ゆらゆら草
もう少し感受性を働かせれば、毎日がスペシャルになる。そう自分に言い聞かせて、 いろいろ感じたことを書きとめてみよっと。
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名作だよ!!とささやきたい ~ 『ミツバチのささやき』


この前、テレビを観ていたらCMに芦田愛菜ちゃんが出ていたよ。
すこーし、大人っぽくなっていたね。
いま、10歳だそうだ。

30秒の間に何人か子供が出てるんだけど、福くんも出てたなー。
こちらは、愛菜ちゃんほど大人っぽくなっていなかったかな。



映画を観る楽しみっていろいろあるけど、“子役” ってのも、あるよね。
子役がかわいいと、ホント和む。
子役がうまいと、物語の迫真力がグンと増す。
子役には、泣かされる・・・。

ちょっと思い出したところでは・・・

●『レオン』ナタリー・ポートマン
●『ハリー・ポッター』エマ・ワトソン
●『アイ・アム・サム』ダコタ・ファニング
●『バベル』エル・ファニング(ダコタ・ファニングの妹)
●『E. T. 』ドリュー・バリモア
●『リトル・ミス・サンシャイン』アビゲイル・ブレスリン(おなかポンポコリン)
●『タクシードライバー』ジョディ・フォスター
●『ペーパー・ムーン』テータム・オニール

●『スタンド・バイ・ミー』リヴァー・フェニックス(1993年に死去)
●『ホーム・アローン』マコーレー・カルキン
●『スター・ウォーズ エピソード1/ファントム・メナス』ジェイク・ロイド

・・・などなど、んー、ホントかわいかったねー。

んなこと言ってると、あぶないおじさんみたいだけど、
そういう意味じゃなくて、「小さきものは、皆うつくし」ということ。(汗)



子役のいろんな活躍で、映画のおもしろさって全然違うものになると思うんだけど、
子役が主役の映画ってのもあるよね。

まあ、いろいろあるけど、
僕の印象に強く残っているのが『地下鉄のザジ(Zazie dans le metro)』という映画。
フランスのルイ・マル監督。
ヌーヴェルヴァーグの先駆け的作品なんだね。

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この映画がおもしろいのは、10歳の少女ザジちゃんが主役には違いないんだけど、
ザジちゃんが何かの物語の主役なんじゃなくて、
ザジちゃんそのものが映画なんだよ。

ストライキで地下鉄がストップしているパリを舞台にしていて、
ちょびっと大人社会を皮肉っているふうだけど、
たぶん、言いたいことはそんなとこにあるんじゃなくて、
ザジちゃんの顔の表情やしぐさ、あどけなさや茶目っ気、わくわく冒険心
なんかがスクリーンいっぱいに展開するんだなー。
「ザジちゃん、今度は何やらかすのかなあ、んー?」ってな感じ。
ザジ役のカトリーヌ・ドモンジョちゃんのおかっぱ頭とすきっ歯がかわい過ぎ!

スラップスティック・コメディと位置づけられているみたいで、
ヌーヴェルヴァーグらしくも、ややシュールなトーンで表現されているけど、
やっぱりテーマは物語の中にあるんじゃなく、
空虚なパリの空気の中を冒険するザジちゃんのかわいさそのもの
なんじゃないかと思う。
そんな美術作品的な映画って、たまにあるんだなー。



それから、この『ミツバチのささやき(El espiritu de la colmena)』

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スペインのヴィクトル・エリセ監督の作品だね。
『エル・スール』や『マルメロの陽光』、
日本の東日本大震災をテーマにしたメッセージ映画『3.11 A Sense of Home Films』
などを撮った監督だよ。

主役は、当時5~6歳の女の子、アナ・トレントちゃん。
この作品も、女の子がめっちゃかわいい!!
あのジム・ジャームッシュ監督が、「アナが大人になったら、オレが結婚する」って
言ったというエピソードがあるほど。(笑)

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『地下鉄のザジ』は、おかっぱ&すきっ歯で街を駆け回るファニーな魅力なんだけど、こちらは正統派。
静的で妖精のような美しさとあどけなさなんだなー。
物語も、スペインの田舎の詩情あふれる風景を舞台に、
子供の感性とかわいらしさを描いた、絵本のような世界
が展開する。

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物語の舞台は、スペインのカスティーリャ地方の小さな村。
なんてきれいな景色!
ヨーロッパの田舎の詩情あふれる風景が、
ハリウッド映画では体験できない世界へ僕らを連れて行ってくれる。

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そこに住む家族は、6歳のアナとお父さん、お母さん、そして2つか3つほど年上のお姉ちゃん。
お父さんは、学者かな。
ミツバチを飼っているんだな。
書斎にこもったり、養蜂に忙しく、子供たちとあまり接触がない。

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お母さんは、少し心を病んでいるのかもしれない。
いつも悲しげで、家族に内緒で誰かに手紙を書いたり、
駅に誰かを迎えに行くふうな不審な行動を時々したりする。

お姉ちゃんは、いたずら盛りのお年頃。
身の回りの出来事の意味なんかも、すこーしわかるようになってきた。

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アナは、お姉ちゃんとは逆に内気なタイプ。
まったくの純真無垢で、「なんで?どうして?」って聞きながら、
少しずついろんなことを知っていく年頃の女の子なんだよ。

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ある日、村の集会所に巡回映画がやってきて、フランケンシュタインの映画を観てから
かわいいアナの “冒険” が始まるんだな。

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僕が最初にガツーンとやられてしまったのは、アナとお姉ちゃんのピロートークのシーンだ。
フランケンシュタインの映画を観てから、アナは興奮覚めやらぬ状態。
ベッドに入ってから、フランケンシュタインの映画について、アナがお姉ちゃんに質問する。

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妹「どうして、モンスターは女の子を殺してしまったの?」
妹「どうして、みんなはモンスターを殺したの?」
「モンスターは、精霊なのよ。だから、死んでないの。呼べばいつでも会えるのよ」

この会話は、“こそこそばなし“ なんだよ。
耳打ちで内緒ばなしをする時、声帯に声をひっかけないで、空気音で話すよね?
アレ、アレ。

それが、たどたどしくて、かわいくて、清しくて。
背筋をくすぐられるような快感が走ったなあ。
と同時に、映像作家でもないのに「あ、やられたー」とも思ったねー。
「んー、このテがあったかあ」って。
邦題の「ささやき」ってのは、この超かわいいシーンのことだったんだね。

明かりを消した部屋のベッドでのこそこそばなしだから、
映画としては映像も音声も最小限だ。
でも、インパクトは最大。
後のほうに書くけど、監督はこのシーンで、最もでかい声で言いたいことを言っていたんだね。

ビクトル・エリセ監督は、
最もはっきり映して、最も声を大にして言いたいことを
最も薄暗く、最も小さな声で表現した
のだ!
んーーーーー、ビクトル・エリセって天才じゃないのか。



ある日、アナは野原のずっと向こうの小屋のような廃墟に行く。
野原の風景が美しい!
その中で、アナはケガをしたおじさんを見つける。

フランケンシュタインが村人に殺される映画を観て、かわいそうに思っていたので
アナはそのおじさんに着るものを与えたり、りんごをあげたり、介抱してあげるんだな。
このシーンは危険な感じが漂うけど、子供の純真さをかわいいアナの手から直接受け取るようで、
とても癒されるなあ。

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アナに助けられたおじさんだけど、アナが去った後に殺されてしまう。
大人たちのせいで、アナはもうそのおじさんと会えなくなってしまうんだな。



その後、夢か幻想か、アナは森の中でフランケンシュタインと出会う・・・。



ある夜、アナはお姉ちゃんに教えてもらったことを思い出して、精霊を呼ぶ。
「わたしよ、アナよ・・・」

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・・・ってな感じ。
ちょっぴりミステリアスな、絵本のようなハナシでしょ?

スペインの田舎の美しい田園風景と、少女のあどけなさを描いた上質なお伽ばなし。
日本で封切られた1985年当時、会社の同僚の女子にすすめられて観に行ったんだけど、
「ああ、こういう、感性だけをテーマにした映画もあるんだな」って満足してたっけ。

ストーリーやメッセージがなくても、とても素敵な詩のような映画・・・・・





・・・なんて、思っていたら大きな間違いだったんだなー!!
僕がその間違いに気づいたのは、なんとほんの数年前。
ネットでなんとなく検索して読んでみて、驚いたねー。
この映画は、蜂がお尻の針で人を刺すような “社会派” の映画だったんだよ。

この映画は、隅から隅まで比喩で固められた作品だったんだな。

スペインで封切られたのが1973年だけど、物語の設定は1940年とのこと。
スペインでは1936年から1939年まで、「スペイン内乱」というのがあったんだね。
これは、ファシズムを掲げたスペイン陸軍のクーデターで始まって、
当時の共和国政府を倒して、フランコ政権が立ちあがったという出来事。
フランコ政権は、実質、軍事力にモノを言わせた独裁政権だったんだね。

映画の設定の1940年は、独裁政権が成立した直後で、
アナが介抱してりんごをあげたおじさんは、反フランコ政権軍の敗残兵士だったんだよ。
だから、見つかって殺されたんだね。

お父さんが観察している蜂の巣は、自由のないがんじがらめの独裁国家、
そこに住む蜂たちは、意思を持たない国民を比喩しているんだそうだ。

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お母さんの怪しげな行動は、裏切りやスパイのイメージ。
お姉ちゃんは、スペイン内乱を知る世代。
アナは、スペイン内乱を知らないイノセントな世代の象徴だ。

つまり、国民は軍事独裁政権下で自由の許されない生活を強いられている状況において、
アナの行為が象徴するように、もともとは同じ国民、フランコ軍も元政府軍もなく
一つのりんごを分けあうような自由で平和な国を希求した映画だったんだね。

“フランケンシュタイン=精霊“ は、1931年に作られたアメリカ映画のキャラだ。
これは当時の、アメリカが象徴する自由と民主主義を “精霊“ ということにしたんだね。
精霊は “呼べばいつでも会える(革命を起こすなど、自分たちの意思で実現できる)” のだ。
そう、この映画は、軍事政権を早くやめて、自由で暴力のない国を作ろう
って訴えていたんだね。


この映画がリリースされた1973年は、独裁制はだいぶん緩くはなっていたとはいえ、
まだまだ政府批判など許されない状況だったそうだ。
だから、ビクトル・エリセ監督は、
最も光を当てて、最も声高に叫びたいこと(=呼べばいつでも会える精霊のハナシ)を、
最も少ない光を当てて、最も小さな声(こそこそ、ささやき)で発した
んだな。



原題は『El espiritu de la colmena』、英語だと『The Spirit of the Beehive』。
訳すと『ミツバチの巣箱の精霊』なんだね。
これなら、ちゃんと社会派然としてるね。

でもね、スペイン内乱なんて俺たちには関係ねぇーぜ、と言って、
ただ、あどけない女の子のくすぐったい “ささやき” を愛でる映画として観ても、
バツグンにすばらしい作品だと言い切れるな。

だから、僕はいつものように文字を大にしてささやきたい・・・

関係者のみなさん、DVDを再版してくれー!!



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●ミツバチのささやき(El espiritu de la colmena)
1973 スペイン (1985 日本)
上映時間:99分
監督:ヴィクトル・エリセ
原案:ヴィクトル・エリセ
脚本:ヴィクトル・エリセ、アンヘル・フェルナンデス=サントス
製作:エリアス・ケレヘタ
撮影:ルイス・クアドラド
音楽:ルイス・デ・パブロ
編集:パブロ・ゴンザレス・デル・アモ
配給:フランス映画社(日)
出演:アナ・トレント、イザベル・テリェリア、フェルナンド・フェルナン・ゴメス、
   テレサ・ジンペラ ほか
受賞:シカゴ国際映画祭 シルバー・ヒューゴ(1973年)
   サン・セバスティアン国際映画祭 コンチャ・デ・オロ (1973年)
   スペイン映画記者協会賞 最優秀作品賞/最優秀男優賞/最優秀監督賞 (1974年)
   Fotogramas de Plata, Madrid, Spain 最優秀スペイン映画俳優(1974年)
   ラテン・エンターテイメント批評家協会賞 映画部門: 最優秀女優賞/最優秀監督賞(1977年)



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<その後のアナ・トレント>

Ana Torrent:1966年7月12日、スペイン・マドリッド生まれ。
2014年8月現在48歳。


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小学校中学年くらいかな。


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中学生くらい?


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高校生くらい?


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20代だろうね。


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30代だと思う。


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30~40代かなあ。


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最近のはず。


『ミツバチのささやき』に初演後も、7~8本のワールドワイド作品に出演。
その間もいまも、コンスタントにスペイン映画に出ているらしい。
いまは、スペインの映画祭のポスターになったりするくらいの国民的女優だそうだ。

直近の出演は、『ブーリン家の姉妹』(2008年)というイギリス映画。
ナタリー・ポートマンとスカーレット・ヨハンソンが主役格の作品に、
脇役の一人として出てるみたいだねー。


葬り去られた名作 ~ 『伽倻子のために』


2014年4月25日に、韓国を訪問中のオバマ大統領が、従軍慰安婦問題について
「極めて下劣で、恐るべき人権侵害の行為」であると言っちゃったことで、
ますます日韓の摩擦が強くなりそうな気配だよなー。

僕はそれ系の報道に触れる度に、
「それよりもっと根本的な問題が残ってる」と感じるんだよ。
決して、従軍慰安婦問題がちっちゃいことだというわけではなくて。

それは、あまりにもヤバくて、みんな口を閉ざしてしまうか、
自分勝手な偏った意見ばかりを発する「在日コリアン問題」だよ。

この問題が問題なのは、もう、いかんともし難い状態になってしまっていることだと思う。

一般的な在日コリアンの人たちは・・・
●日本に住んでいながら、韓国か北朝鮮国籍
●日本人になりたい、と思っても、参政権や社会保障に制限があって、100%なりきれない。
つまり、どこかの国の国民としてのアイデンティティがない = 日本人でもなくコリアンでもないのだ。

そして、“いかんともし難い状態” とは・・・
●在日特権や社会保障の整備が進む中、日本で標準的な生活が送れていたり、
 事業成功者となっていたりで、もう祖国に帰りたくない人たちがいる
●祖国に帰りたい人たちもいるけど、いま祖国の社会に溶け込めるか不安。
 しかも、祖国の家族や親戚や企業には、負担になる人たちに帰ってきてほしくない
 と思っている人たちもいる

・・・ということで、解決への意思がフラフラしているということ。

もっと問題なのは、日本政府も韓国政府も(北朝鮮政府も)、その “宙ぶらりん” 状態を、
いまは積極的に解消しようとしているように見えない
、ということだな。
それをほったらかしといて、従軍医慰安婦問題はじめ、新たなことを問題化するから、
僕は、「それって、賠償金稼ぎや選挙のためにやってるんだろ」と感じてしまうのだ。



この映画を観たのは、1984年だったっけ?
親友のHに誘われて、初めて岩波ホールへ行ったんだっけ。
2回、行ったっけ?

劇場公開は、たしか、東京の岩波ホールと大阪の三越劇場の2カ所だけ。
しかも、短期で打ち切り
爆弾さわぎなど、各方面からプレッシャーがかかったんだよ。

その後のビデオソフトの発売もなし。
(近年、「小栗康平作品集 DVD-BOX」というのが発売されているけど、高過ぎ!)
テレビ放映もなし。
(たぶん、1~2回はオンエアあり)
さらに、いまでは誰も口にしないので、勇気をもって書いてみることにしたのだ。



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↑封切り当時のチラシから、↓文章を書き出してみたよ。

***************************************************

◎ごあいさつ◎
 本年二月、発足十周年を迎えましたエキプ・ド・シネマは、
その最後の記念作品として小栗康平監督の「伽倻子のために」
を上映することにいたしました。
「泥の河」でデビューした小栗監督は、在日朝鮮・韓国人を
主人公とする、日本人にとっては極めて困難な素材に取り組み、
三年の歳月をかけて見事な作品に完成させました。
「伽倻子のために」はどうしても手作りの上映で、という監督
と製作者からのたっての要望を受けて、エキプはこの問題作を
お引き受けした次第でございます。
 十一月からの東京・岩波ホール。十二月からの大阪・三越劇場
での上映が成功し、全国各地に公開が広がっていきますよう、
みなさまの暖いご声援を心よりお願い申し上げます。
エキプ・ド・シネマ
川喜多かしこ
高野悦子

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◎解説◎
 わが国にとって、朝鮮問題が持つ重要性は日増しに大きくな
っている。だが現在七〇万人といわれる在日朝鮮・韓国人を
正面からみつめ、“政治” や “犯罪” でもなく、日本にいて、日本で
生活する人間そのものを捉えようとした日本映画は皆無であった。
 映画「伽耶子のために」は、李恢成が一九七〇年に発表した
同名小説の映画化である。
 第一作「泥の河」で内外の映画賞を独占し、驚異的なデビューを
果たした小栗康平監督が、三年ぶりに世に問う注目の第二作である。
「泥の河」で戦後世代の少年期を描いた小栗監督は、前作に続く
一九五七・八年を背景に、在日朝鮮人二世と日本人少女の出会いと
別離をとおして、更に一歩、戦争と日本人に踏み込んだ。
 小栗監督の十年来の念願であったこの作品は、シナリオ完成に
二年の歳月をかけ、八三年十一月クランク・イン以来、秋、冬、春の
三次の北海道ロケを含めて半年間の撮影の後、八四年七月に完成した。
 監督の小栗康平は一九四五年、群馬県前橋市生れ。早稲田大学第二
文学部演劇専修卒後、フリー助監督として浦山桐郎監督らについた。
 原作者の李恢成は、一九三五年、樺太(サハリン)生れの在日
朝鮮人作家。早稲田大学文学部卒。小栗康平と共同脚本の太田省吾
は、劇団転形劇場を主宰し、国際的に活躍する劇作家・演出家。
 メイン・スタッフは、照明ら佐藤幸次郎が加わった他は、すべて
「泥の河」と同じ、息のあった人々が顔をそろえている。
 主役の二人は共に一般公募によって決められた。主人公・林相俊
(イム・サンジュン)を演じるのは呉昇一(オ・スンイル)。在日
朝鮮人二世で新制作会友の彫刻家。主役を在日二世・三世の朝鮮・
韓国人に限定したオーディションも初めてであった。ヒロインの
伽倻子役は、南果歩(みなみ・かほ)。桐朋学園短大演劇科在学中。
二千二百人の中から選ばれて、大役を果たした。
 その他浜村純、園佳也子、加藤武、川谷拓三、左時枝らベテラン
が脇を固め、多くの在日朝鮮・韓国人一世・二世め三世が撮影に
協力、参加している。なお、この作品は劇団ひまわりの初の自主
製作による。

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◎物語◎
 一九五八年(昭和三十三年)の夏の終わり、大学生だった林相俊
(イム・サンジュン)は、北海道の森駅に降りた。父の親友、ジョン・
スンチョン(通名 松本秋男)を訪ねるためである。樺太(サハリン)
から引き揚げて十年ぶりの再開であった。
 松本は、トシという日本人を妻にしていた。そこに伽倻子(カヤコ)
という高校生の少女がいた。相俊は樺太での記憶をたどるが、その
少女を知らなかった。
 伽倻子は本名を美和子といい、敗戦の混乱時に捨てられた少女だった。
日本人が捨て、朝鮮人が拾った少女は、いま、伽耶琴(カヤグム)
という朝鮮の琴の名をとって、伽倻子と名づけられていたのである。
 相俊は解放(日本の敗戦)後、アボジ(父親)たちと日本に留まった
が、渡日した一世世代と違い、自分が朝鮮人であることを自負する
ためには、さまざまな屈折を重ねなければならなかった。貧しい東京
の下宿生活の中で相俊は、在日朝鮮人二世の存在矛盾と格闘しながら、
伽倻子を思い出していた。
 翌年、早春の北海道で、二人はたがいの心を通わせた。その秋、突然
伽倻子は家を出た。トシは貧困を抜けられぬまま、朝鮮人と一緒に
なったことを悔いていた。
 義父、義母のの人工的な家庭の中で、伽倻子の混乱は深まる一方で
あった。ようやく探しあてた道東の小さな町で、相俊は伽倻子にいった。
「戦争があちこち引きずりまわしてくれたおかけで、ぼくたちは出会えた」。
 東京での二人の夢のような生活が始まった ー 。


***************************************************



この映画の時代背景は、1957~58年頃となっているから、
いまより民間的にも社会制度的にも差別がひどかった在日コリアン二世の時代なんだけど、
本編では具体的な差別シーンは一切出て来ないんだな。
緊張感が漂うカットは全然ないと言い切れる。
どうして、当時これが騒ぎになって、なかば上映打ちきりみたいになったのかわからないほど
穏やかな “恋愛映画” なんだよ。
北朝鮮の「帰国事業」を描いた、『かぞくのくに』の方がよっぽどあぶない感じだと思う。

日本人でもなくコリアンでもない相俊と、
樺太生まれで日本本土人でもなくコリアンに育てられたとはいえコリアンでもない伽倻子は、
愛し合うことでお互いのアイデンティティを共有したんだろうね。
お互いに貧しい生活を送りながらも、
にじみ出たものをつかむようにして得た恋がみずみずしく描かれている。



<ネタバレストーリー>

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かけおちして・・・東京での夢のような生活も束の間、
二人は伽倻子の両親に仲を引き裂かれてしまう。
主人公の相俊が大学を卒業したら結婚を認める、
ということで伽倻子は連れ戻されてしまうのだ。

相俊は10年後、北海道の伽倻子に会いに行く。
すぐにでも会いたいはずなのに、この10年が何を意味するかわかるよね。
でも、伽倻子の両親は、「伽倻子は結婚してよその土地へ行った」という。

打ちひしがれて帰ろうとする相俊は偶然、伽倻子の実家の近くで遊ぶ「伽耶子」という名前の子供に出会う。
この映画はそこで終わるんだけど、すべてのメッセージがそのシーンに集約されていると思う。

その女の子は、きっと伽倻子の娘なのだろう。
伽倻子はよその土地へ行ったのじゃなくて、両親の家にいるのだろう。
日本人として生まれて捨てられて、育ての父が在日コリアンで、育ての母が日本人の家庭では、
若い日本人の伽倻子が「美和子」として稼ぐしかないんだろう。
在日コリアンの伽倻子の父は、娘を在日コリアンと結婚させたくなかったのだろう。
それほど当時の日本は、在日コリアンの生活は大変だったのだ。
子供はいるけど、連れ合いはいるのだろうか。

在日コリアンへの差別や、差別のせいで強いられる極貧生活に対する大きな叫びが
このたった1つのシーンから聞こえてくる。

差別にさらされるのに、なぜ子供に「伽倻子」という名前をつけたんだろう?
それは、相俊をいまでも愛しているということなんだろうか。
結局、在日コリアンの男性との結婚を余儀なくされたということなんだろうか。




『泥の河』に勝るとも劣らぬ、小栗康平の隠れた名作だべ!

そこで僕は文字を大にして言いたい・・・
関係者のみなさん、DVDを再版してくれー!!



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●『伽倻子のために』(For Kayako)
1984年 日本
上映時間: 117分
監督:小栗康平
原作:李恢成
脚本:太田省吾 、 小栗康平
企画:砂岡藤三郎
製作:砂岡不二夫
プロデューサー:藤倉博
助監督:佐々木伯
製作会社:劇団ひまわり
撮影:安藤庄平
美術:内藤昭
音楽:毛利蔵人
録音:西崎英雄
音効:本間明
照明:佐藤幸次郎
編集:小川信夫
スチル:ペ・ソ
配給:劇団ひまわり
出演:呉昇一、南果歩、浜村純、園佳也子、加藤武、川谷拓三、左時枝 ほか
受賞:フランス・ジョルジュ・サドゥール賞受賞
   ベルリン映画祭・国際アートシアター連盟賞受賞
   ロカルノ映画祭・国際映画批評家受賞
   '84年キネマ旬報ベストテン第8位
   '85年大阪朝日新聞日本映画ベスト10・第1位


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