ゆらゆら草
もう少し感受性を働かせれば、毎日がスペシャルになる。そう自分に言い聞かせて、 いろいろ感じたことを書きとめてみよっと。
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これを知らないとおもしろくない ~『チャップリンからの贈りもの』

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実話を元に作られたハナシ。

刑務所から出てきたはいいけど、職がなくて困っている男と、
貧しくて奥さんの入院費も払えず、
子供の進学の希望も叶えてやれそうもない男がいたんだよ。

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時は、1978年。
ところは、スイスの田舎町。
二人は辛い生活から抜け出したくて、犯罪に手を染めて金を稼ごうと計画。
人を誘拐して、身代金を稼ごうとするんだな。

ターゲットは、大富豪のチャップリンだ。
あれ? でも、チャップリンは1977年のクリスマスに亡くなっているはず。
そう、その二人はチャップリンの遺体を誘拐したんだよ、
レマン湖のほとりにある墓を掘り起こしてね。

なるほど、グッドアイデアかもしれない!
生きてる人間を誘拐したら、世話をするのが大変だし、
万一捕まった時の罪も、遺体より重いよね。
そもそも遺体の場合、誘拐って言うのかねぇ?

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まあ、グッドアイデアではあるけど、
二人は誘拐なんやったことなくて、いろいろと不手際が。
あれやこれやのヨーロッパ的なクスクス笑いをちりばめながらハナシは進んで、
超意外な結末で感動とともに終わるんだなあ。

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ヨーロッパの名コメディアンである二人のボケかましは、
そう、まるでチャップリン映画の21世紀版!
おー、そうかそうか、なるほどおもしろかった、
はい、おしまい・・・って映画だな、フツーに観てると。

んー、なんだか大したおもしろくねぇーな、ってな感想を持つ人も
少なくないじゃないかと思う。
でも、それはチャップリンのことを知らない、または忘れてると
そういうことになるんじゃないかな。



映画には時々、「これを知らないと、意味がわからない」、
「これを知らないと、全然おもしろくない」というポイントがあるんだなあ。
人呼んで “これ知らポイント” (誰も呼んでねぇーわ)。
この作品のそれは、↓コレだっ。

ここから先は超ネタバレなので、
この映画を観ようと思っている人は読まない方がよろしいかと。
●もう観たよ
●とりあえず、観るつもりはない
・・・という方はぜひどうぞ。



この映画は、実話を元に作られた、ほんわかあったかいコメディに見えるけど、
よくよく観察すると、ヨーロッパの映画によくある
メタファーに富んだ作品だと言いたいんだよ。

たとえば・・・
主人公の二人がチャップリンの墓を掘って、棺を取り出すんだけど、
それは、貧しい者や被差別マイノリテイを元気づけてきたチャップリンの
“叫び” みたいなもんが墓から蘇ったことを表わしている
んじゃないかな。

貧しい二人の生活費や入院費の助けになるのが身代金なのだし、
二人はベルギーとアルジェリアから逃げるようにスイスにやってきた
フランス系移民という設定なんだよ。

「人生に必要なものは、勇気と想像力。それといくらかのお金だ」
っちゅう、チャップリンの名言を思い出すよね。

それから、この犯人の二人を追いつめて逮捕に協力するのが
チャップリンの秘書で、ノルマンディ作戦で活躍したという元軍人。

彼は、盗まれた棺をきっちり取り戻して墓地に戻す功労者に見えるけど、
これは、せっかく復活した “チャップリン的平和主義” を
“またもや、軍国主義的なものが葬った”
、という意味なんじゃないかな。

彼は皮肉にも、発見されてまた墓地へ戻されるチャップリンの棺に
軍隊式の敬礼をするんだよ。
平和主義が葬られて、現代に軍国主義的なものが復活しつつある
ということを言いたいのかもしれないな。

ここで、“またもや” という言い方が気にならない?
それから、「なんで、チャップリンの墓がスイスに?」って思わない?
そう、そこがこの映画の “これ知らポイント” だよ。

“またもや、軍国主義的なものに葬られた” って僕は書いたけど、
そう、チャップリンは前回も軍国主義的なものに葬られたんだね。



チャールズ・スペンサー・チャップリンが生まれたのは、1889年。
イギリス、ロンドン・ケニントン地区。
孤児同然で幼少期を過ごして、さまざまな職業を経験する中、
さまざまな劇団に参加しているうちに俳優として芽が出る。

劇団のアメリカ巡業時に才能を評価されて、初の映画出演。
たちまち人気者に。
27才の時には、アメリカ大統領の7倍もの年俸をもらう
大スターになっていたんだね。

1918年に、自身のスタジオを設立。
1919年には、配給会社ユナイテッド・アーティスツの設立に出資。
1921年『キッド』、1925年『黄金狂時代』、1928年『サーカス』、
1931年『街の灯』と大ヒットを飛ばすけど、
この頃から、“資本主義社会の犠牲になっているプロレタリアートの
怒りを表現” する作風から、危険思想家としてのレッテルを
貼られたりする
ようになるんだな。

さらには、大不況にあえぐ労働者を描いた『モダン・タイムス(1936)』や
ヒトラーを揶揄した『独裁者(1940)』、
反戦をテーマにしたブラック・コメディ『殺人狂時代(1947)』などを
次々にヒットさせて、審判は下ったんだな。

1952年、チャップリンは “赤狩り” にあって、国外追放に処されたんだよ。
貧しい労働者の友達だけど、ファシズムに燃える
当時のアメリカの敵とみなされたんだな。
ナチズムを批判した『独裁者』でさえ、ファシズム=連合国の政策
をも批判しているいう論調があったんだそうだ。

逆に、左派団体から表彰されたりもするんだけど、
労働者の味方を標榜する映画で大富豪になったチャップリンを
“偽善者” として憎む左翼もいたんだそうだ。

本人は、右でも左でもなく、ただ貧しい人を助けてあげたい、
世界から戦争がなくなればいい、と思っていだけなんだろうね。

そんな目にあって、チャップリンはスイスに移り住んだんだよ。
戦後もファシズムが残っていたアメリカにも、
同様の母国イギリスにも住めなかったんだな。

その後、1972年に、事実上のハリウッドからの謝罪となった
「アカデミー賞名誉賞」が授与。
1975年、エリザベス2世からナイトに叙勲されたけど、
1977年のクリスマスの朝に88才で他界するまで、
スイスを離れることはなかったんだな。

だから、チャップリンは実質、 “軍国主義的なものに葬られた”
ということなんだよ。
だからこの映画の、元軍人の秘書に敬礼されて棺が墓に戻されるシーンは
平和主義的なものが軍国主義的なものにいままた葬り去られようとしている
って比喩しているんじゃないかと思うんだよ、僕は。



主人公の一人は、逮捕される直前にサーカスでピエロとして働いているんだよね。
サーカスの出し物のピエロの道化劇。
二人のピエロが戦って、最後に相打ちで二人とも死んでしまう。

これもメタファーだとしたら、このピエロとピエロは誰なんだろう?



チャップリンの住んだ町では、ヨーロッパ最古のサーカス「クニー・サーカス」というのが
巡業でやってきて、いまでも年中行事の一つとして行なわれているらしいんだね。

チャップリンは移住以来、毎年欠かさずにこのサーカスを観に行ったそうだ。



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●チャップリンからの贈りもの(La rancon de la gloire)
2014 フランス
上映時間:115分
監督:グザビエ・ボーボワ
脚本:グザビエ・ボーボワ、エチエンヌ・コマール
製作:ニッキ・シルバー、ジェフ・ブリッジス、ニール・コーニグスバーグ
撮影:カロリーヌ・シャンプティエ
音楽:ミシェル・ルグラン
編集:マリー=ジュリー・マイユ
美術:ヤン・メガール
衣装: フランソワーズ・ニコレ
ヘアメイク: カトリーヌ・ブリュション
音声: ジャン=ジャック・フェラン / エリック・ボナール / ロイク・プリアン
キャスティング: ブリジット・モワドン
記録: アガト・グラウ
配給:ギャガ
出演:ブノワ・ポールブールド、ロシュディ・ゼム、キアラ・マストロヤンニ、
   ピーター・コヨーテ、セリ・グマッシュ、ナディーン・ラバキー、
   グザビエ・マリー、アーサー・ボーボワ、ドロレス・チャップリン、
   ユージーン・チャップリン、グザビエ・ボーボワ、アデル・バンシェリフ、
   オリビエ・ラブルダン、マリリン・カント、フィリップ・ロダンバッシュ、
   ルイ=ド・ドゥ・ランクザン、バンサン・オーベール ほか







♪ Terry's theme (Limelight)





チャップリンのスピーチ 『独裁者』から




幸せなドイツの無気力と再生 ~ 『コーヒーをめぐる冒険』

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モノクロのドイツ映画。
どっかで聞いたことがあるよね。

ジム・ジャームッシュは、高感度フィルムで真っ白な紙に墨がにじんだような
モノクロームの映像を魅せてくれた。
でも、この監督は、もっとパキッとした白黒バランスの世界を撮ってくれたんだな。
いずれも、アングルやオブジェクトの配置に精緻を極めている。
一つ一つのカットがまるで絵画のような “決め” が入っているよなあ。

映像アートとしては完璧に近いのでは?
いくつかのとりとめもない出来事で構成されているから、
質の高い素材を集めたコラージュとでも言うのかな。
パンフォーカスとアウトフォーカスのコントラストも絶妙だね。

でも、この映画のストーリーは、ちっともおもしろくない。
そういう意味では、ジム・ジャームッシュの作品と同じかもしれない。
「けっこういいから、観てみたら」とはなかなか言い難いものがあるなー。




ベルリンの街に、ニコという若者が住んでいる。
2年前に大学を辞めたのを内緒にしながら、親の仕送りで生活している。

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ニコはある朝、彼女のベッドで目を覚ますけど、
なんとなくギクシャクした雰囲気で彼女と別れてしまう。
そして、目覚めのコーヒーを飲み損なってしまう

免許は取消しになるし、親に大学を辞めたことがバレてクレジットカードも停止、
カフェでコーヒーを頼んだはいいけど、持ち金が足りなくてまた飲み損ない。
アパートの2階に住む変なおっさんにも絡まれる。

気晴らしに、大役のオファーを待っているばかりでちっとも仕事をしない役者の友達に会いに行く。
そこで、高校時代の同級生のユリカという女の子と再会する。

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ユリカは当時、デブだったせいで、ニコにいじめられていたんだけど、
いまはダイエットに成功して、前衛舞踏のパフォーマーをやっている。
せっかくの再会なのに、彼女ともズレのようなものを感じて別れてしまう。

無気力なんだなー。
ニコは、何に対しても積極的に接しようとしない。
欲もないし、問題を解決しようとする気力もない。
ただ、浮遊しているだけの若者なんだよ。

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そういう若者がドイツにもいるんだ、ってちょっと驚いた。
まるで、いまの日本のニートとかひきこもりとか呼ばれる人種とおんなじだよね。
そうそう、前田あっちゃんが主演した『もらとりあむタマ子』を思い出したよ。

原題は、『Oh Boy』。
訳すと、「あんたって子は」とか、「しょうがないな、お前は」、ってな感じかな。
うん、主人公のニコはまさにそんな感じの若者よ。

コーヒーの飲み損ないと小さなアクシデントの繰り返し。
そう、コーヒーにうまくありつけた時が、ニコのモラトリアムが終わる時なんだろーなー、
ってだんだん気づいてくるんだな、観てると。

淡々と、ぽわわーんと繰り返されるとりとめもないアクシデント。
それを観た人が、『ストレンジャー・パラダイス』と似ていると思っても不思議じゃないな。
でもね、この物語では、最後にバーで出会った老人のある昔話を聞いて、ニコは再生するんだよ。

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●ナチス時代のドイツよさようなら、新しいドイツを創っていく若者たちへ

ここからは、ネタバレだよーん。
この映画を観るつもりの人は、観てから読んだほうがいいと思う。
観て、「なんだ、ちっともおもしろくねーなー」と思ったら、ぜひぜひこの後を読んでみてねー。

僕が、この映画のストーリーは、ちっともおもしろくない、って書いたのは、
それは僕らが日本人だからなんだよ、たぶん。

だってね、この映画は、2013年のドイツのアカデミー賞の主要6部門を総なめにした作品なんだよ。
それが、ホントはおもしろくないはずがないないよね。
いや、実際はおもしろくないアカデミー賞作品もいっぱいあるけどね。
でもさ、いろいろないきさつはあるとしても、大勢のドイツ国民が絶賛したわけだ。
こういう場合、おもしろくないのは、自分のせい。
自分のほうが少数派なのだ。
僕は、どこの国の賞でもそういうふうに考えるようにしてるんだ。

それでちょっと調べてみたら、あったあった。
「これ知らポイント」=これを知らないと、この映画はおもしろくないポイント。
この作品のミソは、ニコが最後に会う老人との会話にあったんだなー。



老人はすぐに、ニコがある年頃の若者にありがちなモラトリアム状態であることに気づく。
「まわりの人間が何語を話しているか、わからないだろう」って切り出すからだ。
老人は諭すように話し出すんだな。
老人が子供の頃に、父親に家の外に連れ出されて、
いまいるカフェのウィンドウに石を投げるように強制されたことを。

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それは、「水晶の夜事件(Kristallnacht:クリスタル・ナハト)」という歴史的な事件のことなんだな。
それは、1938年11月9日夜に発生したドイツ民衆による反ユダヤ暴動なのさ。
ドイツ各地のユダヤ人の住居やシナゴーグなどが襲撃、放火された事件。

ドイツでは、すでにナチス党によって、ユダヤ人への差別が行われていたんだけど、
在独のポーランド国籍を持つユダヤ人は対象外だったんだよ。
でも、ドイツとポーランド政府の政策によって、
在独のポーランド系ユダヤ人の迫害がスタートした事件なんだそうだ。
それで、この事件の後からさらにユダヤ人の立場が悪くなって、
後に起こるホロコーストへの起点の一つとなったと言われているんだよ。
主謀したのは、ドイツ民衆ではなくて、ナチスという説もある。
“水晶の夜” というのは、事件の夜、破壊されたガラスが月明かりに照らされて
水晶のようにきらめいていたからだそうだ。

劇中では、こういう説明はまったくないから、日本人には全然ぴんと来ない。
たいがいのドイツ人なら、ぱっとこの映画の意味がわかるというわけだ。



ドイツは、ナチスが扇動した第二次大戦で負けて、多額の戦争負債を負わされた。
そして、ユダヤ人を妻に持ち、ユダヤ人を助けたドイツ人までもが鬼畜扱いをされて、
つらい戦後を生きてきたんだね。

そして、ベルリンの壁の崩壊
東西統一という国民の夢が叶ったんだけど、ドイツ経済の発展には大きなマイナス要因になった。
それでもドイツはひたむきにやってきたんだね。

主人公のニコは、ベルリンの壁の崩壊の前後に生まれたという設定なんだろうね。
そういう “ドイツの戦後“ を身をもって知らない世代なのだ。
それなりの景気とそれなりの平和の中で生まれて育って、それなりの学校へ行って、
若者のごたぶんにもれずパンク症候群とでもいえる気分にひたってしまっているニコ。

それが、意味もわからずナチスに加担してしまった老人の話を聞いて、目を覚ます。
“我々は、ナチスの亡霊と、莫大な借金と、根深い民族統一問題を乗り越えて、いまあるのだ”。
老人の悲しい経験談を聞いて、そういうことを思い出す。
その日出会った人たちとの間で感じた “ズレ” は、いまのドイツを引っぱろうと健気に生きる人たちと
ぬるま湯につかったままの自分との温度差だったのだ。

そういうことにも気づいたに違いないと思う。

酔って店を出ようとした老人は、倒れて死んでしまう。
“ドイツの戦後“ はもう終わったのだ。

そう、『Oh Boy』のタイトルは、
「甘ちゃんの僕ちゃんよ、戦後の悪夢などもうないのに、立ち止まって何をぼやぼやしているんだい?
ドイツの未来はこれからなんだよ。君たち若い世代が創っていくんだよ」
・・・という叱咤激励そのもの
なんだと、僕は思う。
ニコはそれに気づいたんだね。
それぞれ意味は違うけど、その老人と父親が発した「底力をみせてやれ」というセリフが
パキッと伏線になっていたんだ!

最後にやっとありついたコーヒーの苦さに、ニコは無気力から覚醒したに違いない。

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ヴィム・ヴェンダース監督の『ベルリン・天使の詩』(1987年)が、
戦後の終焉と東西の統一を希求した作品なら、
この作品はその後のベルリンとドイツの繁栄を祈った作品なんだろうね。

この映画が封切られた頃、ドイツが戦争負債をすべて返済した、とのニュースが流れたね。
それも、この映画が国内で高く評価された原因の一つだったんだろうな。



同じ敗戦国だけど、僕はドイツがものすごくうらやましい。
この先、ドイツには希望ばかりがあり、日本には・・・?





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●コーヒーをめぐる冒険(Oh Boy)
2012 ドイツ
上映時間:85分
監督:ヤン・オーレ・ゲルスター
脚本:ヤン・オーレ・ゲルスター
製作:マルコス・カンティス、アレクサンダー・ワドー
撮影:アンジャ・シーメンス
編集:アンジャ・シーメンス
美術:ユリアーネ・フリードリヒ
衣装:ユリアーネ・マイヤー、イルディコ・オコリクサンニ
ヘアメイク:ダーナ・ビーラー
音楽:ザ・メジャー・マイナーズ、シェリリン・マクニール
音響:マグヌス・プフリューガー
配給:セテラ・インターナショナル
出演:トム・シリング、マルク・ホーゼマン、フリーデリッケ・ケンプター、
   ユストゥス・フォン・ドーナニー、ウルリッヒ・ノエテン ほか
受賞:2013年ドイツアカデミー賞・主要6部門受賞
   (作品賞・監督賞・脚本賞・主演男優賞・助演男優賞・音楽賞)


これを知らないとおもしろくない③ ~ 『砂の器』


砂の器_ポスター01


この映画を観たのは、10代後半頃だったと思う。
封切りからかなり年月の経ったリバイバル上映だったなあ。

いまでは、ちょっとした感動ですぐ泣いてしまうんだけど、
その当時、親に叱られて泣くこともなくなった僕は、
この映画を観ながらボロボロ涙を流す自分に驚いたものだった。

映画館の僕の座席の近くにいた女性が、
「うっ、うっ、ええっ、ええっ」と嗚咽をもらして泣いていた。
映画館でも家のテレビでも、物語を観ていて声を出して泣いている人に出くわしたのは初めてだった。
すごい映画だと思った。

砂の器_丹波加藤

それからずいぶん経って、2004年かあ、SMAPの中居くんのドラマ版がテレビ放映された。
それを観て、僕はあの “宿命” という曲を聴いて、やっぱり涙を抑えられなかったんだけど、
一緒に観た人たちはどうだ、「大しておもしろくなかった」だと。

えー、なんでそうなるんだろう、ってまわりに聞いてみてわかったよ。
一緒に観たうちの一人が、
「なんであそこでお遍路に出ちゃって、すぐに病院に行かなかったの?
お遍路なんて非科学的な・・・昔の話だからしょうがないのかもしれないけど」

なんて言ってたのだ。

僕は、そうか、らい病(ハンセン病)のことを知らないんだな、と気づいた。
あれは、“お遍路“ なんかじゃないんだ。
“失踪” もしくは “蒸発” なんだよ。
二度と戻らない旅の途中に、お遍路をしてただけ。

名前を捨てて、親兄弟、親戚と縁を切り、故郷を捨てて、入院もできず、
物乞いしながら放浪し続けて、道端や山奥でのたれ死ぬために出た旅
なんだよ。

砂の器_加藤

それをその時に教えてあげたとしても、
「えー、じゃあ、なんでそんな旅に出なきゃならないの?」なんて聞かれて、
めんどくさいことになったんだろうな、きっと。

そう、この映画は、ハンセン病がらい病と呼ばれていた頃のことを知らないと、
感動して、嗚咽をもらしながら泣くことなんかないし、
だいたい、なんで旅に出るのか、なんであんな事件が起こるのかもわからない。
物語が、根底から成立しなくなるんだね。

このドラマのことがあって、僕はこの日本映画の不朽の名作が朽ち始めていることに気づいたんだよ。
ハンセン病は、いまでは不治の病ではなく複合的な投薬治療で治るし、
「らい予防法」という悪法が1996年に廃止されて、人権問題や偏見・差別が解消に向かいつつあるんだけど、
それとともにこの物語の感動がだんだん薄れてきているんだな。
この映画は、医療や社会の進歩と反比例して朽ちていく “宿命” を持った映画なのだ、
医療の進歩や社会の改善は当然すばらしいことなのに。

そう、この映画の「これ知らポイント」は、
ずばり、“ハンセン病の人権問題、差別問題を知ること” だ。

こんなことを言っていると、
「お涙ちょうだい映画をおもしろく観たいからって、蒸し返すことはないだろう」
「せっかく消えそうになっている差別を再燃させるんじゃねぇ!」
といって、怒られそうな気がするけど、
こんな過ちをもう二度と起こしてはならない、という気持ちを込めて、
ちょっとだけ書き残して置こうと思う。

ハンセン病メモ

●1943年に特効薬が開発されるまでは、病状がすすむと、全身の皮膚にさまざまな発疹や結節ができ、
それが欠損したり、頭髪が脱毛したり、手足がマヒしたり指が欠損したり、目が開いたままになったりと
見た目にも “恐ろしい” 病気のひとつだった。

●それゆえに、12世紀頃から仏教上の業病、天刑病だと言われるようになり、
スピリチュアルな迷信も生まれる。

●江戸時代頃から、遺伝病であるとデマが定着する。

●上記の3つのことがあったため、罹患者のいる家族が村八分にあったり、迫害を受けたり、
この映画のように、血縁一族に迷惑をかけることを避けるため罹患者がひっそりと姿を消し、
あてもなく放浪・漂泊するというような悪習が第二次世界大戦後のしばらく後までも続いた
のだ。

いまでも、患者が名前を変えて入院をしてたり、
まわりに自身の素性を明かさなかったりということが続いている。


●明治時代頃から、うつる病気(感染力は弱いんだけど)であることが証明され、
差別が生まれ始め、隔離政策が実施される。
警察官による突然の連行や療養所での暴力制裁など、犯罪者のような扱いが横行する。

●1915年から、全国の男性患者を対象に、生殖能力をなくす断種手術が断行された。
1948年の「優生保護法」では、ハンセン病患者の名前を断種対象に指定。
この人間尊厳と未来を奪う断種手術は、1996年まで合法だった。

●1931年、「らい予防法」公布。すべてのハンセン病患者が、強制的に隔離されることに。
ハンセン病患者は病気を蔓延させ国力を衰退させる非国民だと決めつけられ、
一生隔離、その一族を根絶やしにしようとする運動もますます激しくなった。
この悪法は、なんとつい最近の1996年に廃止されるまで続いた。

●全国で、患者狩り、強制収容、強制消毒、村八分、一家離散、商売の廃業、破談、
施設利用拒否
などの差別が一般化。
療養所では、病人にも関わらず監獄のような強制労働までさせられた。




(あとは、ご自身で調べてみてください)


つまり、ハンセン病は、
「業や天刑に見舞われた、呪われた一族に遺伝する恐ろしい病気」とか、
「国を滅ぼす血を持った病気」という間違った認識で、
法的にも社会的にも抑圧された病気だった
ということ(いまでも皆無ではない)。
そのため、患者本人もその一族も罹患の事実を死んでも表沙汰にしてはならなかったこと、
一族離散や根絶やし政策、血縁末代までへの社会的差別から逃れるために、
家族と縁を切り、一人で他の土地で死んでいく道を選ぶ患者もたくさんいたこと、
それを知ったうえで、この映画を観るべきだというわけだ。


この映画は、そういう問題を糾弾した「社会派映画」の名作であるとともに、
「音楽映画」としても名作。
テーマ曲の “宿命” は、いまではピアノ曲やピアノコンチェルトの名曲として
世界的にも有名なんだよ。

そして、強烈な親子愛を描いた「ヒューマンドラマ」としても秀逸なんだね。
なんたって、嗚咽が出るくらい泣かされるんだから。

そもそも「推理サスペンス映画」であって、その点でも名作と評価されているんだ。
観れば、そのサスペンスパワーあふれる演技で、刑事役の丹波哲郎がただの霊感おじさんでなくて、
世界的な映画俳優だったということがわかるはず。

1970年代でもいまでも、こんなに立体的なコンセプトの日本映画が他にあったっけ?

砂の器_丹波森田

砂の器_島田

完全に意味がわからなくなる前に観てみたらどうだろう?
医学はどんどん進歩してるし、日本社会もますます公正になっていくはずなんだから。



砂の器_ポスター02

●『砂の器』
1974年 日本
上映時間:143分
配給:松竹
監督:野村芳太郎
製作:橋本忍、佐藤正之、三島与四治、川鍋兼男(企画)
原作:松本清張
脚本:橋本忍、山田洋次
音楽監督:芥川也寸志
作曲:菅野光亮
演奏・特別出演:東京交響楽団
撮影:川又昻
美術:森田郷平
録音:山本忠彦
出演:丹波哲郎、森田健作、加藤剛、加藤嘉、島田陽子、緒形拳、松山省二、春田和秀、山口果林、
   佐分利信、浜村純、渥美清、穂積隆信、夏純子、菅井きん、笠智衆 ほか
受賞:第29回毎日映画コンクール大賞(日本映画)
   ・脚本賞(橋本忍・山田洋次)
   ・監督賞(野村芳太郎)
   ・音楽賞(芥川也寸志・菅野光亮)
   キネマ旬報賞脚本賞(橋本忍・山田洋次)
   1974年度ゴールデンアロー賞作品賞
   ゴールデングロス賞特別賞
   モスクワ国際映画祭審査員特別賞・作曲家同盟賞


これを知らないとおもしろくない② ~ 『イージー・ライダー』


イージーライダー_ライディング01

「60年代アメリカの若者文化を見事に描いた映画」

この映画の評や視聴者レビューで一番多いのがコレ。
でも、この評なら、間違いじゃないけど30点くらいかなあ。
こう思って観るから、ラストシーンの意味がわからなくなるんだろうなあと思う。

あのラストシーンを、“社会の「理不尽さ」や「不条理」を象徴的に描いた”、
という人もいるから驚きだ。
たしかに、アメリカン・ニュー・シネマ的なショッキングな終わり方かもしれないけど、
あれは、何かを象徴した遠回しな表現ではなくて、 “何の含みもないリアルな表現” だよ、と言いたいな。
僕には、この映画には、何の比喩もパラドックスもアイロニーもシュールな表現も見受けられない。
まあ、LSDでラリラリになるところ以外は、だけど。
LSDなんてやったことないから、わかんないもんね。

そう、この映画の「これ知らポイント」は、
ずはり “1950~60年代のアメリカの政治・社会を知ること” だ。
特に、“人権問題、人種差別問題” を知るべきだろうなー。
かなりネタバレになるけど、そこらへんのことを書いておこうと思う。
観たけどよくわからない、という人にはもってこい、
まだ観てない人は、後から読んだ方がいいかも。


試しに、会社の後輩で、30才代半ばで映画好き、というのがいるので、
『イージー・ライダー』を観てもらって、カンタンな感想を聞いてみたら、やっぱり・・・。


●全体的に何を言っているのかよくわからない。ただ、パワーは感じる。

そう、ただの若者カルチャー映画として観たら、
当時のアメリカの若者カルチャーってつまんないじゃん、
としか観えようがないよね。
パワーを感じるというのは、
この映画が “カウンターカルチャー(反体制)” 映画だから、
それを肌で感じたんだろうな。
“アメリカン・ニュー・シネマ” って言って、若者が低予算で反体制的な映画を撮るのが
’60年代から’70年代のムーブメントだったんだよ。


●バイクに乗って、ロックミュージックに乗って、序盤はカッコいい。

当時、アメリカでは「バイク映画」が流行っていたらしいんだ。
ロックも、もろジミヘン時代、この映画のリリースされた’69年は、
あのウッドストックの開催された年なんだよ。
「Born to be wild」に乗って、バイクで走るぜ~、というだけで
集客のツカミはオッケーだったんじゃないかな。
でも、当時のアメリカの若者でも、この映画を
「おっ、ロックに乗ってバイクに乗ってぶっとばすなんて、かっこいいぜ」と思って観に行ったら、
物語の途中から重い社会派になって、ラストシーンでぶっとんだだろうね。

ところで、ハーレーを改造した “チョッパーバイク” は、いま見てもまったく古くない。
この映画のやつが、チョッパーの原型みたいなもんなのに、すでに完成されているね。
これ以上のアメリカンチョッパーは、この先に生まれるのかなあ?って感じ。


●カトリックの家族、ジプシーみたいな人たちの村、刑務所とアル中弁護士、謝肉祭と娼婦、
そしてエンディング・・とそれぞれの意味や脈絡がわからない。


脈絡なんてないんだよ。
バイクで旅をしていろんなとこへ行って、いろんなアメリカを表わしているんであって、
一本のストーリーじゃないんだよ。
それから、ジプシーじゃない、ヒッピーのコミュニティだよ。
体制のお世話にならないで、自給自足の村を作ろう、という行動する人たちもいたんだ。
あれは、何かの比喩表現じゃなくて現実、ホントにあったんだよ、ああいうのが。
日本でも、コンセプトが違うけど、
武者小路実篤が1918年に始めた「新しき村」ってのがいまでもあるよね。


●あの酔っ払い弁護士の行く末と、ラストシーンの理由は解釈が難しい。

観たままだよ、解釈なんて必要ない。
あれが、実在してた現実


そう、何にも知らずに観ると・・・

「サンフランシスコ(西部)の若者が、ニューオリンズ(南部)をめざして
ノリノリでバイクで自由気ままな旅に出るけど、
途中で意味のわからない人たちやイヤなやつらに出会ったりして、
おもしろいことなんてありゃしない。
ラストシーンは、飛躍しすぎていると思うけど、ドラッグはやっぱりいけない、
ということを言いたいのかな、この映画は」


・・・という感想になってしまうと思う。

そう、それでは、
この映画のクライマックスといえるラストシーンの意味がまったく伝わっていない
ということになるんだよ。

やっぱり、当時のアメリカの時代背景を知ったうえで、
この映画をきっちりリアルなドキュメンタリーを観るように観るべきだな。

じゃ、’60年代のアメリカはどんなんだったんだろう。

大雑把に言うと、2つ。
一つは「紛争」の時代。
アメリカが、“自分ちの庭” だと思っていた中米で、キューバがソ連とくっついて共産化。
それに対するアメリカの軍事作戦と、キューバを核ミサイル配備で支援するソ連がにらみあいをして、
危うく核戦争が始まるのでは、というところまで行った出来事=キューバ危機と、
ベトナム戦争の開始だ。

もうひとつは、「反人種差別運動」
社会保障がなく差別に苦しむ黒人が起こした「公民権運動」や、
ネイティブアメリカンの「レッド・パワー運動」などだ。

特に、国内の反人種差別運動は激しく、
1963年の「人種差別反対ワシントン大行進」を始めとする黒人デモの多発や
ネイティブアメリカンによる「アルカトラズ島占拠事件」や「ウーンデッド・ニー占拠抗議」などが
頻繁に行われて、それに対する弾圧も厳しかったんだな。

同年には、黒人の公民権活動に肯定的で、ベトナム介入に否定的だったケネディの暗殺事件。
’65年には黒人による「ロサンゼルス暴動」が起きたり、ベトナム戦争が始まったり、
’68年の黒人運動の指導者的存在だったキング牧師の暗殺など、血なまぐさい事件が相次いだんだ。

’69年には、オルタモントでのストーンズのコンサートで、黒人青年が惨殺されたり、
NYのゲイ・バー「ストーン・ウォール」でゲイによる暴動が起こったり・・・。

ポイントは、人権運動や反戦運動など、政府に反抗する活動は、
かるーくあたりまえのように、暴力や死をもって制裁が加えられていたことだ。
なんにもしていないのに、適当な罪状を突きつけられて刑務所に入れられた
黒人やネイティブアメリカンが数えきれないほどいたそうだ。
白人が黒人を傷害または殺害しても、不起訴になるケースもたくさんあったようだ。

当時、保守的なアメリカ南部の街をただブラブラ歩いていて、
いきなり誰かに襲われても不思議じゃない人種ランキング
というのがある↓。

① 黒人
② 黄色人種
③ ヒッピー、ゲイ


①よりも危ないケースが、黒人と黄色人種のグループだ。

社会の “違和感” を暴力で排除する時代だったんだね。
ケネディ大統領だって、キング牧師だって殺されたくらいなんだからさ。

でも、この映画をラストまで観た時の当時のアメリカ人の感想は、
住んでる地域の違いで異なったんじゃないかと思う。
東部や西部のリベラルな人たちは、「おー、なんてこったい、わが国の現状はこんなんかい」、
南部の保守的な人たちは、「あたりまえだろ、ざまーねぇーやな」、
って、まったく反対のセリフを吐いたんじゃないかと。

でも、この二元性があったからこそ、この映画はいろんな圧力を撥ね返して、
アメリカン・ニュー・シネマの代表作として歴史に残ることができたんだろうと思う。
だって、当のアメリカ映画界だって、当時はバリバリの右寄りだったんだからさ。


監督は、ちょっと前に亡くなってしまったデニス・ホッパー
「ブルーベルベット」での変態の役が大ハマリだったよね。

イージーライダー_デニス

資金集めと主役をやったのが、ピーター・フォンダ
「エアポート'75 」(1974)や「カプリコン・1」(1977)なんかにも出てる
カレン・ブラックは娼婦役。

イージーライダー_カレン

デニス・ホッパーとピーター・フォンダがつるんで、
作ろうぜ!ということで、資金もないのに始めたらしい。

イージーライダー_ニコルソン

そして、若きジャック・ニコルソン
顔の表情がすごいね!
この映画でたった一人、この人だけが本物の俳優であることがわかる。

おもしろいのが、冒頭でヤクの売人役で出てくるのが、
あの超大物音楽プロデューサーのフィル・スペクター
ビートルズの「レット・イット・ビー」やジョン・レノンのプロデュースで有名だよね。
2013年現在は、殺人罪で収監中だけど。

音楽は、ステッペンウルフの「Born to be wild」から始まって、
ザ・バンド、ジミー・ヘンドリックス、ロジャー・マッギンなどがバイクを走らせる。

イージーライダー_ライディング02

カメラのラズロ・コバックスという人が異色で、
ソ連が軍隊を侵攻させたハンガリー動乱を命がけで撮影し、
それを持ち出してアメリカに政治亡命してきたという。
後に、「ペーパー・ムーン」(1973年・ピーター・ボグダノビッチ)や、
「ニューヨーク・ニューヨーク」(1978年・マーティン・スコセッシ)
「ゴースト・バスターズ」(1984年・アイヴァン・ライトマン)などを撮って
いまや超有名なアメリカ人カメラマンに。

一緒に亡命してきたヴィルモス・ジグモントという人も、
後に「未知との遭遇」「ディア・ハンター」などを撮ったんだよ。

その頃の映画は、「ニュー・アメリカン・ドリーム」
と呼ばれるムーブメントになっていたんだな。
1973年のベトナム戦争の終わりとシンクロするように、
「アメリカン・ニュー・シネマ」の風は止んだんだった。



イージーライダー_ポスター

●『イージー・ライダー』(Easy Rider)
1969年 アメリカ
上映時間:95分
配給:コロムビア・ピクチャーズ
監督:デニス・ホッパー
製作:ピーター・フォンダ
製作総指揮:バート・シュナイダー
脚本:ピーター・フォンダ/デニス・ホッパー/テリー・サザーン
撮影:ラズロ・コヴァックス
美術:ジェレミー・ケイ
編集:ドン・キャンバーン
選曲:デニス・ホッパー、ピーター・フォンダ
出演:ピーター・フォンダ、デニス・ホッパー、ジャック・ニコルソン、カレン・ブラック、
   ルーク・アスキュー、アントニオ・メンドーサ、ロバート・ウォーカー・Jr、
   ルアナ・アンダース、トニー・ベイジル メアリー、フィル・スペクター、
   ウォーレン・フィナーテ、サブリナ・シャーフ、サンディ・ブラウン・ワイエス
受賞:カンヌ国際映画祭新人監督賞(デニス・ホッパー)
   国際エヴァンジェリ映画委員会賞
   NY批評家協会賞(助演男優賞)
   アメリカ国立フィルム登録簿に永久保存登録(1998年)


これを知らないとおもしろくない① ~ 『カッコーの巣の上で』


映画って、時事性というか時代性というか、
その時代時代の社会問題とかがテーマだったり、流行や風俗が演出に使われていたりするよね。
だから、ストーリーのおもしろさとは別に、コトの真相を掘り下げて考えてみたり、
その当時のファッションや音楽やカルチャーを知ったり振り返ったりできて、
おもしろさがたくさんあるもんだよね。

でも反面、その時代の背景や習慣や問題点などの “ある事実” を大前提として知らないと、
その映画が伝えようとしたり表現しようとしていることが、
ぼやけてしまうことがよくあるような気がする。
その映画ができてからずいぶん年月が経っていたりすると、
その映画がテーマにしたことが忘れ去られていたりするからだ。

自分が歳を食ってきたので、そう思うことが多くなってきてるんだね。

「ああ、この映画って、ただ漠然と観てもおもしろくないばずだ。
これを知らないと、半分くらいしか楽しめないよなあ。もったいないなあ」・・・
・・・って、そんな自分のムズムズを解消するためにも、
余計なお世話をしてしまえ、というのがこの記事でーす。

ネタバレしない範囲で、いくつか書き残していこうと思う。


その①は、『カッコーの巣の上で』。
この映画の「これを知らないと・・・ポイント」は、
ずばり「ロボトミー・サージャリー」という言葉だよ。
この映画を観た人は、この言葉の意味や時代背景を調べると、
この映画の意味がもっとわかるはず。
まだ観てない人は、できれば、“この映画を観た後” に、
この言葉の意味や時代背景を調べるといいと思う。

この映画は、ジャック・ニコルソン扮する主人公が、
ある精神病院に入院してくるところから始まる。
主人公マクマーフィは実は健常者で、犯罪を犯したため刑務所に投獄されるところを、
精神病を装って逃れてやってきたのだった。

カッコーの巣の上で_マクマーフィ

映画の序盤は、変な人たちの変な入院生活が描かれている。
いろいろな入院患者がいて、いろいろな奇行を繰り広げるのでコミカルに展開するけど、
人権問題なんかがあって表現が難しかっただろうと思う。

しばらく経って、健常者のマクマーフィは、
精神病院というところが専制政治とでもいうような、
病院側の異常なまでの管理体制で運営されていることに気付くんだな。
それからというもの、すでに仲良くなった変テコな仲間たちを扇動して、
いろんな反抗行為を繰り返すようになる。

カッコーの巣の上で_患者たち

患者たちの反抗行為と、病院の制裁行為・・・
だんだんと、患者たちの行為がラブリーに、病院側が極悪に見えてくる。
患者がフツーで、医者や看護師の方がよっぽど異常なことが浮き彫りにされてくるんだな。

この辺から、序盤の “ほのぼの” がコワイ感じに映画の空気が変わっていく。
そして、最後まで抵抗をやめない主人公への制裁へ。

なんにも知らずに観ると、精神病院のひどさが、映画としておもしろくなるように
誇張して表現されているように見えるだろうと思う。
深読みする人は「人間、何も知らず何も企まないピュアな理性が善で、企図とか管理とか施策とかは悪」
というような、文学的というか哲学的な意味で受けとめてしまうかもしれない。
ラストシーンが、非現実的に飛躍して見えるからだ。

でも、実はそうじゃないのだ。
この作品は、文学作品やアートではないし、メタファーも遠回しな表現もない
まっすぐ明らかにリアルな社会派なのだ。
その当時存在してた社会問題をはっきりと糾弾してる。
そのことが、前述のキーワードの意味や時代背景を知ることで正しくわかるはず。
でも、やっぱ “観た後” がおすすめだなあ。


監督は、なんとミロス・フォアマンだよ!
あの「アマデウス」の監督
サイコーだよね、あの映画!

製作には、「コーラスライン」「氷の微笑」のマイケル・ダグラスが絡んでる。
まだ俳優としては有名じゃなかった頃かな。

出演者は、ジャック・ニコルソン以外は当時は無名に近かったんだろうけど、
今では歴史に残る名優ばかり。
まあ、ひと癖ふた癖もあるバイプレーヤーがほとんどなんだけど。

カッコーの巣の上で_患者たち2

●ルイーズ・フレッチャー(「エクソシスト2」「赤いドレスの女」「ブレインストーム」)
●マイケル・ベリーマン(「フローズン・ライター」)
●ブラッド・ダリフ(「デューン/砂の惑星」「ブルーベルベット」「エイリアン4」)
●ウィル・サンプソン(「ポルターガイスト2」)
●クリストファー・ロイド(「バック・トゥ・ザ・フューチャー」「アダムス・ファミリー」)
●ダニー・デヴィート(「ツインズ」「バットマン リターンズ」)
●ポール・ベネディクト(「グッパイガール」「マンディンゴ」)
●スキャットマン・クローザース(「ルーツ」「シャイニング」)
●シドニー・ラシック(「キャリー」「天使にラブ・ソングを2」)
●ヴィンセント・スキャヴェリ(「アマデウス」「ゴースト/ニューヨークの幻」)


ちなみに、原題は『ONE FLEW OVER THE CUCKOO'S NEST』
訳すと「一羽は、カッコーの巣の上を飛んでった」となるね。

マザーグースの歌から引用されているらしい。


『Vintery, mintery, cutery, corn』
『Vintery??、ミント、cutery??、とうもろこし』

Vintery, mintery, cutery, corn,
(Vintery??、ミント、cutery??、とうもろこし、)

Apple seed and apple thorn;
(りんごの種とりんごのとげとげ)

Wire, briar, limber lock,
(針金、いばら、しなやかロック??)

Three geese in a flock.
(三羽なかまのガチョウ)

One flew east,
(一羽は東へ)

And one flew west,
(もう一羽は西へ)

And one flew over the cuckoo's nest.
(もう一羽は、カッコーの巣の上を飛んでった)


マザーグースの歌って、韻をきっちり踏むあまり、訳が難しいねぇ。
無茶な単語や英語じゃない単語(造語?)がバシバシ入ってるんだもん。

それで、「cuckoo=カッコー」という言葉は、
“気がふれたヤツ“ という意味のスラングらしいんだね。
カッコーは、自分の卵を他種の鳥の巣に生んで、他の鳥に育てさせる、
という素っ頓狂なところからきているという意見があるらしいけど、
はっきりしたことはわからないそうだ。

それを踏まえて訳すと、“THE CUCKOO'S NEST=カッコーの巣” は、
“精神病院” という意味に解釈できる。
劇中の愛すべき患者たちがカッコーなら、
その当時の精神病院は “他の鳥の巣=本来いるべきじゃないところ”
ということになるかな。



カッコーの巣の上で_ポスター

●『カッコーの巣の上で』(ONE FLEW OVER THE CUCKOO'S NEST)
1975年 アメリカ(日本公開:1976年4月)
上映時間:129分
製作:ファンタジー・フィルム
配給:ユナイテッド・アーティスツ
監督:ミロス・フォアマン
製作:ソウル・ゼインツ、マイケル・ダグラス
原作:ケン・キージー
脚本:ローレンス・ホーベン、ボー・ゴールドマン
撮影:ハスケル・ウェクスラー、ビル・バトラー
編集:リチャード・チュウ
音楽:ジャック・ニッチェ
出演:ジャック・ニコルソン、ルイーズ・フレッチャー、ブラッド・ドゥーリフ ほか
受賞:第48回アカデミー賞(主要5部門)
   ・作品賞(ミロス・フォアマン)
   ・監督賞(ミロス・フォアマン)
   ・主演男優賞(ジャック・ニコルソン)
   ・主演女優賞(ルイーズ・フレッチャー)
   ・脚色賞(ローレンス・ホーベン)
   第33回ゴールデン・グローブ
   ・作品賞(ドラマ)
   ・監督賞
   ・男優賞(ドラマ)
   ・女優賞(ドラマ)
   ・脚本賞
   ・新人男優賞(ブラッド・ドゥーリフ)
   第1回ロサンゼルス映画批評家協会賞
   ・作品賞
   第41回ニューヨーク映画批評家協会賞
   ・男優賞


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