布恒更科という独自のブランド ~ 『築地 布恒更科』



「映画的日記」の映画カッパさんに譲っていただいた、
キネ旬ベスト・テンの「第1位映画鑑賞会と表彰式」のお昼休み、
せっかく築地方面に来たんだからと、
前からぜひ行ってみたかった蕎麦屋へ行ったんだよ。

2月8日(土)の大雪の日だったね。
あれからずいぶん経っちゃったなー。
次の週末はさらに大雪で、いまだに物流の調子がおかしかったりするよね。
ウチのまわりには、除けて積み上げた雪の山がまだまだあっちこっちにあるよ。



2月8日(土)の昼の11時40分頃、雪の中歩いて向かったのは、
『築地 布恒更科』(つきじ ぬのつねさらしな)。
中央区役所のそばにある会場から、歩いても4~5分のところにあるんだな。

築地というと、移転するとかしないとか言っている卸売市場を思い出すよね。
そう、その築地の近くだよ。
その築地の市場は、明治の初期には、海軍操練所(のちの海軍兵学校)があったとこなんだね。
『坂の上の雲』の秋山真之も通って、主席で卒業したところ。
明治天皇が皇居から馬に乗ってこの海軍兵学校まで “行幸” した道が、いまの銀座「みゆき通り」なんだよ。

すぐ隣に「浜離宮」や「朝日新聞本社」、
近所には「築地本願寺」や「歌舞伎座」、「聖路加病院」なんかがあるし、
銀座なんて隣町だから「和光」や「三越」にだって、
徒歩でも15分程度で行けるロケーションなんだよ、実は。

『築地 布恒更科』は、築地本願寺の向かいのブロック、築地小学校の隣にあるちっちゃい蕎麦屋だ。



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『築地 布恒更科』は、“更科” の名がついているから、あの更科と関係あるのか?
といえば、もちろんバリバリ関係あるんだねー。
「砂場」、「更科」、「藪」の三大暖簾に「東屋」、「一茶庵」を加えた
五大暖簾
のうちのひとつの「更科」だよ。

「更科」といえば麻布永坂だから、“築地” がついているところをみれば、
どこかの店の築地支店なんじゃないかと想像できる。

じゃ、“布恒(ぬのつね)” ってなんだ?ってことになるよね。
更科の創業者の名前が「布屋太兵衛」だから、おーっ、なんかルーツっぽいなー、って感じ。
そうそう、麻布永坂に始まる更科の屋号って、“布屋○○○“ って人名みたいにつける
習わしがあったみたいなんだね。

「更科」の系図
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創業店が「布屋太兵衛」でしょ。
神田錦町が「布屋丈太郎」。
現「さらしなの里」の本家が「布屋善次郎」。
まんが『そばもん』の監修者・藤村和夫氏が四代目だった「有楽町更科」が「布屋源三郎」。
で、その「有楽町更科」の東京・南大井の分店が「布屋恒次郎」というわけ。
これが、「布恒更科」なんだねー!
・・・で、その「布恒更科」が息子にやらせている築地分店が『築地 布恒更科』というわけだ。

先の僕が作った系図で、一番太い枠で囲ってあるのが、創業者の堀井家の直系(血縁)店(分店)。
なんと、現在、麻布十番にある「総本家更科堀井」と「神田錦町更科」の2店しか残ってないんだね!
創業者直系の名字は、“堀井” っていうんだよ。

で、中くらいの太さの線で囲ってあるのが、血縁でない弟子による暖簾分け店(支店)。
でも侮るなかれ、明治の中期以降は、暖簾分け店の「有楽町更科」が更科の名をほしいままにしていたんだな。
藤村源三郎が本店の腕利きの弟子の一人、伊島昇太郎を擁して暖簾分けで日本橋兜町で始めた
「布屋源三郎」というのが有楽町更科の前身なんだけど、とても繁盛して、
移転して、昇太郎が店主になって、昭和になって “有楽町更科” と呼ばれるようになった頃には、
直系の名店「神田錦町更科」を抜いて一門を代表する繁盛店になっていたんだね。

それで、この有楽町更科の店主、昇太郎(藤村家に養子入り)には、
文雄と恒次郎という二人の息子がいたんだけど、
その二男のほうが昭和38年に品川の南大井で始めた蕎麦屋が「布屋恒次郎」=「布恒更科」ってこと。

ちなみに、長男の文雄の息子(四代目布屋源三郎=元 有楽町更科店主)が、
『そばもん』の監修者・藤村和夫氏(2011年没)だ。

「布屋恒次郎」=「布恒更科」は、相次いで主人が早く亡くなって、営業状態も芳しくなかったところを、
四男の伊島節が完全手打ちに変えて地道な努力を続けることによって、
いまの東京の名店としての名声を築いてきたそうだ。



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その伊島節のご子息が、分店として始めたのが『築地 布恒更科』。
入口の看板には・・・

麻布永坂支店
御籠詰 御重詰
信州更科蕎麦処
布屋恒次郎(?)


・・・と書いてあるね。
ただし、最後の正式屋号はよく見えなかった(ちゃんと確かめればよかった)。
有楽町更科の屋号「布屋源三郎」と書かれているという説もあるんだよ。
この店の店主のひいおじいちゃんが伊島昇太郎ということになるね。
伊島昇太郎は、二代目の布屋源三郎であり、有楽町更科の店主になりながら、
“布屋昇太郎” の名前を世に残せなかったんだな。




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店内は、オーセンティックな「和」だね。
入口から縦長で、想像より小さな店だった。
小ぶりな4人掛けのテーブルが6卓。

さてさて、寒いので熱燗でも。
メニューをペロンと見ると、お、竹鶴があるではないか!
この酒は、新潟端麗辛口系とは真逆のテイストの酒なんだよ。
大吟醸や純米吟醸を訪ね歩く向きには、一生出くわさない銘柄だと思う。
熟成系で色も味も濃い、雑味系の代表みたいな酒だからねー。
竹鶴、って、どっかで聞いたことのある名前でしょ?
うん、ニッカのウィスキーにあるよね。
そうそう、この酒の蔵元は、ニッカの創業者の実家なんだよ。

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1合をKくんとちびちび。
酒をたのめば、タダでお通しが付いてくるのが蕎麦屋の常識。
今日は、かぼちゃの鶏そぼろ煮かな。

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日本酒的なツマミをもひとつ、「いかの返し漬け」。
んー、醤油味のいかの塩辛だなー、こりゃ。

Kくんと映画の話や仕事の話などをしながら、メニューもつらつらと・・・。

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もりは外二なんだね。
もちろん、「御前」も「変わり」もあるねえー。
「花まき」、「玉子とじ」、「深川」はさすがのあたりまえ。
「すだちかけ」もありまっせ、里花さん!

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天種は、「じゃこ」と「ほたて」というのは、やや珍しげ。
本店が大森海岸に近いから、海産タネがやや豊富なのかな。

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んー、これは夜に来たらガッツリ呑んでしまいそうな肴だねー。
「抜きおろし」、「抜きとろろ」の “抜き” というのは、蕎麦の実のことかな。
いいね、いいねー。
「湯豆腐」もあるんだねー、うれしいね、この季節。
「鴨の柳川煮」も酒が進みそう。

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うん、まとも、まとも。

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江戸っ子なら、冷やで沢の井の純米もいかなくちゃ。
(江戸っ子じゃねーっつうの)

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ホントは甘いものも大好き。



ふと、見上げると「木鉢会」の表示が。
「木鉢会」は、なんだかよくはわからないんだけど、
なんとなく江戸の臭いのする老舗の会みたいな感じかな。
どんな活動をしているんだろうかね。

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もちろん “木鉢” なんだから、手打ちだよなあ。
老舗には、機械打ちのとこもよくあるからねー。
なになに・・・

木鉢会
http://www.kibati-kai.net/

室町 砂場
神田 やぶそば
茅場町 長寿庵
麻布十番 更科堀井
巴町 砂場
大門 更科布屋
池の端 藪蕎麦
神田 まつや
八重洲 蘭免ん
銀座 よし田
虎ノ門 砂場
神田 尾張屋
浜町 藪そば
築地 さらしなの里
神田 浅野屋
静岡 安田屋本店
大井 布恒更科
新橋 能登治
日本橋 やぶ久
百人町 近江屋
池の端 蓮玉庵
森川町 藪蔦
錦町 更科
梅島 藪重
猿楽町 浅野屋
駕籠町 藪そば
室町 紅葉川
神保町 柳屋

この店たちに、片っ端から行ってみるというのもおもしろいかもしれないね。



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メニューで選んだ蕎麦をたのんだ少し後に、エビスビールを追加注文!
僕がたのんだのは「穴子天もり」を “お声がけ” で。
そう、穴子の天ぷらを先に持ってきてもらって、その天ぷらをツマミにひとしきり呑んで、
こちらが「蕎麦を出して」と言ったら(お声がけ)、もり蕎麦が出てくるというしかけ。

Kくんは、寒いので、ということで、温蕎麦の「カレー南蛮」を注文してたな。
ちなみに、“南蛮” というのは、蕎麦屋では “長ねぎ” のことだよ。

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辛汁を大きめの器に、多めに持ってきてくれたっけ。
写真の右奥にちらっと見えているけど、小さな器としゃもじも貸してくれたよ。
聞くと、大きめの器のほうは天ぷらのつけ汁として使え、とのこと。
天ぷらの油の浮いた辛汁で蕎麦を食べるのがイヤなら、
小さな器にもあらかじめ辛汁をとっておいてそっちを使えとのこと。
なるほど、気が利いているやねー。

汁はご覧の通り、まっ黒!
うん、写真で見るとどんな蕎麦汁も黒く見えるけど、
ココのはフツーの蕎麦屋のやつより明らかに黒かったよ。
でもね、だからといって、藪系の汁ほどは塩辛くはなかったね。
出しの味が出っ張るということもなく、見事にまあるくまとまった味だった。
その辺が、更科らしいところなのかな。

少し経ったら、穴子天が出てきた!

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おー、さっくりと揚がっている!

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中はふわふわ。
塩で食べても、つゆに付けて食べてもうまいねー。

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大根おろしもついているので、これをつゆに入れた、辛み大根的(辛くない)な風味も悪くない。
でも、これだけ新鮮な穴子のサクッだから、ゆずを軽くしぼってそのまま食べるのが
オツかもしれないな。

「一緒にツマもう」と言ったら、Kくんは待ってましたとばかりにムシャムシャ。
僕がビール片手に、「ドキュメンタリー映画ってのはよう・・・」なんて言ってる間に、
ちょっとだけ残して、断りもなく大葉の天ぷらまで食っちまった。
「どうだい、江戸蕎麦屋の江戸前穴子の味は?」って聞いたら、
「うまいです」だと。
「・・・・・」。

僕が、顔に出さずムッとしている間に、Kくんのカレー南蛮が出てきた。

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おー、いい匂い!
しかも、けっこうなボリューム。

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鶏肉がたっぷり入ってる!
なるほど、かしわ南蛮のカレー味版なんだねー。

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ちなみに、カレー南蛮って明治時代からあるんだよ。
明治30年頃に東京四谷の杉大門通りにあった、
杉本さんが営む蕎麦屋が鴨南蛮蕎麦にカレー風味をつけて出したのが始まりらしいんだな。
それで、この杉本商店というのがいまでもあって、
業務用のカレー南蛮の素の第一人者として営業を続けているみたい。
ココんちがそれを使っているかどうかはわかんないけど、可能性は高いだろうね。
興味のある方はどうぞ↓
http://www.sugimoto-shop.com/index.html

写真を撮らせてもらいながら、「すげー、うまそうだね」と僕が言っても、
「食べてみます?」とはKくんは言わない。
ふうふう言いながら、ズルズルかっこんでいるので、
「手打ちの麺だけど、カレー味の温蕎麦って、どうよ?」って聞いても、
「うまいです」だそうだ。
まあね、蕎麦なんて、そんな細かいことをごちゃごちゃ言いいながら食べるもんじゃないからねー、だ。
ちなみに、支払いは全部僕なんだよ。



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「蕎麦、お願いします」。
「はーい、お声掛けのもりでーす」というやりとりをしてから、
おおよそ5分後、“もり” が出てきたよ。

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おーっ、こういうせいろで出てくるんだ!
へー、意外、老舗っぽくないねー。
しかも、室町○○とかよりケチくさくない。
これは、1.5人前くらいの量があるかなー。
いいね、いいねー。

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ほんで、見てみてやー、このシャープなカド!
かといって、生煮えっぽいコシがあるわけでない。
ちゃんと、微粉の蕎麦の味と香りが引き出せてる、伝統的なもっちり系の茹で方だ。

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なのに、充分な歯ごたえとつるつる感が楽しめるのは、この太さにあるんだろうな。
ココのは、明らかに直系の「更科堀井」より太いね。
でも、太麺というほどは太くない。
文字通り中太。
細からず、太からず、見たことのない絶妙な中太だ。

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これが、まあるく枯れた辛汁とあいまって、“これぞ、蕎麦!!” という風味を醸し出しているね。
蕎麦粉の香りと味をパワフルに味わえながら、つるつるの喉越しを失わないギリギリの太さ。
そして、出しの味をかぶせ過ぎない蕎麦汁。

これは、独自の完成形なんだなー。
感動してしまう。

他店のことを出すのは御法度かもしれないけど、
このスタイルは「上野藪」や浦和にある「分上野藪かねこ」と似ているかもしれないな。
僕が知っている更科とは、まったく似ていない。

「布恒更科」は、あの名店「有楽町更科」の血縁店だけど、
「有楽町更科」もこういう蕎麦だったんだろうか。
いや、「布恒更科」は、恒次郎の四男・伊島 節が機械打ちを手打ちに変えて、
誰にも教わらずにコツコツと名店を築き上げてきたんだから、
このスタイルは完全なオリジナルなのかもしれないね。
これはもはや、更科ではなく伊島の暖簾の味なんだろうな。
いやー、なるほどすばらしかった!

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ごちそうさまでした!!

蕎麦屋らしい季節の料理や季節の蕎麦も「布恒」の魅力。
何度も通いたくなる店だねー。

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もり蕎麦の人向けに出された蕎麦湯だけど、
僕はもちろん「飲むかい?」と聞いたのだった。
Kくんは、もちろん飲んだのだった。



●『築地 布恒更科』(つきじ ぬのつねさらしな)
東京都中央区築地2-15-20
03-3545-8170
[月~金] 11:00~15:00(L.O14:45)、17:00~21:00(L.O)
[土] 11:00~15:00(L.O)
ランチ営業
定休日/日曜・祝日


江戸の名物店は、名物づくし ~ 『室町砂場』



その日は、4月の始め。

都内の御茶ノ水で打合せがあって、午後3時過ぎに終わり。
その後は、別件で6時からスタッフと打ち合わせて、後は呑みにでも、という予定。
いみじくも、御茶ノ水といえばあーた、“蕎麦屋の博覧会会場” みたいなもん。
こりゃあもう、“昼下がりのゆるり” をやるしかないっしょ!

というわけで、御茶ノ水駅からはちょっと遠いんだけど、
よく行く神田まつやを通り越してJR神田駅の方へ。
そう、中休みのない店は、都内でもありそうでなかなかないのだ。
今川焼(=回転焼き)発祥の地・今川橋の交差点をちょいと行ってたどり着いたのは、
えへん、『室町砂場』であーる。

室町砂場といえば、あーた、
東京の三大のれん -「砂場」「藪」「更科」の砂場の代表みたいな店だよー。
「虎ノ門砂場」も申し分ないけど、ココんちは浅草の「並木藪」と比して賞されるほど。
東京の老舗名店の中でも5本、いや3本の指に数えられる蕎麦屋なんだ。

いまも続く砂場の江戸ルーツは2系統あって(※1)、
一つは1815年にはすでにあった「久保町すなば(現 巴町砂場)」で、
もう一つは1813年の記録にある「砂場そば 糀町七丁目砂場藤吉」から、直系の「南千住砂場」と、
暖簾分けの「本石町砂場」と「琴平町砂場」の3つに派生した系統。
そう、その琴平町砂場が現在の「虎ノ門砂場」で、本石町砂場がココ「室町砂場」なのだ。

本石町砂場は、最初は慶應年間(1865-68)に芝高輪の魚籃坂に開店したんだけど、
その頃の店名はわからない。
その後、理由は不明なんだけど、明治2年に日本橋に移転。
その日本橋の町名が本石町だったから、「本石町砂場」となったわけ。
関東大震災後の区画整理で町名が “室町” と変わったので、「室町砂場」なのだ。

000室町砂場_一軒家
関東大震災後から昭和49年までは、味わい深い平屋の一軒家だった

001室町砂場_入口
いまは “砂場ビル”

002室町砂場_入口正面

店内は、あがりに4人掛けのテーブルが3つといす掛けテーブルの配置で
40人くらいは入られる造り。
2008年にリニューアルされた2階は、予約席が中心で掘り炬燵式の個室が複数あるらしい。

003室町砂場_店内あがり

004室町砂場_店内帳場
蕎麦屋の「帳場」(正面)は、店内はもちろん調理場も客が入ってくる入口も
全部が見渡せる位置に据えて造られている
んだよ

さてさて、お品書きは・・・
一品料理のオーソドックスさというかオーセンティックさというかはぴかいち。
ザ・蕎麦屋とでも言うようなラインナップだねー。

005室町砂場_品書き一品料理

「なま海苔」、「梅くらげ」というのがわりと珍しいくらいかな。
それから、手間と時間のかかる「茶わんむし」と「小田巻きむし」もある。
季節のツマミも、蕎麦屋らしい手間のかからないものや作り置きのきくものが中心だね。

蕎麦のメニューの基本は、「ざる」がさらしな粉、
「もり」やあったかい種物が一番粉で打たれていることだ。
竹の子や松たけ、あられ(青柳の小柱)を使った季節のものの他、蕎麦屋の定番がズラリ。

006室町砂場_品書き蕎麦

そしてやっぱり、ココの目玉の「天ざる」「天もり」でしょ!
「天もり」っていうと、フツーはサクッと揚がった天ぷらの盛り合わせと、
もり蕎麦と、もり汁&薬味が出てくると思うけど、ココのはちょっと違うんだよね。
“あったかいかき揚げ天ぷら蕎麦をたのんで、その麺をどんぶりの中に入れないでせいろ盛りにした”
感じなんだよ、わかりずらいかな。
んーと、あったかい汁にかき揚げを浮かべたどんぶりと、
冷たいもり蕎麦が出てくる
ということ。

これは、夏の暑い時期にあったかい天ぷら蕎麦の売上ががぐんと落ちるため、
夏でもさっぱり食べられる天ぷら蕎麦を、ということで考えられたものだそうだ。
昭和23年に、ココ「室町砂場」が最初にメニューにしたらしいよ。
いまでは、「天汁そば」なんて名前で出している店もけっこうあるよね。

でも、ココの「天ざる」、「天もり」の汁は、いわゆる天つゆとはちょっと違うんだな。
あったかい蕎麦用の “甘汁” でもなく、冷たい蕎麦用の “辛汁” でもない、その中間くらい。
“ちょっと濃い甘汁” といった感じ、つまり “ぶっかけ” に使う汁の濃さくらいだと思う。
フツーの天つゆや甘汁の濃さでは、もりのつけ麺の汁には味が物足りないし、
辛汁だと天ぷらがしょっぱくなるからだね。

それゆえに、この「天もり」「天ざる」には賛否両論あって、
「あんなレロレロになった天ぷらが食えるかい、つけ汁としたって味が薄いわい」という意見と、
「かき揚げ天から浸み出る旨味がつゆに混じって実にうまい」という意見で割れる。
まあ、確かにそうだね。
でも、ココだってこれしかないわけじゃないし、これはこれでおもしろいんじゃないかなあ。

007室町砂場_品書き飲物

飲物のメニューに、「ウイスキー」があるのがちょっと珍しいかな。
これは、大正時代にはすでにあったメニューだそうで、
当時は、みつ豆や抹茶クリーム、クリームソーダなんかの甘味もあったそうだ。
つまり、室町砂場は本来、新メニューの開拓で先を走っているハイカラな蕎麦屋だったのだ。
いまは、オーセンティックな蕎麦屋の代表みたいになっているけどね。



たのむものはもう決めていたんだけど、花番さんにちょっと意地悪をしてみた。
「黄色い蕎麦、ありますか?」って聞いてみたんだよ。
花番さんはちょっと考えて、「ウチにはそういうのはありませんねぇ」。
きっと、柚子切りとかウコン切りのことだと思ったんだろうね。

砂場といえば、一番粉二番粉を玉子つなぎで打った「黄色」、
藪といえば、蕎麦もやしやクロレラをつなぎにした「緑」、
更科なら、まっ白なさらしな粉の「白」
というのが、
三大のれんそれぞれの蕎麦の色ということなっているんだよな。
ホントは意地悪じゃなくて、さらしな粉の「ざる」と一番粉の「もり」のどっちが
砂場の “黄色い蕎麦” なのかわからなかったので、聞いてみたんだよ。
すんませんでした、変なこと聞いて。

よーし、じゃたのむぜー、というわけで、『天もり』とサッポロ!
でも、ココでもちょっと変則注文をば・・・
「かき揚げの入った汁だけ先に出してもらえますぅ?
それで、後からもりを持ってきてもらえますか?」

「はい、お蕎麦を出す時、呼んでくださいね」、ということに。
天&汁をツマミにビールを呑んで、いい頃合いに蕎麦を持ってきてもらおうという魂胆ですねぇ。
はいはい、またセコいやりかたですねぇ。

まずはビールがやってきた!
4月のアタマだったけどポカポカな日だったし、
お茶の水から30分近く歩いてきたので、プハーッ、うまい!
ビールをうまく呑むコツは、注ぎ方や冷やし方じゃない、カラダの動かし方だぜ、ってか。

ややあって、お待ちかねー、室町砂場名物「天もり」の “汁にドボンの天ぷら” がやってきたー。

008室町砂場_天ぷら引き

あれっ?小っちゃいんだあ。
うん、天汁のどんぶりのこと。
友達からメールしてもらった写真や、他の方のブログの写真で見た印象では、
かけ蕎麦のどんぶりくらいあるのかと思っていたんだけど、
実際は直径11~12cmくらいかな、ご飯茶碗くらいの大きさなのだ。
男なら思わず「なんだ、小っちゃいんだ」ともらすだろうな。
女性なら「かわいいー」って言うかも知れない。

009室町砂場_天ぷら寄り

写真を撮っている間に、みるみるレロレロに。

010室町砂場_天ぷらアップ

レロレロだけど、濃いめの温汁との相性はバツグンで、やっぱりこれはウマイ!
ほら、天かすの入ったうどんの汁、おいしいよね?
東京のは、ちょっと醤油が濃いけどね。
中身は海老(芝海老?)と小柱。

011室町砂場_天ぷらツマミ

でもねー、これはビールには合わないなあ。
まあ、味覚的には食べられないということは全然ないんだけど、
やっぱりこのジャパニーズな「醤油+甘味+だし」の味には、清酒か焼酎だろうなあ。
ビールでも上面発酵のビール、たとえばドイツの黒いビールや
甘口のベルギービールあたりなら合うだろうと思う
けど。



そうそう、ココ「室町砂場」のもうひとつの名物は、ビルなのに庭があることだ。
“坪庭” っていうんだってね、こういうの。

012室町砂場_中庭

建物と建物に間にあったり、敷地の一部でも垣根などで囲まれた小さな庭のこと、だそうだ。
狭いスペースでも、光や風を取り込める工夫だとのこと。

013室町砂場_中庭獅子脅し

まあ、よく手入れされているんだけど、ホントに1坪か2坪くらいしかない小さな庭で、
田舎の蕎麦屋に行けば大庭園のある店がたくさんあるので、なんだこれ、って感じだけど、
日銀や三越なんかがそばにあるくらいの都会の真ん中なので、
これはとても贅沢なもんなんだろうね。
なにしろ、ひと坪=ン百万円の土地だもんねー。
確かに、ホッと一息つける空間を作り出しているねー。

014室町砂場_中庭灯篭



そういえば、もひとつココの名物があった!
これこれ、この口上2つ

015室町砂場_口上もののけ
「するめ」を「あたりめ」と言い換えたり・・・飲食店っていろいろ験を担ぐよね

016室町砂場_口上つゆ薬味



ビールを呑み切りそうになったので、もり蕎麦の本体を注文!

017室町砂場_もり

おー、これも写真ではわかりずらいけど、蒸籠の大きさが絶妙だ。
簡単に言うと、“小さくて浅い” んだけど、なんて言うのかなあ、
大きからず、小さ過ぎず、真四角じゃないし、横長でもない、
仕事柄、寸法には敏感なんだけど・・・んー、規格外、独自の寸法なんだなきっと。
小さめなのに、妙に存在を主張する大きさだ。
しかも、全身赤塗り!
これは、若い女の子はきっと、「かわいいーっ」って言うんじゃないかと思う。
うん、お洒落な感じなんだよ、言葉にするのはむずかしいけど。

もりの麺も玉子つなぎなのかな?ざる(さらしな粉)のほうだけなのかな?
僕には、わからないなあ、だから花番さんに聞いたのに。ブツブツ

018室町砂場_もり寄り

この麺は、同じ砂場でも「虎ノ門砂場」とは全然違う。
コシがけっこう強くて、緑色も濃い、そして、長い!

手打ちで長い蕎麦を作るのはかなりむずかしいんだけど、
本来は、1辺90cmの四角に延ばした蕎麦の麺帯を4つか8つに折って、
最初の2つ折りの辺を切ってしまうので、麺1本45cmくらいの長さになるもんなんだよ。
けっこう長いけど、箸で麺を2つ折に数本持ち上げると22・3cmになって、
それを蕎麦猪口に3分の1から2分の1浸けて顔の前に持っていくと、ほら、
ちょうど口の高さに箸がくるようにできている
んだそうだ。
へぇー、なるほどねー、でしょ?
その長さを地でいっているのは、さすがなんだねー。

019室町砂場_もりアップ

麺の量は、そう、なんだぇーケチケチしやがって、って言いたくなる量かな。
でも、ツマミと酒を蕎麦前にやると、こんなもんでちょうどいいや、
という感じにできているんだな、これが。
食事としてガッツリ食べたい人には、もりなら2枚必要になるんだろうね。

僕もかってそうだったんだけど、若い人が蕎麦屋に寄りつかない理由のひとつに
そんな麺やおかずの量の少なさがあると思うな。
僕もその昔、バイト先の先輩が「めしをおごってやる」というのでついて行ったら、
かつ丼や親子丼のない蕎麦屋で、がっかりしたことが何度かあったもんね。
若モンはやっぱり、かつ丼とかハンバーグとかチャーシュー麺とか食べたいよね。

つゆ(もり汁)は、生醤油を使った藪ほどは塩辛くなく、更科ほどは甘くなく、
魚出しの臭さもない、でも旨味はそりゃ市販のつゆとは比べものにならない、といった味なのだ。
こればっかりは、代々の店主が神経を注いでン百年、老舗の迫力が伝わってくるねー。

020室町砂場_蕎麦湯



あ、いけね、ココにはさらにもひとつ名物があったっけ。
それは、マッチなのだ。

021室町砂場_マッチ表
行ったのは、4月の始めだから「桜」なんだね

022室町砂場_マッチ裏
この日本画調のイラストが四季ごとに変わる

これは、年4回四季で絵柄が変わるんだっけな。
これを愉しみにコレクションしている人もいるそうだ。
ストーブにも、コンロにも、ろうそくにも、タバコにもマッチを使わなくなったいま、
マッチ集めはいよいよマニアックな趣味になっちゃったのでは?
つまりこのマッチは、この店の趣味性とか嗜好性とかを象徴しているのではなかろうか、
なんちゃってね。

こうやって書いてみて、老舗なんてなんぼでもあるのに、
「室町砂場」がなんで人気なのかがわかった気がするなあ。
日本でもトップクラスに古い、というだけでなく、“名物” がたくさんあるんだもんね。
味づくり、店づくりにいかにきめ細かく心血注いでるか、ってことだよね。
しかも、百数十年も。

023室町砂場_暖簾

024室町砂場_行燈




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※1
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その砂場は、豊臣秀吉が大坂城建設を始めた時に作られた、砂や砂利や建設資材置き場のことだと。
そのあたりを“砂場” という呼び名で呼んでいたらしい。

それで、大坂城建設着手の翌年の1584年には資材置き場で職人に食事を提供するための蕎麦屋があった、
という有力な説があって、それが日本初の「蕎麦屋」だ、
ということになっているみたいだけど、真偽がはっきりしないらしい。

でも、記録では “蕎麦切り” 自体はそれより10年も前にあったことが確認されているし、
そのエリアを “砂場” という呼び名で呼んでいたことは間違いのないこと。

秀吉が作った大坂城とともに豊臣氏が滅ぼされて、
徳川による大坂城が完成した1629年に、空き地になった砂置き場に、
幕府が「新町」として遊郭街を作ったそうだ。お上公認だよ。
その辺がやっぱり俗称で、“新町砂場”と呼ばれていたみたいだね。

そこは後に、江戸の吉原、京都の島原、大坂の新町と呼ばれるほどの
一大欲望産業エリアになったそうだ。
いまの大阪市西区新町の二丁目と三丁目のあたり。

記録では、その “新町砂場”には2軒の人気麺類屋があったそうだ。
「和泉屋(いずみや)」と「津国屋(つのくにや)」。
庶民に “砂場の蕎麦屋” という呼ばれ方をして、
そのうち屋号じゃなくて “砂場” で通るようになった、
というのが『砂場』の起こりらしいね。

1700年代や1800年代に発刊された書物を比較すると、
この2つのどっちかが、記録に残る日本最古の『砂場』ということらしい。

つまり・・・

① 記録に残る日本最古の蕎麦屋は、江戸ではなく大阪にあった
② 記録に残る日本最古の蕎麦屋は、『砂場』である
③「和泉屋」と「津国屋」のどっちかが砂場の第一号店

・・・ということになるわけだ。

でもこれは、あくまで “記録に残る” であって、当時の有名店という意味に近いと思うな。
だって、当時の大坂や江戸の繁華街には、蕎麦やうどんを食べさせる屋台や茶屋がたくさんあったんだから。

江戸で初めて蕎麦屋の『砂場』の文字が登場するのは、1751年に発刊された「蕎麦全書」とのこと。
有名な日新舎友蕎子の著作で、「薬研掘大和屋大坂砂場そば」という店名が出てくるらしい。
ここでも、砂場が大坂発祥であることがわかるよね。

だけど、この「大和屋」が、最古の「和泉屋」や「津国屋」と関係あるかどうかはわからない。
ただ、1629年から1751年の間のどっかで、大坂から江戸に『大坂砂場そば』が進出してきた、
ということは確かなわけだよな。

1751年以降の書物では、いまの中央区に “砂場” のつく蕎麦屋があったことや、
「浅草黒舟町角砂場蕎麦」という店があったことなどが確認されているから、
1700年代後半には、江戸にもけっこうな数の “砂場”があったはずだよね。

1800年代になったら、当時の書物に登場する “砂場”の数もふえて、
「茅場町すなば大坂屋」とか「久保町すなば」、「砂場そば 糀町七丁目砂場藤吉」、
「砂場そば茅場町定吉」、「砂場そば深川御舟蔵前須原屋久次郎」、「兼房町砂場安兵衛」、
「浅草黒舟町角砂場重兵衛」、「本所亀沢町砂場兵蔵」なんかがあるんだけど、
このうちの「久保町すなば」が、いまに残る『巴町砂場』で、
「砂場そば 糀町七丁目砂場藤吉」が、いまの『南千住砂場』。
でも、どれも、大坂のどこの砂場とつながりがあるのか、わからないらしい。

茅場町のすなばや浅草黒舟町の砂場は、どこへ行っちゃったんだろう。
その人たちだって、江戸時代から続く東京の砂場の元祖であるはずなのに。

というわけで、いまも続く江戸の砂場の系列は、2本あるということになるねぇ。

「久保町すなば」は、元々、徳川家康が名付けたとされる御用屋敷街の久保町というところにあった。
町屋立ち退きの命令が出て微妙に引っ越したりしてるけど、
いまだにずっと東京都港区にある愛宕山の近くにあるのだ。
明治になって町名が巴町になってから、店名が『巴町砂場』に変わった。
現在(平成25年)のご主人(萩原長昭氏)で15代目!
これが、2本の系列うちの1本。

もう1本の系列は、その「砂場そば 糀町七丁目砂場藤吉」だけど、
1813年にはもう存在してて、1848年には江戸の名物のひとつとして超有名店になってたとのこと。
いまの千代田区麹町4丁目あたりにあったらしいんだけど、
麹町は江戸城外堀の四谷見附より内側だから、当然、
フツーには町屋を建てられない武家屋敷町のまっただ中だし、
当家が持っている江戸時代の資料に、1831年に長岡という名字が書かれているから
ただの蕎麦屋ではなかったと考えられているんだそうだ。

その名店が、12代目の紋次郎の時に財テクで失敗して、大正元年に南千住へ移転して
いまの『南千住砂場 砂場総本家』となったんだって。
平成25年現在のご主人、長岡孝嗣さんは14代目!

『巴町砂場』と一緒に江戸蕎麦・砂場のルーツを背負っているなんて、スゲーな、って感じだけど、
どうも、趣味蕎麦の店として高級路線を進んでいる巴町とは正反対で、
めちゃめちゃ庶民派路線を突っ走っているらしい。
庶民の足・都電荒川線が近くを走っているのとは、関係ないと思うけど。

ところで、その南千住砂場の前身「砂場そば 糀町七丁目砂場藤吉」は、
江戸から明治の動乱期もものともせず生き残り、「本石町砂場」と「琴平町砂場」の2店も生んだ。

「本石町砂場」は、最初、慶應年間(1865~68年)に暖簾分けで高輪の魚籃坂に出店した後、
明治2年に日本橋に移転してできた店。
これが、なんといまの『室町砂場』。
その室町砂場から、親族により昭和39年に生まれたのが、いまもやってる『赤坂砂場(室町砂場赤坂店)』。

「琴平町砂場」は、明治5年、「砂場そば 糀町七丁目砂場藤吉」の職人だった稲垣音次郎が
暖簾分けしてもらって出した店で、これが、Hくん日用の『虎ノ門 大坂屋 砂場』。
いまの建物は、大正12年に建てられて平成7年に改修も加えられたものだけど、
場所は、明治5年の創業の時から変わっていないというからすごいねー。

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●『室町砂場』
東京都中央区日本橋室町4-1-13 砂場ビル
03-3241-4038
月~金 11:30~21:00(L.O.20:30)
土 11:30~16:00(L.O.15:30)
定休日/日・祝