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ゆらゆら草

もう少し感受性を働かせれば、毎日がスペシャルになる。そう自分に言い聞かせて、 いろいろ感じたことを書きとめてみよっと。

ディープ浅草 “ひらひら散歩写真” ~ ⑦  


◆「柳通り」へ


吉原仲之町通りの延長と土手通りの交差点「吉原大門」は、
実に興味深いなあ。

吉原仲之町通りの延長をそのまま清川方面へまっすぐ進むと、
「吉野通り」とクロス
この吉野通りは、北上すると北千住、南下すると言問橋西詰から
「江戸通り」に合流するんだな。
江戸通りは、ずっと南下すると日本橋、江戸橋へたどり着くから
この通りは浅草寺をかすめて江戸城下を出入りするのに
主要な道の一つだった
ことがうかがえるわな。

また、吉原仲之町通りの延長とクロスしている「土手通り」は、
昔の「山谷堀」の土手に沿った通りで、北上すると「日光街道」
と合流して北千住へ、南下すると上記の「吉野通り」と
都立浅草高校付近で合流して日本橋方面へ、または、
言問橋方面を避けて「馬道通り」に入ってずっと進み、
「吾妻橋」で「江戸通り」に合流して日本橋方面へ行ける。

つまり、「吉原大門」の交差点は、日本橋(江戸城)と北千住
(江戸時代から明治、大正の陸路&河川路の交通の要衝、宿場)
を結ぶ主要道路を2つも擁した交点だった
ということなんだな。

だもの、吉原の正面入口・吉原大門がこの交点にあったわけだ。
どれだけの大名行列や、武家や、商人や、住民や、軍人やらが
この交差点を通ったのかを想像すると、実に感慨深いよね。



♪ Cast your fate to the wind / Earl Klugh





●土手通りから「柳通り」へ


001手打ちラーメン武蔵.jpg

「吉原大門」の交差点の角には、ラーメン店。
にんにく投入はご法度かなあ。(汗)

石油スタンドの前には、現代の「見返り柳」が。
「加藤風呂店」、「岸金物店」の建物も撮っておきたかった。


土手通りを隅田川へ向かって南下。
「日本堤消防署」のはす向かいには、こんな古い建物が。

002銘木の店鈴木.jpg

心なしか、このあたりには材木屋さんが多い気がするけど、
吉原がよく火事になったことや、隅田川の河川輸送の河岸の
近くだったことと関係あるのかなあ?


ここから「柳通り」まで、どこをどう歩いたのか
まったく思い出せないや。
土手通りを右に曲がって、千束通りに入ったと思うんだけど、
千束通り商店街に戻った記憶はないので、
千束通りの東側のエリアを迷いながら南下したんだと思う。

頭の中は、「柳通り、柳通り・・・」だったので、
「浅草警察署」のあたりに着くまで写真ゼロ。
むー、このあたりは重要撮影ポイントだったねー、Mさん。



000柳通り.jpg

ずいーっと行って、いきなり柳通りの浅草四丁目交差点(?)。
角に「大坂屋」、「とり幸」、「ふぐ・うなぎ 辻むら」の
あるところ。

003とり幸.jpg

004ふぐ辻むら.jpg

005酒楼弥千代.jpg

006浅草三丁目会象一町会.jpg

この「象一」というのはなんだろう?
三社祭と関係あるのかな?
どっか他でも「象三」とか見かけた気がするんだけど。


中華の「あさひ」のはす向かいが、「瓢庵(ひさごあん)」。

007瓢庵.jpg

008瓢庵2.jpg

懐石料理?料亭?ここはリッチな感じだねー。


その真向いが、「浅草三業会館」

009浅草三業会館.jpg

010浅草三業会館2.jpg

この「三業」というのは・・・
●芸妓衆の屋形である置屋
●遊びの場を提供する料亭
●料理を供する割烹料亭

・・・の3つの業種のことを言うんだそうだ。
この三社が協力して、接客と宴の盛り上げに
尽力するから接待などに好適なんだろうね、
料亭での芸者遊びって。


その隣、十字路の角が、「東京浅草組合見番」

011東京浅草組合見番.jpg

012東京浅草組合見番2.jpg

013-01東京浅草組合見番3.jpg

「見番」とは、芸者の所属する事務所(置屋)とは
違うんだな。
前述の三業者合同で組織される「連絡事務所」で、
料亭などからの芸者招請と、空いている芸者のマッチング
を行なったり、その代金やご祝儀の清算を行なったりして、
各者から組合費や手数料をとって商売をしてるんだよ。
踊りのお披露目会を行なって、芸者のPRをしたり、
料亭の宣伝をしたりもしているよね。
タレント事務所みたいなもんだね。
どおりで浅草三業会館とくっついているわけだ。

浅草に芸妓が誕生したのは、1700年代なんだそうだ。
浅草寺門前広小路(いまの雷門のあたり)に茶屋が
でき始めた頃の「広小路芸者」
新吉原の大門の外、山谷堀あたりにあった茶屋や船宿に
出入りした「堀の芸者」。歌舞伎小屋の集まった猿若町
(いまの浅草6丁目あたり)の芝居茶屋を出先とした
「猿若町芸者」がそれ。
江戸時代の浅草寺参りは、大変な人気だったんだね。

明治に入って、鉄道敷設などにより交通の要所が
変化するなどして、浅草の3つの花街は衰退。
でも、後に浅草寺の西側に政府によって「浅草公園」
(いまの浅草ROXのあたり)が作られたために、
浅草は再び盛況に。

そこで、広く浅草に散らばっていた芸者が、この浅草公園
のあたりに集まって(公園芸妓)、ばらばらに存在した
見番も「公園見番」としてまとめられたんだそうだ。
それが、この「浅草組合見番」の成り立ちというわけ。

その後、浅草寺北側のいまの場所に移転したものの
関東大震災、東京大空襲を経て浅草の花街も壊滅。
戦後、再起に尽力して、昭和25年(1950)の
「第一回浅茅会」
(浅草芸妓の伎芸を披露する会)を
開催するまでに。

平成7年からは、浅草花柳界の文化を残す「浅草おどり」
として拡大して、浅草の街全体を盛り上げているんだそうだ。

013-02昔の浅草見番.jpg
↑ 浅草見番HPより拝借


014弁天.jpg

浅草組合見番のはす向かいが、そば処「弁天」
蛤そば、牡蠣なんばんそばで人気の蕎麦屋だよね。
この店は、日米安保条約が結ばれた昭和26年に創業。
江戸時代の痕跡の残る浅草にしては古い店とは言い難いけど、
戦後の蕎麦屋ブームの雰囲気をそのままに残していて、
並木藪もいいけど弁天もね、って昼酒をしたくなる趣。
この辺は、うまそーな店が多いねー。


弁天の隣はこれ・・・

015書道会.jpg

街頭の提灯に「なんやら書道会」って書いてあるけど・・・
街路樹の柳とぴったりマッチしたたたずまい。

016PUBベニラン.jpg

その真向かいが「婦志多」、料亭かなあ?
そのはす向かいが、名前がわかんないけど、襖・表具の店だね。

017襖屋.jpg

018襖屋2.jpg


019とん将.jpg

これの並びに「らっかせい本舗 粋煎堂」があって、
さらに隣は、言問通りに面した「浅草 中村屋」。


言問い通りに出ずに、「とん将」の角を左に曲がって行くと・・・

020こととい.jpg

・・・「甘味処 梅むら」の向かいに「浅草 こととい」。

その先の十字路には・・・

021もつ久.jpg

022清司.jpg


うーむ、この柳通りのあるエリアは、
見番があるだけあって、
夜呑みに来るのにそそられるねぇー。
料亭&芸妓とまではいかなくても、
粋な女将の手料理をツマミに、
江戸時代から続く浅草の街の空気に
酔いに来たいもんだなあ。



ここから、言問通りに出ると「浅草寺病院」。

023浅草寺病院.jpg


渡らずに右(西)へ歩いて柳通りを越すと、
「雷5656会館」の隣に・・・「道引長太郎地蔵尊」

024道引長太郎地蔵尊.jpg

手入れをしているおじいさんに、
一枚撮らして、というと、ニッコリ!

025地蔵守のおじさん.jpg


言問通りを渡ってずいと進むと、「晴雅堂清水」。

026晴雅堂清水.jpg

027晴雅堂清水2.jpg

ここは、古美術、書画、骨董、刀剣って書いてあったね。


そのまままっすぐ進むと、区画整理のなされていない頃
からあったと思わせる曲がった道があって、
さらに進むと、浅草寺病院の裏手に観光バス用の駐車場
があって、その傍らに「銭塚地蔵尊」
とうとう、浅草寺観光エリアにたどり着いたねー。

028銭塚地蔵尊.jpg

029五重塔.jpg

030小舟町.jpg

031宝蔵門のしだれ桜.jpg
宝蔵門のしだれ桜



さて、次は11時半に待ち合わせの友達と合流して
何をやったか “付録”
を記しておしまいでーす。

最終回へつづく


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