
世界一正確で成功率の高い迎撃ミサイルが使えるとか、
世界一気づかれない無人偵察機を保有しているとか、
世界一正確に敵の軍事要衝を破壊できるリモコン戦車が使えるとか、
絶対死なない防弾防爆シールドを発明するとか・・・・

そう、最近の戦争ってこんなんなんだよ。
ノルマンディ作戦みたいに、海から人間が上陸して、銃弾をかいくぐって進んで、
占領した場所に国旗を立てるなんてことは、いまはほぼありえない。

いまでも、最も強力な兵器は、最もたくさんの人を殺傷できる火力、
のことで、そう、核兵器のこととされているけど、
でも、現代では、戦闘員やその指揮官以外の一般人を殺傷することは
昔よりは厳しく取り締まられているから、核兵器はナンセンス化しているんだね。

で、この、世界で最も強い戦力を持つ国になることができれば、
それこそ、世界で最も強い抑止力になるだろうし、
最も自衛力の強い国になれるんじゃないかな。
結果、武力を持たない国になるより、死傷する人の数が減るんじゃないの?

ウクライナや中東に、数千億円も支援してるお金があるんなら、
自分とこの腕力を鍛えるのに使ったほうがいいんじゃないだろうか。

② 戦争以外の方法で、紛争を解決する達人になる

世界一の戦闘力を持っていても、世界一武力行使しない国になる
というのはどうだろう?

国土のあっちこっちを基地として提供して、アメリカの軍事力を楯にしながら、
アメリカの財布がわりになって、アジア諸国はじめ世界中にお金をばらまいたり、
開発途上国に計り知れないほどの技術供与をしたりして、
紛争や戦闘が起こりにくい外交政策をとって、ここまで来た日本だけど、
そんなもんで、これからも戦争を防げるかは疑問だよな。
だって、お金をばらまけなくなってきているし。

今回の法案にも、“総合的に” とか、“統合的に” という言葉で表現されているけど、
戦闘力としての軍事力ばかりでなく、もっと “積極化” すべきことが
いろいろとあるんじゃないかな。

たとえば・・・
良好なギブ&テイクを維持できる貿易、早く正確な情報をハンドリングできる諜報活動、
戦争勃発を確実に防ぐ工作活動、強力な経済制裁によるおどし、経済的&軍事的に強力な味方づくり、
敵国内における味方づくり・・・などなど、
大々的な武力衝突になる前に、それを防ぐ活動さ。

僕が言っているのは、これまでやってきたような “外交政策” のことじゃないんだ。
戦争を防ぐための、脅迫、工作、囲い込み、制裁、煽動・・・なのだ。
それがたとえ、けっこう汚い手段でも、それで悲惨な戦争を事前に防げるんなら
かまわないんじゃないかと思っているんだよ。
たくさんの兵士や一般人が死ぬより、全然ましじゃない?
それくらい本気で、戦争をやめさせよう、ってこと。

僕のアイデアなんてプア過ぎて笑っちゃうし、
先進国のほとんどがCIAのような諜報機関が相応の活動をしてるに決まってるはずだけど、
もっと積極的で実効力のある “事前防衛活動” ができないかと思うんだけどなあ。

とにかく、戦争を防ぐためなら手段を選ばない、というくらいの “非交戦防衛策” さ。
開戦してしまって、手段を選ばず相手国の国土にミサイルを落とし合うより、だいぶん平和的でしょ?
もちろん、それが原因で戦争が始まってしまうような、中途半端なものじゃあかんのだけど。

外交官とか大使館とかに任せとかないで、
そういう方面で世界一長けた国になるってのはどうかな?



僕が、ちょろい頭でいま考えていることは、そんなこと。
自分でも、はっ、と気づいたんだけど、キーワードは “自主独立” だろうな。
他力本願のままじゃ、みんながすっきり納得できる法律も、プランも浮かばないし、決まらない。
そして、かけがえのない人や、国土や、モノや、文化を守れないんじゃないのか。



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福田繁雄 1975 ワルシャワ戦勝30周年記念国際ポスターコンクールグランプリ







“ 風に吹かれて “ / RCサクセション





“ Blowing In The Wind “ / Bob Dylan





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